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第十二章 浪華裏花街エレジィ
陰の間のヒメ
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忍び足で進む草介は、存外に深い店の奥行きに驚いていた。
さらに家屋の中心部には廻り縁で囲まれた中庭があり、大阪の商家らしい造りとなっている。
菊子の後を追って二階へと上がり、さらにその奥へと歩みを進めるうち、草介は先ほどからの違和感の正体に気付いた。
全体に漂うねっとりとした空気、そして部屋部屋から漏れ出す押し殺した嬌声。
ここは料亭の看板を掲げた、昔でいうところの出合茶屋なのだ。
男女が逢引きに使う場所だが、遊郭以外で娼妓などを呼び出す場合にも座敷を貸し出している。
だが、草介にはもう一つ腑に落ちないことがあった。
匂いだ。
脂粉の香りは立ち込めているものの、どうしたわけか女の匂いを感じさせないのだ。
菊子はどんどん廊下をゆき、最奥の部屋の角を曲がって小さな木戸を引いた。
暗いその先には急な階段。足音を忍ばせて登りきると、そこは中三階ともいえる妙な位置に設けられた物置部屋だった。
真っ暗な中、一筋の明かりが漏れ出ている箇所がある。
その薄明かりの中、菊子に手招きされるまま草介が顔を近付けると、小さな穴から階下の部屋の様子が見てとれた。
膳を前に、端座した羽織袴姿の男が一人盃を傾けている。
後姿しか見えないが間違いない。隼人だ。
(草介はん、これで同罪やで。わかってる思うけど)
声を潜めた菊子が、滲む薄明かりで草介を睨み据える素振りを見せた。
客の様子を覗けてしまう場所を知っているというのは、たしかに穏やかではないだろう。
(すまねえな、お菊ちゃん。恩に着るぜ。しかしこれ……さっきから何の臭いでぇ)
漏れ出る明かりに目が慣れてきた頃、棚のようになった場所に小さな蓋付瓶が並んでいるのが見てとれた。
そこから馴染みのあるような臭気が滲み出している。
(おネギ。焼いた白ネギや)
(ネギ? なんだってまたそんなもん……)
(お薬やん。あんたらが呼ぶ子ぉら、ほら、お尻でするやろ。痛む時に焼いたおネギ入れて癒やすんよ)
(尻……?あっ、するってぇとここは――陰間茶屋だったのかい)
(あんた知らんと来たんかいな。京阪では陰間とちごて若衆ていうけどな)
陰間、つまり年若い男娼のことだ。
かつては歌舞伎の女形見習いの少年が男色を売ることがあり、修行の一環と考える向きもあったという。
男色については中世から寺院を中心とした稚児愛や、武家における小姓などとの肉体関係といった言い伝えが知られている。
そして陰間は女犯を禁じられた僧侶や衆道趣味の男に加え、御殿女中などに買われることも少なくなかった。
天保13年(1842年)、陰間茶屋は天保の改革によって営業が禁止されるが、そのものが消滅することはなかったのだ。
草介が隼人を追って踏み込んだこの料亭は、江戸でいう陰間茶屋、関西での若衆宿というべき場所だった。
(ほな草介はん、なにしに来たんよ。あの渋いおじさまがこういう店来るのんにヤキモチ焼いて追ってったんとちゃうのん)
(ふぇっ!? お……おうよおうよ、そうともよ)
(せやったらええわ。うち、一目であんたのことソッチやってわかったで)
ほうほうの体の草介をよそに、菊子は満面の笑みを浮かべながら小穴に視線を移した。
(わっ、来やはった――)
ぐっと肩を掴まれた痛みに声を上げそうになりつつ、草介もその穴から階下を見下ろす。
隼人の座敷に、呼ばれた若衆が入ってきたところだった。
艶やかな振袖に切り揃えた前髪。透き通るような白い肌に幼さの残る面立ちは、少女のそれにしか見えない。
(うっわ、可愛らしかいらし、めっちゃきれい……! あかん、ちょぉ、もお、何観音? ……神?)
