剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ

文字の大きさ
上 下
68 / 104
第十章 追憶観桜

旧幕敗残兵救護

しおりを挟む
当初の紀伊が選んだのは薩長への徹底抗戦だった。

1月4日、和歌山城に討薩表が届くと紀伊附家老の新宮藩主・水野忠幹ただもと公が大阪城へ急行。
6日には紀伊藩兵1個大隊を奈良経由で京へ展開させる作戦を立案し、2個中隊に高野山出兵を下命した。
同時に山麓の橋本防備を厳とし、さらに第二波としての1個大隊が進発の準備を進めていたという。

紀伊はあくまで戦う姿勢を崩さなかったのだ。

が、戦の趨勢は既に決していた。
そうだ。
6日夜、慶喜公は大阪城を脱しあそばされた。
翌7日に旧幕府海軍・開陽丸に御座乗された慶喜公は8日夜に大阪湾を出港、12日に江戸・品川に着かれたという。

怒り?
ああ、そうだな。慶喜公が我らを見捨ててお逃げあそばされたと――。

左様に思った者は旧幕兵にも少なくなかったのだよ。
しかし……な。
慶喜公は禁門の変の折り、禁裏御守衛として御自ら徒歩かちのまま敵と斬り結ばれたのだ。
徳川将軍としては戦国の世を生きた初代様・二代様以来のことであろうな。
その御方が、本当に命が惜しいために逃げ出したのであろうか。

儂にはな、どうあっても日の本での内乱を避けようと思し召されたように感じられてならぬのだ。
総力を挙げてぶつかっては、日の本の力全体が衰えてしまう。
その機会を海外列強は手ぐすね引いて待ち構えていたのではないか。
大将がいなくては戦にもならぬ――。
無論、その御心内は知る由もないがな。

さて、取り残された形の諸藩のうち、紀伊には引き続き大阪城を守衛するよう幕命が下った。
しかし慶喜公東下の上は紀伊のみにては致しかねると、水野忠幹公はこれに従わなかった。
その間にも会津や桑名の旧幕兵が、鳥羽伏見の敗戦から大阪方面に撤退を続けていたのだ。

慶喜公を追って江戸方面へ向かおうにも、当時は彦根藩が朝廷側についていたため陸路では往けぬ。
そこで海路によって脱出すべく、続々と敗残兵が紀伊へと流れてきた。
この上での出兵は拒んだ紀伊だったが、旧幕兵の救護には全力で対応したのだ。
その頃、儂も会津の方々の手当てや脱出の手配に従事しておった。

藩の仕入れなどを扱っていた伝法役所というところが臨時の収容施設となったがとても足りるものではなく、城下近くの紀ノ川の河原一面に傷付いた兵たちがひしめき合ったのだ。
その様は、無残というよりほかなかった。

藩論はいまだ本国と江戸表では不戦と抗戦で割れておったが、藩主・茂承もちつぐ公の御意向はあくまで不戦であった。
したがって朝廷には恭順の意を示しておったが、旧幕兵を匿っている事実は覆らぬ。
そこで8日以降、紀伊は朝廷への使者を立てた。
持参した書状には「勅命に従って大阪城攻略に尽力すること」「徳川一門として此度の騒乱を深くお詫びすること」「紀伊に入ってきた旧幕敗残兵を紀伊・加太から大阪南部へ退去させること」などが記されておったのだ。
だが「道中彼是相障リ本道難通」、つまり「色々あって道が通りにくかった」という理由をつけて使者が京に到着したのはようやく12日になってのこと。御留守居役経由で書状を差し出したのは、翌13日のことであった。

そう。無論時間稼ぎだ。
大阪城を攻める気も、敗残兵を追い払う気も、毛頭ない。
ああ、その通り。その文を届けたのは儂だ。
さすがにこう、胸が熱くなる思いであったな。

後で分かったことだが、紀伊を頼って来られたのは会津の方々だけで1800名余りおられたという。
彼らを紀三井寺へ、あるいは加太の港から由良の港へ船で運び、三河の吉田港まで海路脱出させたのは紀伊の尽力によるものだった。
その費用は旧幕が負担することになっていたが、足りぬ分は紀伊がすべて持ったという。
本藩は公然と各地の庄屋らに協力を求め、朝廷からの譴責にも一応の配慮をして、そろそろ無事に紀伊領から離れたであろう時機を見計らって旧幕兵の探索令を発するなどしておったな。
こうして秘密裏に救護を行っていたことから、歴史の表舞台には取沙汰されることがなくて当然なのだ。

だが紀伊のこの立ち回りは、朝廷からの厳しい追及を招くことにもなるのだった。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

【完結】月よりきれい

悠井すみれ
歴史・時代
 職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。  清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。  純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。 嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。 第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。 表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません) 南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。 表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。 2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

処理中です...