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第十二章 浪華裏花街エレジィ

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弥助と瑠璃駒が乗り込もうとしていた舟を半円に囲むやくざ者たちの中から、かしらと思しき男が進み出てきた。
身なりは小ざっぱりとした上等そうな着物姿だが、剃り上げた頭の下には腫れぼったい瞼の凶相が口の端を歪めている。

「弥助ぇ。なんぼなんでも仁義っちゅうもんがあるんとちゃうか」

存外におっとりした口調ではあるものの、その濁声だみごえには有無を言わせぬ威圧感がある。
弥助は声の主を振り仰ぎ、悲痛な声で叫んだ。

「仁義て……! 身請けの証文に間違いないて言うたやありまへんか! 落籍代もみなはろたいうのに、次の年季の分あるなんて聞いとりまへん!」
「なに寝惚けたこと言うとんねん、ボケ。昔から決まっとるやろ、若衆は十五から十八が盛りの花やて。瑠璃駒はこれからや。あんたがはした銭でうたんはせいぜい蕾の時期の年季やで。この子にはまだまだ稼いでもらわな割に合わへんわ」
「なんちゅう……殺生な……!」
「殺生なぁ?」

頭が嘲笑するように弥助の口真似をし、やくざ者たちがどっと笑った。
舟着き場へと降りる石段の上から頭が足を踏み出し、弥助と瑠璃駒をめ下ろした。

「なめた真似しくさって、ガキらが。しょうもない額の金置いて逃げられる思うたら大間違いや。誰がワレらのケツ持ちしてきたったんじゃ。飯食えてんのはこの鏡浪組のおかげやぞ」

かしらの口調が豹変した。
冷徹で凄味の籠った脅しに、弥助も瑠璃駒も思わず息を呑む。

「まあ、せやけどな、ワシも鬼とちゃうさかい。瑠璃駒置いてねや。ほいたら弥助、あんたの不義理も水にしたるわ。……なあ瑠璃駒。お前もワシのチンポ恋しいやろ」

再び下卑た笑いが湧き、瑠璃駒が身を強張らせた。
掴んでいた弥助の手に一瞬ぎゅっと力を込め、そしてゆっくり離すとやくざ者の輪へ向け石段に足を掛けた。

「……うち、行くわ」
「瑠璃駒っ……!」
「おおきに、弥助」

どのみちこのままでは二人とも逃げられはしない。無理に舟を出させたところですぐさま追い付かれ、明くる日には土左衛門となって道頓堀に浮かぶだろう。
せめて弥助を確実にここから離すためにも、瑠璃駒は鏡浪組の言いなりになるしかなかった。

「ええ子ぉや。こっちゃおいで」

かしらが舌なめずりでもするかのような表情で手を伸ばす。
そして小刻みに震える瑠璃駒がその手を取ろうとした時――。

「待たれよ」

突然背後から放たれた大喝に、やくざ者たちは手元の得物を握り直して一斉に振り返った。
そこには無手で佇む隼人の姿が。

「鏡浪組の頭、藤右衛門とうえもん殿とお見受けする」
「……どちらさんでっしゃろ」

細い片目を見開き、藤右衛門と呼ばれた頭が隼人に鋭い視線を振り向けた。

「それがしは元紀州藩・片倉隼人と申す者。藤右衛門殿、かつて大阪の治安維持にあたった名にし負う“浪華隊なにわたい”の一員であられた方が、これはいかなことか」
「こらまた古い話を……。あんた、旧幕の亡霊かいや」

浪華隊――。

1868(慶応4)年から1870(明治3)年まで大阪の治安維持を担った部隊で、当地警察の前身でもある組織だ。
鳥羽伏見の戦以降の大阪は無政府状態にあり、これを保安するため新政府によって創設された府兵部隊である。
そしてこの浪華隊を率いたのが、かつて江戸三大道場の一つに数えられた鏡心明智流・桃井春蔵もものいしゅんぞうだったのだ。
「技の千葉」と呼ばれた北辰一刀流、「力の斎藤」と称された神道無念流に加え、品格ある気迫から「くらいの桃井」と讃えられたことが知られている。

維新後も紀伊と大阪を任務で往来していた隼人は、この浪華隊をよく見知っていた。
そして今や裏社会に生きるかつての隊士、藤右衛門のことも。

「それがしを覚えておいででなければそれでよい。が、この話には無関係ではござらぬ。なれば瑠璃駒殿を身請けするは――それがしゆえに」

そう言うと隼人は懐から一通の為替手形を取り出し、篝火の明かりにかざした。
そこには瑠璃駒を身請けするために弥助が用意した金子の、倍の額が記されていた。

「藤右衛門殿、賭けをせぬか」
「ほう……?」

興をそそられたように、藤右衛門が口の端を吊り上げた。

「それがしが勝てば、この手形と引き換えに瑠璃駒殿と弥助殿を自由の身に。それがしが負ければ、この手形を取って後はご随意に」
「あんたになんも得なことありまへんな、片倉はん。せやけど――おもろいな! なにを賭けはんねや」

隼人は頷き、さっと羽織を脱ぎ捨てると高らかに宣した。

「一騎打ちを、所望する」
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