声を殺して尋常ではない様子で興奮する菊子。呆気にとらている草介に、やはり小声の早口で説明を加える。
(あの子は今めっちゃ売れっ子の瑠璃駒ちゃんや。美貌とかほんま神。あとお値段も神。あのおじさま、えらいお大尽なんやなあ。草介はん、相手悪かったんちゃうか)
瑠璃駒と呼ばれた若衆は草介の眼下で三つ指をつき、そのまま隼人の横に侍ると酌をすべく、婀娜な仕草で銚子を手に取った。
さらに家屋の中心部には廻り縁で囲まれた中庭があり、大阪の商家らしい造りとなっている。
菊子の後を追って二階へと上がり、さらにその奥へと歩みを進めるうち、草介は先ほどからの違和感の正体に気付いた。
全体に漂うねっとりとした空気、そして部屋部屋から漏れ出す押し殺した嬌声。
ここは料亭の看板を掲げた、昔でいうところの出合茶屋なのだ。
男女が逢引きに使う場所だが、遊郭以外で娼妓などを呼び出す場合にも座敷を貸し出している。
だが、草介にはもう一つ腑に落ちないことがあった。
匂いだ。
脂粉の香りは立ち込めているものの、どうしたわけか女の匂いを感じさせないのだ。
菊子はどんどん廊下をゆき、最奥の部屋の角を曲がって小さな木戸を引いた。
暗いその先には急な階段。足音を忍ばせて登りきると、そこは中三階ともいえる妙な位置に設けられた物置部屋だった。
真っ暗な中、一筋の明かりが漏れ出ている箇所がある。
その薄明かりの中、菊子に手招きされるまま草介が顔を近付けると、小さな穴から階下の部屋の様子が見てとれた。
膳を前に、端座した羽織袴姿の男が一人盃を傾けている。
後姿しか見えないが間違いない。隼人だ。
(草介はん、これで同罪やで。わかってる思うけど)
声を潜めた菊子が、滲む薄明かりで草介を睨み据える素振りを見せた。
客の様子を覗けてしまう場所を知っているというのは、たしかに穏やかではないだろう。
(すまねえな、お菊ちゃん。恩に着るぜ。しかしこれ……さっきから何の臭いでぇ)
漏れ出る明かりに目が慣れてきた頃、棚のようになった場所に小さな蓋付瓶が並んでいるのが見てとれた。
そこから馴染みのあるような臭気が滲み出している。
(おネギ。焼いた白ネギや)
(ネギ? なんだってまたそんなもん……)
(お薬やん。あんたらが呼ぶ子ぉら、ほら、お尻でするやろ。痛む時に焼いたおネギ入れて癒やすんよ)
(尻……?あっ、するってぇとここは――陰間茶屋だったのかい)
(あんた知らんと来たんかいな。京阪では陰間とちごて若衆ていうけどな)
陰間、つまり年若い男娼のことだ。
かつては歌舞伎の女形見習いの少年が男色を売ることがあり、修行の一環と考える向きもあったという。
男色については中世から寺院を中心とした稚児愛や、武家における小姓などとの肉体関係といった言い伝えが知られている。
そして陰間は女犯を禁じられた僧侶や衆道趣味の男に加え、御殿女中などに買われることも少なくなかった。
天保13年(1842年)、陰間茶屋は天保の改革によって営業が禁止されるが、そのものが消滅することはなかったのだ。
草介が隼人を追って踏み込んだこの料亭は、江戸でいう陰間茶屋、関西での若衆宿というべき場所だった。
(ほな草介はん、なにしに来たんよ。あの渋いおじさまがこういう店来るのんにヤキモチ焼いて追ってったんとちゃうのん)
(ふぇっ!? お……おうよおうよ、そうともよ)
(せやったらええわ。うち、一目であんたのことソッチやってわかったで)
ほうほうの体の草介をよそに、菊子は満面の笑みを浮かべながら小穴に視線を移した。
(わっ、来やはった――)
ぐっと肩を掴まれた痛みに声を上げそうになりつつ、草介もその穴から階下を見下ろす。
隼人の座敷に、呼ばれた若衆が入ってきたところだった。
艶やかな振袖に切り揃えた前髪。透き通るような白い肌に幼さの残る面立ちは、少女のそれにしか見えない。
(うっわ、可愛らしかいらし、めっちゃきれい……! あかん、ちょぉ、もお、何観音? ……神?)
声を殺して尋常ではない様子で興奮する菊子。呆気にとらている草介に、やはり小声の早口で説明を加える。
(あの子は今めっちゃ売れっ子の瑠璃駒ちゃんや。美貌とかほんま神。あとお値段も神。あのおじさま、えらいお大尽なんやなあ。草介はん、相手悪かったんちゃうか)
瑠璃駒と呼ばれた若衆は草介の眼下で三つ指をつき、そのまま隼人の横に侍ると酌をすべく、婀娜な仕草で銚子を手に取った。
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