70 / 104
第十章 追憶観桜
“壬生狼”の男、“小太刀日本一”の最期
しおりを挟む
西南の役で会うた際には「藤田五郎」と名乗っておられたな。
ああ、その通り。かの新撰組で四番隊、のちに三番隊組長を務められた「斎藤一」殿だ。
斎藤殿と面識を得たのは慶応3年12月7日――草介にはもはや西暦の方がわかりよいか。1868年の元日にあたるか。
その日、紀州藩公用人の三浦休太郎殿らが江戸から京へと出張ってきておった。
三浦殿は強硬な佐幕論、つまり新政府と事を構えようというお考えであられたのだ。
油小路の天満屋という旅籠に入り、その護衛任務を命じられたのが新撰組だった。
儂も密書の受け渡しを兼ねて三浦殿のお側におった故、その折に斎藤殿と初めてお目にかかったのだ。
抜身の刀のような、と人はいうがその通りだ。
鋭く隙の無い、全身が刃物のような方だった。
だがそれはひとり斎藤殿だけではない。もはや御名も思い出せぬ他の隊士の方々も、いずれも白刃の下を潜り抜けてきた精鋭揃い。
三浦殿の護衛は――7名ほどであったか。
酒宴となった夜、突如として天満屋に上がり込んできた手勢がいた。
土佐海援隊および陸援隊を中心とした、計16名だ。
丁度ひと月ほど前、坂本龍馬殿が京の近江屋で中岡慎太郎殿と共に斬られた。
まことの下手人は分からぬ。が、同年の伊呂波丸沈没事件で多額の賠償金を支払った紀伊が、坂本殿への怨みで手を下したものと思われておったのだ。
そうだ。最終的に紀伊の代表として談判した三浦殿が狙われたのだよ。
広間に踊り込んできた彼らのうち、三浦殿を確かめるため声をかけたのが十津川郷士の中井庄五郎殿であった。
そのまま斬り付けられ、三浦殿は顔に傷を負われた。
すぐさま燈火が消され、暗闘が始まった。
儂は最優先の任務であった三浦殿の護衛に掛かりきりであったが、暗がりにしばしば射し込む明かりに知った顔を見た。
陸奥宗光卿だ。
卿は紀伊を脱藩後、海援隊士として活動しておられた。御父君が政争に敗れて失脚したため、幼少には辛酸を舐め紀伊に恨みを抱いて育ったという。
陸奥卿は殊に坂本龍馬殿を慕っておられたのでな。
数の上でも彼らが優勢だったが、新撰組を相手取ってなお引けを取らぬほどに強かった。
斎藤殿も後ろを取られて危うい局面があったという。
ほどなく騒ぎを察知した紀伊と新撰組の増援が駆け付けたが、その頃には陸奥卿らは鮮やかに退いておった。
新撰組は2名が死亡、紀伊の重役含め数名が重軽傷、襲撃した側は中井庄五郎殿が命を落とされた。
その後、在京の折りに斎藤殿と顔を合わせると幾度か酒を酌み交わした。
もっとも二人ともあまり喋らなんだがな。
見廻組のことか。
そうさな、鳥羽伏見の戦で会津の方々が紀伊へ逃れてきたことは話したろう。
その中に、見廻組の長・佐々木只三郎殿もおられたのだよ。
知っておるのか。ああ、“小太刀日本一”と称えられた、不世出の達人だ。
奥方様が紀伊藩士の娘であるなど、紀州とはゆかりの方でもある。
そして、坂本龍馬殿を斬ったのはこの佐々木殿の一隊だったのではとも言われておるな。
儂が和歌の浦における会津兵救護の任でお目にかかった時には、佐々木殿は既に虫の息であられた。
腰に銃弾を受けており、苦しみながら亡くなられたという。
その最期が紀三井寺だったのか軍艦・富士山丸の中だったのかは判然とせぬが、墓は紀三井寺に建てられているそうだ。
世はなべて
うつろふ霜に ときめきぬ
こころづくしの しら菊のはな
佐々木殿の、辞世だという。
苦痛に満ちた死の床で、結晶しては融けてゆく霜を餞の白菊に見立てたのであろうか。
儂は人伝てに聞いただけだが、胸を塞ぐ思いは未だに晴れぬ。
その頃からであろうか、路傍の辻仏や石神などを見かけると無心に手を合わせるようになったのは。
供養、か……そうさな。
今の儂には、それ以外の言葉が思い浮かばぬのだよ――。
ああ、その通り。かの新撰組で四番隊、のちに三番隊組長を務められた「斎藤一」殿だ。
斎藤殿と面識を得たのは慶応3年12月7日――草介にはもはや西暦の方がわかりよいか。1868年の元日にあたるか。
その日、紀州藩公用人の三浦休太郎殿らが江戸から京へと出張ってきておった。
三浦殿は強硬な佐幕論、つまり新政府と事を構えようというお考えであられたのだ。
油小路の天満屋という旅籠に入り、その護衛任務を命じられたのが新撰組だった。
儂も密書の受け渡しを兼ねて三浦殿のお側におった故、その折に斎藤殿と初めてお目にかかったのだ。
抜身の刀のような、と人はいうがその通りだ。
鋭く隙の無い、全身が刃物のような方だった。
