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第十二章 浪華裏花街エレジィ
籠の鳥
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「はーさん、どこ行くってんでぇ」
とっぷりと夜も更けた道頓堀だったが、大通りは夥しい色とりどりの提灯で虹色に浮かび上がり、妖しげな正体を現していた。
紅灯の巷を逍遥する粋人、もとい酔客たちが足取りも不確かにひしめき、白昼を遥かに上回る猥雑さを醸し出している。
「くるなといってもお前のことだ、必ず付いてくることはよく分かった。ならば草介、頼みがある」
「おっ、ものわかりよくなったじゃねぇの」
「あの料亭で瑠璃駒殿に渡そうとした簪が、弾け飛んだ拍子にどこかにいってしまったのだ。あの座敷をくまなく探したのだが見つからなかった。女中殿にも探しておいてくれるよう頼んでおいたゆえ、念のため様子を見てきてくれぬか」
「合点だ。で、はーさんは?」
「儂は心当たりの場所へ行く」
そう言うと隼人は懐から懐紙を取り出し、矢立に仕込んだ筆で何やら書きつけて草介に渡した。
「これぁ……地図かい」
「ああ。先ほど弥助殿が示した落籍代の証文……あれに書かれていた元締めの侠客組の所在だ」
「鏡浪組……やくざ者の根城っつうわけかよ」
「だがあの組は、仁義の無い人買いの噂が尽きぬのだ。弥助殿は落籍代の満額と申しておったが、まだ裏があるように思えてならん。あの書面が確かならば、おそらく今日の花代を足してその額に届くようだが……」
「金の卵を産む鳥を、おいそれたぁ離しちゃくれねぇってか」
「さよう。以前によく似た話を耳にしたことがあるのだ」
「それでその侠客組のこと知ってるのかい」
「ああ、維新の後に……ちょっとな」
暗がりへと続く曲がり角の一つで、隼人と草介は別れた。
料亭へと向かった草介は、用が済めば隼人が地図で示した場所へと合流する手筈だ。
「御免なせぇよう」
先ほどの料亭へと至った草介が中に向けて呼ばわると、ばたばたばたと女が駆けてきた。菊子だ。
「草介はん! お宿まで行こか思てたんよ」
その手には端切れに包んだ薄桃色の珠。
「ありがてぇ! めっかったんだな」
「敷居と畳の間のおっきい隙間に挟まっとったんよ」
「聞いてた特徴とおんなしだぜ。すまねぇがすぐに届けにゃなんねえんだ。ありがとうよ」
そう言って草介が簪を受け取ろうとしたが、なぜか菊子はふいっとその手をかわした。
「おい、お菊ちゃ――」
「ええのん、ほんまに? こんなん持ってったら、あの旦那はんの背中押すことになるんとちゃうん? 恋敵に塩送るいうのん?」
彼女が何を言っているのかしばらく理解できなかった草介だが、やがて頭を抱えてしまった。
隼人と瑠璃駒のやり取りは菊子も見聞きしていたはずなのだが、彼女は隼人と草介もそういう関係だと思い込んだままなのだ。
だが、今その誤解を解くことは重要ではない。
「ん、お……おおともよ! だからよ、そいつを渡しておくんな!」
「よっしゃ! 気に入った!」
パァン、と菊子は膝を打つと、すばやく足に草履を引っ掛けた。
「え…何して…?」
「うちも付いてったる。大方は鏡浪組さんとこ行くつもりなんやろ。弥助はんの切羽詰まった感じと、あの旦那はんの登場……瑠璃駒ちゃんの身請けに関することと見たで」
「いや、危ねえとこにゃ連れてけねえよ!」
「うちゃ道頓堀川で産湯つこてんねんぞ。この町ら庭じゃい。鏡浪組までの近道教えたるさかい。はよせな旦那はんどっか行ってまうで! 男見せんかい!」
色々と勘違いしたままの菊子に引っ張られるようにして料亭を飛び出し、草介は暗い裏小路に目掛けて駆け出した。
一方、隼人は。
鏡浪組の根城がある、川沿いに蔵が建ち並ぶ界隈へと至っていた。
廻船問屋の看板を掲げてはいるが、その実は侠客の一家だ。
だが維新以降、裏では女衒の元締めとしての顔を持つようになったことを隼人は知っている。
怒号が聞こえる。幾人もの足音がせわしなく響き、声を荒げて誰かを探しているようだ。
気配を消しつつ隼人がそれを追っていくと、やがて篝火が焚かれた舟着き場に出た。
今しも舟頭が竿を繰り出そうかという舟を止めて囲んでいるのは、見るからに荒くれ者の集団。
そして怯えた様子で、抱き合うように身を寄せている男女。
