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第十一章 岩倉邸グラント将軍御前仕合

牛鍋と御留郵便

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1879(明治12)年7月、東京。
火鉢にかけられた浅い平鍋を二人の男が囲んでいる。

片方は軍人のように短く刈り込んだ燻銀の頭髪。歳の頃は五十を超えたほどであろうか、鋭い眼光に髪と同じ色の口髭も精悍な益荒男だ。
濃鼠の着流しを身にまとい、夏らしいパナマ帽が傍らにある。

もう一人はまだ二十をいくつか過ぎた位であろう若者で、袴履きのさっぱりとした和装だが下には白シャツを身に着けた書生風だ。
さっきから眉をしまりなく八の字に下げて、手にした文をいつまでもデレデレと眺め回している。

「おい、草介。そろそろ煮えるぞ」

片眉をぴくりと上げつつ、五十がらみの男が静かに声をかける。

「おぉん」

草介と呼ばれた若者は生返事で応えるが、相変わらずにやにやと文に目を落としたままだ。

「先程からなんなのだ、気持ちの悪い。煮過ぎると固うなって旨くないのだぞ」
「気持ちわりいたぁなんでぇ。お由良ちゃんからの真心こもった文じゃねぇか。はーさんのこともトシだし心配しんぺえしてるってよ」
「儂はまだまだ走れるとも」

はーさんと呼ばれた男、片倉隼人はもう一度片眉を上げると鍋の中身を改めて草介にすすめる。

「よい頃合いだ。由良乃どのの文は大切にしまっておけ」
「おう、旨そうじゃねぇかい!」

二人が囲んでいるのは牛鍋。すき焼きの原型ともされる文明開化の味覚だ。
当時の東京には既に600件近い牛鍋屋が軒を連ねていたという。
ぶつ切りの肉と五分切りの葱を味噌だれで煮込んだもので、臭み消しに山椒も振り入れてある。
かけ蕎麦一杯が一銭弱、この牛鍋の並が三銭五厘。特段に高値こうじきな料理でもなかったが、食べたことのない草介が隼人にねだって連れてきてもらったのだ。

「これぁうめぇや……!」
「ああ、いい味だ」

熱々の甘辛い味噌がからんだ牛肉はやわらかく、力が湧いてくるような味わいだ。飯に合う。酒にも合う。値は張るがビールもシャンパンも既にメニューに載っていた。
だが若者には飯の方がよいようで、肉をくたくたに煮えた葱とともに白米に乗せ、草介は夢中でかき込む。

「あふっ、あっふ。はーはん、食わへぇほ?」
「儂はこれ位で十分だ。肉の追加もできるゆえ、どんどん食うといい」
「そっか、はーさんトシだもんな」
「張り倒すぞ」

親子ほども歳が離れているこの妙な二人は、郵便脚夫だ。
だが通常の集配人ではない。
維新期の動乱で届けられなかった書状や小包を配達する「御留郵便御用」という特殊任務に就いているのだ。
郵便脚夫は現金や貴重品を運ぶことからしばしば危険にさらされ、郵便物を守るために警察官より早く六連発のリボルバーを装備していた職だ。
隼人と草介のような御留郵便ではなおのことで、さらなる自衛のため帯刀も許可されている。
手練れの剣士が多くこの任に就いたことから、密かに「剣客逓信」とも呼ばれていた。

「はーさん、なんか上の空だな」

肉と米を頬張りながら草介が隼人を見やる。
この若者はがさつなようでいてよく人を見ており、隼人の僅かな心の動きにも敏感に反応するのだ。

「そうか」
「おうよ。こないだ御留郵便届けた海軍さんのことだろ」
「うむ……。少し気になることがあってな」

隼人と草介が預かった今回の御留郵便。それは維新期に託された、幾冊もの伝書だった。
一つは能楽の秘伝を記した「能本」。そしてその他は剣術や柔術等々、伝承の危機にあった数々の武術流派における極意書だ。
そのいずれも幕末の動乱で衰退した在地の流派にほかならず、維新から十二年が過ぎようという今、奇跡的に次代の伝承者の手へと渡ったのだった。

だが、奇妙なことがある。

それはいくつもの伝書が、たった一人の青年の元へ届けられたことだ。
海軍少佐だというその青年は、草介より五つか六つほど年嵩に見える白皙の美男子だった。

「郵便の中身を見るなどということは許されぬ。しかしな……伝書のいくつかに、聞き覚えのある流派名があったのだ」
「聞き覚え?」
「ああ。我らの遣う無陣流と同じく、歴史の裏で伝えられた紀伊の秘術」
「それが全部あの海軍さんのとこにってか」
「妙だと――儂はそう思う」

煮詰まってきた鍋に白湯さゆを差し、隼人と草介はつい先日言葉を交わした青年に思いを馳せた。
海軍少佐の彼は、“任那みまな征士郎せいしろう”と名乗ったのだった。
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