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第十四章 北海の旧幕兵団

最果てのM卿

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速い、速い、速い――。

とんでもない速さで原野をゆく小柄な老人に、草介はおろか隼人と由良乃でさえも追従するのがやっとだった。
御留郵便御用では俊足と謳われた隼人と由良乃に肩を並べるほど鍛え上げられた草介だったが、三人の先を行く老人の健脚はもはや神がかってすらいるようだ。

「……はっ、はぁっ……! ひいっ……! ば……もんだぜ……!」
「なんて速さ……!」
「……むう…! まさに……“神足”……!」

明治14(1881)年6月。
隼人・草介・由良乃の三人は、北海道北見国の紋別もんべつに足を踏み入れていた。
今回の任務は配達ではない。集荷だ。
話はこの前年、隼人たちが郵便鉄道の実験車輛で東堂ら海軍特務の襲撃を受けた直後に遡る。


強奪された北海道資源地図は全巻ではなく、複数の測量者が作成したものがいくつか存在することが仄めかされていた。
東堂父子が提唱した北海道緩衝地帯化計画について、事態を重く見た政府は駅逓局及び軍部に残りの地図の確保を命じたのだ。
そのうち最重要とされる北海道全域の資源概略図が、紋別で秘密裏に保管されているのだという。
隼人・草介・由良乃はその確保のため派遣されることとなり、特務艦・明光丸にて一路小樽へと旅立った。
小樽・手宮から札幌までの約36㎞区間は、明治13(1880)年11月には既に鉄道が開通している。開拓使が運営する官営幌内ほろない鉄道だ。

隼人たち三人は、ある人物と接触するためこの路線で息つく間もなく札幌へと向かった。
目的の人物とは、御留郵便を統括するM機関の構成員であるM卿の一人だ。

切り拓かれたばかりの鉄道路線から見える北海道の景観は、三人にとって初めて見るものだった。
白樺やトドマツといった北方特有の原生林は凛とした厳しさで広がり、未知の植生は異質な印象として彼らの胸に迫る。
さしもの草介も、今回は鉄道にはしゃぐ気持ちになどなれず神妙な様子だ。

「なあ、はーさん。これから会うしとが最後のM卿ってどういうこってぇ」
「文字通りだ。M機関は間もなく解散、御留郵便もほどなく御役御免になろう」

草介の質問に、片眉をぴくりと上げて答える隼人。
夏ではあるが北の大地では車窓に吹き込む風さえ冷涼に感じられる。

「やはり、これが最後の任務になるのでしょうか」

東京の郵便鉄道で合流してから行動を共にしている由良乃も、しんみりとした口調で呟く。
北海道資源地図なる機密文書受領という重大任務。精鋭として選ばれた三人だが、たしかに御留郵便自体はほどなくその役目を終えようとしている。

「正確なことは分かり申さぬ。しかし、此度の任が一つの区切りではござろうな」

札幌の駅は、“札幌停車場”と呼ばれるたった11坪の仮小屋だった。
本来、幌内鉄道は北海道中部の三笠から産出する石炭を小樽の港へ運ぶことに主眼が置かれており、札幌の駅も旅客のためのターミナルではない。
が、降り立った草介も由良乃も、思わずその街並みに目を見開いた。
広い。道が実に広い。
そしていずれの建物も悠々とした大きさだ。しかし豪雪に対するためか規模に比して平たく窓が小さいので、どことなく無機質な印象でもある。

隼人たちが指定された場所は、開拓使が建設した西洋式ホテル「豊平館ほうへいかん」だ。
明治13(1880)年11月に本館が落成し、この当時は大通おおどおりに面した一丁目あたりに建てられていた。
因みに豊平館はアメリカ式の木造洋風建築だが、内装には漆喰を駆使したりバルコニーの上に懸魚げぎょを配したりと、日本の伝統技術によって建設されている。

豊平館に至った隼人らがエントランスで名乗ると、ボーイは既に承知しておりすぐさまロビーへと通された。
瀟洒な室内には幾本もの蠟燭を灯したシャンデリアが下がっており、部屋全体がほんのりと暖かい。
夏とはいえ夕刻が迫る今頃は暖炉にも火を入れているようだ。

目当ての人物はすぐに分かった。ロビーのソファにちんまりと腰掛け、白いカップを口に運んでいる。
先頭に立って近付いた隼人は、カツンと踵を打ち合わせるとプロイセン式に挙手の敬礼をした。

「駅逓局・御留郵便御用、片倉隼人。以下、橘由良乃、草介。命により着任いたしました」
「おう、おいでたか。遠いとこえらかったやろに、おおきんな。わし松浦いいます。よろしう」

M卿・松浦武四郎たけしろう――。
蝦夷地全域を探検し、“北海道”の名の原案を作ったその人だった。
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