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第十一章 岩倉邸グラント将軍御前仕合
継承の青年士官
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「郵便でござる」
端座した隼人が差し出した小包の束を、その青年は恭しく押し戴くように受け取った。
中身はほとんど桐の木箱や正絹の袋などに大切に納められ、開封される日をずっと待っていたのだ。
それらは綴じ本や巻子の姿をした、幾冊もの秘伝書だった――。
隼人と草介が牛鍋を囲んだその数日前。
二人は御留郵便をある人物のもとに届けていた。
東京築地。ここは築地本願寺の寺町として発展し、明治になると外国人居留地が開かれ海外貿易の市場ともなった地域だ。
幕末には近代海軍発足のため軍艦操練所が創設され、1872(明治5)年に海軍省がここに置かれたことから「海軍発祥の地」とも呼ばれている。
その程近く、かつて大名屋敷であった一角に目指す配達先はあった。
訪いを告げた隼人と草介を応対したのは、若い兵士だ。
まだ少年といって差し支えない年頃の海軍兵卒だが、折り目正しく実に堂々とした立ち居振る舞いは西洋の従騎士を思わせる。
広い邸内を通り、案内されたのは敷地に設けられた道場だ。
「どうぞ。お通しするよう仰せつかっております」
兵が道場の戸を開き、隼人は正面に対して一礼して足を踏み入れた。草介もそれにならい、ぴょこんと頭を下げる。
薄暗がりに浮かびあがったのは、すらりとした長身の青年だった。
撃剣の稽古で用いる藍色の胴着袴に身を包み、扇を手に舞いの鍛錬をしているようだった。
ちょうど一曲を舞い終えた青年は隼人らに気が付くと扇子を閉じ、真っすぐに近付いてきた。
上下にも左右にも寸分たりとも揺れぬ、見事なまでの身のこなし。
さしもの草介も、思わずその動作を美しいと感じていた。
「駅逓局・御留郵便御用、片倉隼人および草介。郵便物のお届けに参りました」
さっと踵を打ち合わせ、プロイセン式に挙手の礼を行った隼人に、その青年も同じく敬礼で応えた。
ただし隼人のそれは真横に大きく肘を張るのに対し、青年は小さく折り畳むような形だ。
陸軍と海軍の違いが如実に出ている。
「御苦労様です」
入口から差した光に照らされたのは、あたかも女形でも務まりそうな白皙の美男子だった。
軍人にはおろか、とても船乗りにすら見えぬ優男だ。
「海軍少佐、任那征士郎と申します」
そう名乗ってきびきびとした動作で敬礼を解くと、任那少佐はくしゃりと人の好さそうな微笑みを浮かべた。
――かくして届けられた伝書の山を前に、隼人と草介は茶のもてなしを受けている。
道場の上座は横長の畳敷きになっており、その端に茶道具と風炉が据えられて任那少佐が茶を点てたのだ。
抹茶など旨いと思ったことのない草介だが、隼人の作法を見様見真似で一口含むとその甘さに目を瞠った。
「お気に召しましたか」
「うめえです」
「まことに結構なお点前でござる」
爽やかに笑む青年に、草介も隼人も心からの賛辞を贈る。
屋内の暗がりに慣れてきた目に、壁に架けられた長短の木太刀、槍、薙刀、棒、鎖鎌、弓等々のあらゆる稽古道具が映った。
「不思議に思っておいででしょう。片倉さんに草介さん」
ふんわりとした声で、任那少佐が気さくに話しかける。
幕末期に託された大量の伝書が、今頃一人の青年のもとに集中した件についてだ。
御留郵便の立場上詮索できないことを知ってか、自然にその続きを語った。
「私はね、これらの素晴らしい文化を絶やしてはならぬと思っているのですよ。それゆえ能も茶の湯も武術も、自身が宿せる流派は継承するようにしています。これらの伝書はみな、戦火を逃れて次の伝承者に宛てて出されたものですね」
「御立派でござりまするな。……文武ともに、既に多くの御流儀が失伝したと聞いてござる」
「まことに残念なことです。しかし一つでも多く伝えねばと念じていたところ、こうして先人の書を受け取ったこと感謝の念に堪えません。片倉さんのことも伺っておりますよ。珍しい流派を伝えておいでだとか」
「いえ、それがしのは身を守るのが精々でござりますゆえ」
「ご謙遜を」
もう一度ふわりと笑った任那少佐に、隼人は黙って軽く頭を下げた。
好青年そのものの、軍人らしくもない若き海軍士官。