だがそれはひとり斎藤殿だけではない。もはや御名も思い出せぬ他の隊士の方々も、いずれも白刃の下を潜り抜けてきた精鋭揃い。
三浦殿の護衛は――7名ほどであったか。
酒宴となった夜、突如として天満屋に上がり込んできた手勢がいた。
土佐海援隊および陸援隊を中心とした、計16名だ。
丁度ひと月ほど前、坂本龍馬殿が京の近江屋で中岡慎太郎殿と共に斬られた。
まことの下手人は分からぬ。が、同年の伊呂波丸沈没事件で多額の賠償金を支払った紀伊が、坂本殿への怨みで手を下したものと思われておったのだ。
そうだ。最終的に紀伊の代表として談判した三浦殿が狙われたのだよ。
広間に踊り込んできた彼らのうち、三浦殿を確かめるため声をかけたのが十津川郷士の中井庄五郎殿であった。
そのまま斬り付けられ、三浦殿は顔に傷を負われた。
すぐさま燈火が消され、暗闘が始まった。
儂は最優先の任務であった三浦殿の護衛に掛かりきりであったが、暗がりにしばしば射し込む明かりに知った顔を見た。
陸奥宗光卿だ。
卿は紀伊を脱藩後、海援隊士として活動しておられた。御父君が政争に敗れて失脚したため、幼少には辛酸を舐め紀伊に恨みを抱いて育ったという。
陸奥卿は殊に坂本龍馬殿を慕っておられたのでな。
数の上でも彼らが優勢だったが、新撰組を相手取ってなお引けを取らぬほどに強かった。
斎藤殿も後ろを取られて危うい局面があったという。
ほどなく騒ぎを察知した紀伊と新撰組の増援が駆け付けたが、その頃には陸奥卿らは鮮やかに退いておった。
新撰組は2名が死亡、紀伊の重役含め数名が重軽傷、襲撃した側は中井庄五郎殿が命を落とされた。
その後、在京の折りに斎藤殿と顔を合わせると幾度か酒を酌み交わした。
もっとも二人ともあまり喋らなんだがな。
見廻組のことか。
そうさな、鳥羽伏見の戦で会津の方々が紀伊へ逃れてきたことは話したろう。
その中に、見廻組の長・佐々木只三郎殿もおられたのだよ。
知っておるのか。ああ、“小太刀日本一”と称えられた、不世出の達人だ。
奥方様が紀伊藩士の娘であるなど、紀州とはゆかりの方でもある。
そして、坂本龍馬殿を斬ったのはこの佐々木殿の一隊だったのではとも言われておるな。
儂が和歌の浦における会津兵救護の任でお目にかかった時には、佐々木殿は既に虫の息であられた。
腰に銃弾を受けており、苦しみながら亡くなられたという。
その最期が紀三井寺だったのか軍艦・富士山丸の中だったのかは判然とせぬが、墓は紀三井寺に建てられているそうだ。
世はなべて
うつろふ霜に ときめきぬ
こころづくしの しら菊のはな
佐々木殿の、辞世だという。
苦痛に満ちた死の床で、結晶しては融けてゆく霜を餞の白菊に見立てたのであろうか。
儂は人伝てに聞いただけだが、胸を塞ぐ思いは未だに晴れぬ。
その頃からであろうか、路傍の辻仏や石神などを見かけると無心に手を合わせるようになったのは。
供養、か……そうさな。
今の儂には、それ以外の言葉が思い浮かばぬのだよ――。
1
お気に入りに追加
59
あなたにおすすめの小説
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~
佐倉伸哉
歴史・時代
その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。
父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。
稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。
明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。
◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
浅葱色の桜
初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。
近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。
「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。
時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。
小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる