上 下
89 / 104
第十三章 攻防、鉄道郵便零号車

因果再び

しおりを挟む
任那少佐はもう一度薄く笑うと、再び手元に目を落として他の書類を開こうとした。
その瞬間、破裂音と共にキュンッ、と銃弾がその頬を掠めてゆく。

「動くなと言った」

隼人があやまたず撃ったのだ。

「……この揺れのなか正確に撃つとは。当たったらどうするのですか」
「なればその時」

弾が至近を通過しながらも微動だにしない任那少佐。軽口を叩くゆとりすら見せたが、隼人の本気を感じてさすがに書類からは手を離した。

「片倉さんの射撃の腕前は聞いていましたが、まさかこれほどとは。やはり幕末から維新を生き抜いた兵は違いますね」
「よく口が回る。続きは軍法会議で存分に語るがよい」

隼人と草介、それに由良乃の三人に銃を突き付けられ、状況としては既に詰んでいるといっていい。
じわり、じわり、と三つの銃口が青年士官へと迫るが、再度諸手を上げた恰好の任那少佐は不敵な笑みを崩していない。

「もう少しで見つかりそうなのですよねえ」
「黙れ。聞かぬ」
「いえ、おそらく……この包み」

不意に任那少佐が書類の束に手を伸ばした。

「撃て!」

反射的に隼人が叫んだが、その瞬間悲鳴のような金属音を立てて機関車が急制動をかけた。
抗いようのない慣性で前へと投げ出される隼人たち。刹那のことに受身も十分ではなく、並んでいる執務机に叩きつけられてしまった。

「っぐうぅぅ……!」

強制的にレールを摩擦する黒鉄の叫びが響き渡り、隼人たちが直後に顔を起こした時には既に少佐の姿はなかった。

「不覚――!」

次の車輛の、屋根の上を軍靴の音が渡ってゆく。
急停止した機関車は高輪築堤の半ばを過ぎた辺りにいるはずだ。外は明るいが、白い濃霧がいよいよもって海上にわだかまっている。

「儂が上を追う! 二人は警戒しつつ先の車輛へ向かってくれ! 」

隼人は保守用のステップから屋根へと駆けあがり、草介と由良乃も即座に次の車輛へと向かった。
車輛の上に登った隼人はその先を見渡そうとしたが、やはり霧が視界を遮っている。
挟撃のため屋根伝いに先行した二人の護衛官はどうなったのだろう。おそらく今の衝撃では掴まってはおられまい。
小太刀と拳銃を手に、隼人は緩やかなアーチになった車輛の屋根を小走りに進んだ。
ただでさえ足場が悪い上に、霧の変じた水滴がびっしりと表面を覆っている。

と、前方に人影が見えた。瞬時に身を沈めて目を凝らす。その袖とズボンには、駅逓局制服の赤いラインがない。
隼人は右手に構えたピストルを撃った。
乾いた銃声が三発続けて響いたがそれは濃霧の海に吸い込まれ、そしてゴゴッ、と音を立てて足元が揺れた。
再び汽車が、ゆっくりと動き出したのだ。

「片倉さん、この振動ではさすがのあなたも当てられないでしょう」

霧の向こうから、青年の涼やかな声が届いた。
嘲笑する様子ではなく、淡々と事実を教示しているかのような声音だ。

隼人は拳銃をホルスターに収め、小太刀を右手に持ち替えた。
任那少佐はあろうことか、こちらへと歩を進めてくる。
その手には、いつの間にか長刀ちょうとうを携えている。
リーチの短い小太刀は室内でこそ威力を発揮するが、この広さでは彼我に力量差がない限り不利でしかない。
しかも動く列車の、湾曲した屋根の上。任那少佐の剣技は詳らかではないものの、岩倉邸御前仕合での動きは達人のそれだった。
隼人は小太刀を握り直し、両足に力を込めて少佐に問いただす。

「任那征士郎――。海軍特務を動かしての機密書類強奪、これまでの御留郵便妨害もそなたの所業か」
「――妨害? 心外ですね。私達・・の行動は、誠実な理念に基づいたものなのですよ」
「誠実だと。これだけの同胞の命を奪っておいて、どの口から申すというか。そなたらの目的は、いったい何なのだ」

糾弾する隼人に向けて、任那少佐が目を細めた。

「それは私よりも、答えるに相応しい方がおられますよ」

ふい、と霧の向こうに顔を向ける少佐。
すると、カツン……カツン……ともう一人こちらに近付く軍靴の音が。

隼人はその瞬間、全身が総毛立つような悪寒に包まれた。
蒸気機関の黒煙に混ざって、甘く香ばしい煙草の香りが流れてくる。

「東堂、靫衛ゆきえ――」

任那少佐の隣に、海軍の軍服に身を包んだ白銀髪の老剣士が立ち並んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

鄧禹

橘誠治
歴史・時代
再掲になります。 約二千年前、古代中国初の長期統一王朝・前漢を簒奪して誕生した新帝国。 だが新も短命に終わると、群雄割拠の乱世に突入。 挫折と成功を繰り返しながら後漢帝国を建国する光武帝・劉秀の若き軍師・鄧禹の物語。 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 歴史小説家では宮城谷昌光さんや司馬遼太郎さんが好きです。 歴史上の人物のことを知るにはやっぱり物語がある方が覚えやすい。 上記のお二人の他にもいろんな作家さんや、大和和紀さんの「あさきゆめみし」に代表される漫画家さんにぼくもたくさんお世話になりました。 ぼくは特に古代中国史が好きなので題材はそこに求めることが多いですが、その恩返しの気持ちも込めて、自分もいろんな人に、あまり詳しく知られていない歴史上の人物について物語を通して伝えてゆきたい。 そんな風に思いながら書いています。

御庭番のくノ一ちゃん ~華のお江戸で花より団子~

裏耕記
歴史・時代
御庭番衆には有能なくノ一がいた。 彼女は気ままに江戸を探索。 なぜか甘味巡りをすると事件に巡り合う? 将軍を狙った陰謀を防ぎ、夫婦喧嘩を仲裁する。 忍術の無駄遣いで興味を満たすうちに事件が解決してしまう。 いつの間にやら江戸の闇を暴く捕物帳?が開幕する。 ※※ 将軍となった徳川吉宗と共に江戸へと出てきた御庭番衆の宮地家。 その長女 日向は女の子ながらに忍びの技術を修めていた。 日向は家事をそっちのけで江戸の街を探索する日々。 面白そうなことを見つけると本来の目的であるお団子屋さん巡りすら忘れて事件に首を突っ込んでしまう。 天真爛漫な彼女が首を突っ込むことで、事件はより複雑に? 周囲が思わず手を貸してしまいたくなる愛嬌を武器に事件を解決? 次第に吉宗の失脚を狙う陰謀に巻き込まれていく日向。 くノ一ちゃんは、恩人の吉宗を守る事が出来るのでしょうか。 そんなお話です。 一つ目のエピソード「風邪と豆腐」は12話で完結します。27,000字くらいです。 エピソードが終わるとネタバレ含む登場人物紹介を挟む予定です。 ミステリー成分は薄めにしております。   作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。 投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。

直違の紋に誓って~ Spin Off

篠川翠
歴史・時代
<剛介の初恋> 本編である「直違の紋に誓って」を書いている最中に、気分転換も兼ねて書き下ろし、本編に先駆けて発表した作品です。 二本松の戦火を逃れて会津に保護された剛介は、どのような青春時代を送ったのか。本編では書ききれなかった青春時代について、描いています。 <父の背中> 会津で父の顔を知らずに育った少年、遠藤貞信。14歳の夏、母の導きにより彼は父との再会を果たします。貞信の父、剛介が妻に語れなかった、会津を離れた本当の理由とは……。 noteで本編を連載中に、フォロワー様から「剛介のその後が知りたい」というリクエストを頂き、誕生した作品です。

虹ノ像

おくむらなをし
歴史・時代
明治中期、商家の娘トモと、大火で住処を失ったハルは出逢う。 おっちょこちょいなハルと、どこか冷めているトモは、次第に心を通わせていく。 ふたりの大切なひとときのお話。 ◇この物語はフィクションです。全21話、完結済み。

朱元璋

片山洋一
歴史・時代
明を建国した太祖洪武帝・朱元璋と、その妻・馬皇后の物語。 紅巾の乱から始まる動乱の中、朱元璋と馬皇后・鈴陶の波乱に満ちた物語。全二十話。

麒麟児の夢

夢酔藤山
歴史・時代
南近江に生まれた少年の出来のよさ、一族は麒麟児と囃し将来を期待した。 その一族・蒲生氏。 六角氏のもとで過ごすなか、天下の流れを機敏に察知していた。やがて織田信長が台頭し、六角氏は逃亡、蒲生氏は信長に降伏する。人質として差し出された麒麟児こと蒲生鶴千代(のちの氏郷)のただならぬ才を見抜いた信長は、これを小姓とし元服させ娘婿とした。信長ほどの国際人はいない。その下で国際感覚を研ぎ澄ませていく氏郷。器量を磨き己の頭の中を理解する氏郷を信長は寵愛した。その壮大なる海の彼方への夢は、本能寺の謀叛で塵と消えた。 天下の後継者・豊臣秀吉は、もっとも信長に似ている氏郷の器量を恐れ、国替や無理を強いた。千利休を中心とした七哲は氏郷の味方となる。彼らは大半がキリシタンであり、氏郷も入信し世界を意識する。 やがて利休切腹、氏郷の容態も危ういものとなる。 氏郷は信長の夢を継げるのか。

直違の紋に誓って

篠川翠
歴史・時代
かつて、二本松には藩のために戦った少年たちがいた。 故郷を守らんと十四で戦いに臨み、生き延びた少年は、長じて何を学んだのか。 二本松少年隊最後の生き残りである武谷剛介。彼が子孫に残された話を元に、二本松少年隊の実像に迫ります。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

処理中です...