いや、そうではない。
隼人の目には、瑠璃駒を庇って暴徒に身をさらす、弥助の姿が映っていた。
とっぷりと夜も更けた道頓堀だったが、大通りは夥しい色とりどりの提灯で虹色に浮かび上がり、妖しげな正体を現していた。
紅灯の巷を逍遥する粋人、もとい酔客たちが足取りも不確かにひしめき、白昼を遥かに上回る猥雑さを醸し出している。
「くるなといってもお前のことだ、必ず付いてくることはよく分かった。ならば草介、頼みがある」
「おっ、ものわかりよくなったじゃねぇの」
「あの料亭で瑠璃駒殿に渡そうとした簪が、弾け飛んだ拍子にどこかにいってしまったのだ。あの座敷をくまなく探したのだが見つからなかった。女中殿にも探しておいてくれるよう頼んでおいたゆえ、念のため様子を見てきてくれぬか」
「合点だ。で、はーさんは?」
「儂は心当たりの場所へ行く」
そう言うと隼人は懐から懐紙を取り出し、矢立に仕込んだ筆で何やら書きつけて草介に渡した。
「これぁ……地図かい」
「ああ。先ほど弥助殿が示した落籍代の証文……あれに書かれていた元締めの侠客組の所在だ」
「鏡浪組……やくざ者の根城っつうわけかよ」
「だがあの組は、仁義の無い人買いの噂が尽きぬのだ。弥助殿は落籍代の満額と申しておったが、まだ裏があるように思えてならん。あの書面が確かならば、おそらく今日の花代を足してその額に届くようだが……」
「金の卵を産む鳥を、おいそれたぁ離しちゃくれねぇってか」
「さよう。以前によく似た話を耳にしたことがあるのだ」
「それでその侠客組のこと知ってるのかい」
「ああ、維新の後に……ちょっとな」
暗がりへと続く曲がり角の一つで、隼人と草介は別れた。
料亭へと向かった草介は、用が済めば隼人が地図で示した場所へと合流する手筈だ。
「御免なせぇよう」
先ほどの料亭へと至った草介が中に向けて呼ばわると、ばたばたばたと女が駆けてきた。菊子だ。
「草介はん! お宿まで行こか思てたんよ」
その手には端切れに包んだ薄桃色の珠。
「ありがてぇ! めっかったんだな」
「敷居と畳の間のおっきい隙間に挟まっとったんよ」
「聞いてた特徴とおんなしだぜ。すまねぇがすぐに届けにゃなんねえんだ。ありがとうよ」
そう言って草介が簪を受け取ろうとしたが、なぜか菊子はふいっとその手をかわした。
「おい、お菊ちゃ――」
「ええのん、ほんまに? こんなん持ってったら、あの旦那はんの背中押すことになるんとちゃうん? 恋敵に塩送るいうのん?」
彼女が何を言っているのかしばらく理解できなかった草介だが、やがて頭を抱えてしまった。
隼人と瑠璃駒のやり取りは菊子も見聞きしていたはずなのだが、彼女は隼人と草介もそういう関係だと思い込んだままなのだ。
だが、今その誤解を解くことは重要ではない。
「ん、お……おおともよ! だからよ、そいつを渡しておくんな!」
「よっしゃ! 気に入った!」
パァン、と菊子は膝を打つと、すばやく足に草履を引っ掛けた。
「え…何して…?」
「うちも付いてったる。大方は鏡浪組さんとこ行くつもりなんやろ。弥助はんの切羽詰まった感じと、あの旦那はんの登場……瑠璃駒ちゃんの身請けに関することと見たで」
「いや、危ねえとこにゃ連れてけねえよ!」
「うちゃ道頓堀川で産湯つこてんねんぞ。この町ら庭じゃい。鏡浪組までの近道教えたるさかい。はよせな旦那はんどっか行ってまうで! 男見せんかい!」
色々と勘違いしたままの菊子に引っ張られるようにして料亭を飛び出し、草介は暗い裏小路に目掛けて駆け出した。
一方、隼人は。
鏡浪組の根城がある、川沿いに蔵が建ち並ぶ界隈へと至っていた。
廻船問屋の看板を掲げてはいるが、その実は侠客の一家だ。
だが維新以降、裏では女衒の元締めとしての顔を持つようになったことを隼人は知っている。
怒号が聞こえる。幾人もの足音がせわしなく響き、声を荒げて誰かを探しているようだ。
気配を消しつつ隼人がそれを追っていくと、やがて篝火が焚かれた舟着き場に出た。
今しも舟頭が竿を繰り出そうかという舟を止めて囲んでいるのは、見るからに荒くれ者の集団。
そして怯えた様子で、抱き合うように身を寄せている男女。
いや、そうではない。
隼人の目には、瑠璃駒を庇って暴徒に身をさらす、弥助の姿が映っていた。
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