だがその横で草介は、隼人の一部始終がなんとはなしに緊迫したような、なぜか決して心を許していない様子を感じ取っていたのだった。
端座した隼人が差し出した小包の束を、その青年は恭しく押し戴くように受け取った。
中身はほとんど桐の木箱や正絹の袋などに大切に納められ、開封される日をずっと待っていたのだ。
それらは綴じ本や巻子の姿をした、幾冊もの秘伝書だった――。
隼人と草介が牛鍋を囲んだその数日前。
二人は御留郵便をある人物のもとに届けていた。
東京築地。ここは築地本願寺の寺町として発展し、明治になると外国人居留地が開かれ海外貿易の市場ともなった地域だ。
幕末には近代海軍発足のため軍艦操練所が創設され、1872(明治5)年に海軍省がここに置かれたことから「海軍発祥の地」とも呼ばれている。
その程近く、かつて大名屋敷であった一角に目指す配達先はあった。
訪いを告げた隼人と草介を応対したのは、若い兵士だ。
まだ少年といって差し支えない年頃の海軍兵卒だが、折り目正しく実に堂々とした立ち居振る舞いは西洋の従騎士を思わせる。
広い邸内を通り、案内されたのは敷地に設けられた道場だ。
「どうぞ。お通しするよう仰せつかっております」
兵が道場の戸を開き、隼人は正面に対して一礼して足を踏み入れた。草介もそれにならい、ぴょこんと頭を下げる。
薄暗がりに浮かびあがったのは、すらりとした長身の青年だった。
撃剣の稽古で用いる藍色の胴着袴に身を包み、扇を手に舞いの鍛錬をしているようだった。
ちょうど一曲を舞い終えた青年は隼人らに気が付くと扇子を閉じ、真っすぐに近付いてきた。
上下にも左右にも寸分たりとも揺れぬ、見事なまでの身のこなし。
さしもの草介も、思わずその動作を美しいと感じていた。
「駅逓局・御留郵便御用、片倉隼人および草介。郵便物のお届けに参りました」
さっと踵を打ち合わせ、プロイセン式に挙手の礼を行った隼人に、その青年も同じく敬礼で応えた。
ただし隼人のそれは真横に大きく肘を張るのに対し、青年は小さく折り畳むような形だ。
陸軍と海軍の違いが如実に出ている。
「御苦労様です」
入口から差した光に照らされたのは、あたかも女形でも務まりそうな白皙の美男子だった。
軍人にはおろか、とても船乗りにすら見えぬ優男だ。
「海軍少佐、任那征士郎と申します」
そう名乗ってきびきびとした動作で敬礼を解くと、任那少佐はくしゃりと人の好さそうな微笑みを浮かべた。
――かくして届けられた伝書の山を前に、隼人と草介は茶のもてなしを受けている。
道場の上座は横長の畳敷きになっており、その端に茶道具と風炉が据えられて任那少佐が茶を点てたのだ。
抹茶など旨いと思ったことのない草介だが、隼人の作法を見様見真似で一口含むとその甘さに目を瞠った。
「お気に召しましたか」
「うめえです」
「まことに結構なお点前でござる」
爽やかに笑む青年に、草介も隼人も心からの賛辞を贈る。
屋内の暗がりに慣れてきた目に、壁に架けられた長短の木太刀、槍、薙刀、棒、鎖鎌、弓等々のあらゆる稽古道具が映った。
「不思議に思っておいででしょう。片倉さんに草介さん」
ふんわりとした声で、任那少佐が気さくに話しかける。
幕末期に託された大量の伝書が、今頃一人の青年のもとに集中した件についてだ。
御留郵便の立場上詮索できないことを知ってか、自然にその続きを語った。
「私はね、これらの素晴らしい文化を絶やしてはならぬと思っているのですよ。それゆえ能も茶の湯も武術も、自身が宿せる流派は継承するようにしています。これらの伝書はみな、戦火を逃れて次の伝承者に宛てて出されたものですね」
「御立派でござりまするな。……文武ともに、既に多くの御流儀が失伝したと聞いてござる」
「まことに残念なことです。しかし一つでも多く伝えねばと念じていたところ、こうして先人の書を受け取ったこと感謝の念に堪えません。片倉さんのことも伺っておりますよ。珍しい流派を伝えておいでだとか」
「いえ、それがしのは身を守るのが精々でござりますゆえ」
「ご謙遜を」
もう一度ふわりと笑った任那少佐に、隼人は黙って軽く頭を下げた。
好青年そのものの、軍人らしくもない若き海軍士官。
だがその横で草介は、隼人の一部始終がなんとはなしに緊迫したような、なぜか決して心を許していない様子を感じ取っていたのだった。
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