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第十四章 北海の旧幕兵団

紀伊の北海道領

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「お嬢ちゃんもお兄ちゃんも、遠路はるばるえらかったやろ。まあお掛け。なんか飲むかい?」

松浦卿がそう労うと、返事より先にボーイが新たにカップを三つ運んできた。
白い磁器からたゆたう湯気には、得も言われぬ芳しい香りが纏わっている。

「まあ。珈琲、ですか?」

由良乃が珍しそうに目を丸くする。
黒々と艶やかな液体はまさしくコーヒーだ。
この飲みものの日本上陸がいつのことか正確には分からないが、17世紀末以降には長崎出島を介してオランダ貿易によりもたらされたと考えられている。
北海道では幕末に北方警備のため宗谷・増毛に派遣された津軽および会津の兵らが、浮腫病に対する薬としてコーヒーを飲んでいたという。

すすめられるまま、三人はカップに口をつけた。

「これぁ……! 苦ぇや」

初めてのコーヒーに目を白黒させる草介に、武四郎は無理して飲まんでいいと笑いかける。

「ですが苦みのなかにほんのりと甘みがあるような……」

由良乃は意外にも気に入ったようで、目を閉じて複雑な味わいを楽しんでいる。
隼人も普段口にすることはないものの、紀伊のプロシア式軍隊生活で嗜む機会はあった。
久方ぶりのコーヒーに目を思わず目を細める。

「さて。長旅の上にすまんけど、まだこれからが長い。先に話しとかなあかんことあるに」

もう一杯を受け取った武四郎はボーイを下がらせ、旨そうに一口含むと切り出した。

「これから向かうんは、この札幌からずっと北東。海沿いの紋別いうとこや。日本ちゅうことになっとるけど、日本やと思わんこっちゃな。つ国に来たもんや思うてな」
「松浦卿。紋別といいますと、維新後に一時紀伊が治めた……」
「せや。たった一年だけ紀伊の領地やったとこよ」

明治2(1869)年、開拓使が管掌する北海道は兵部省および各藩、華族や士族の個人、そして寺院など計38の主体によって開拓を前提に統治されていた。これを分領支配という。
長い例でも廃藩置県の直後、明治4(1871)年までというごく短い期間のことで、紀伊和歌山藩は明治2年8月から翌年8月まで紋別郡を領有していたのだ。

「屯田兵の設置は今から6年前の明治8年からやけど、分領支配時代に特命を帯びて紀伊から紋別に入植した一団があった」
「実験屯田兵団――」
「そう。片倉さんは紀伊の戍営兵じゅえいへいでしたな。“小さなプロイセン”とも呼ばれたあの時代の紀伊兵は、間違いなく当時の国内で一番強い軍隊やった。で、そこから選抜された精鋭が北方防備のため秘密裏に送り込まれたんや」
「それがしの耳には、既に壊滅したと聞こえてござるが……」
「いや、生きとる。今も彼の地で生きとる。わしはその以前に何度も蝦夷地…北海道を旅して幕府御用の調査も行った。そして明治2年の6月には、政府から蝦夷開拓御用掛を命じられたんや」
「……資源地図の作成もその折に?」
「正確には仕上げやったけどな」

武四郎は再びカップを手にとり、黒曜石を溶かしたかのような液体をすすった。
草介にも由良乃にも、これまで知覚していた歴史の埒外にあるかのような話だ。
隼人も一口コーヒーを含み、続きを促す。

「わしに資源地図作成の密命を下したんは、当時の和歌山藩やった。紋別に入植した紀伊の実験屯田兵団は、その手伝いをしてくれたんや。そして地図の原本はそのまま当地に保管されとる」
「……初耳でござった」
「せやろな。えらい厳重に伏せられとったから。ところが先だっての海軍特務が起こした事件や。首謀者の東堂、そして任那みまないうたか。連中がわしらの作った地図のこと嗅ぎつける前に確保するよう、偉いさんからの頼みや。陸路も海路もゆかれへん厳冬期は動きがとれんかったから、今の短い間だけが勝負」

そう言うと武四郎は立ち上がり、うんと腰を伸ばして隼人たち三人を見回した。

「ほな行こか。さらなる最果てへ」
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