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第十章 追憶観桜

戊辰の戦と紀伊の進退

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ふむ――。

戊辰の戦の折、紀伊はいったい何をしていたのか、か。

いや、草介の疑問も無理はない。
有体に言えば、何もしなかったように感じても仕方のないこと。
傍からは、御三家でありながら新政府に抗いもしなかったように見えたであろうな。

弱腰、日和見、裏切者……ありとあらゆる罵倒を受けたものであるし、今もそうした印象は拭いされないだろう。

実際のところ?

そうさな。表立ってはできぬことを、日陰でこっそりしていたというのが真実といえようか。
なんとなれば……それ。紀伊は関西の要衝にある御三家でありながら、ついに本国を戦火に巻き込まず切り抜けた国なのだ。
綱渡りといえば、文字通りあれほど綱渡りの時代もそうはなかったかもしれぬな。

大政奉還のことは――おお、覚えておるか。何、草介はまだそんな子供だった頃か。
慶応3年、西暦では1867年の10月14日。上様……慶喜公は朝廷に大政奉還の上表を行われた。
どういった力が働いたものか、朝廷内でも政権運営を将軍に再委任すべしとの声が強かったものが翌日にこれを受理。しかも薩摩と長州あてに慶喜公を賊臣として幕府を滅するよう、勅令が下されたというのだ。
この倒幕の密勅は真偽のほどが定かではない。
岩倉具視卿得意の、強引な寝技であろうという予測が大半ではあるが。

慶喜公が将軍職辞任を願い出たのは同10月24日のことで、朝議としては公の地位と処遇をある程度まで従前通りに保証する方向で動いていたという。
だが、薩長にとってはそれでは困るというのが本音だったのであろう。

密勅を楯にあくまで幕府を滅するべく、11月には薩摩藩主・島津忠義公自ら隊を率いて京に入った。
洛中に集ったその兵力は1万を超えていたという。

だが、これにもっとも激しく反発したのは、実は紀伊だったのだ。
特に江戸においては主導的な役割を果たし、11月3日より赤坂の紀州藩邸で親藩や諸藩の重臣らが会合。
12日には同じく紀州藩邸に御三家も集結し、徳川三百年来の恩に報いるため幕府を守るという立場を決した。
朝廷より上京の命が下ってもこれに応じない「朝召辞退」を約し、朝臣とはならぬことを選んだのだ。

事実、この直後の同18日に慶喜公直筆の書状で紀伊藩主・茂承もちつぐ公へ上京の督促が出されたのだが、紀伊殿はこれに従わなかった。
ああ、そうだな。将軍とは主君ではあるが、幕府そのもの・・・・・・ではないという回答であろうな。

薩長が主導して王政復古の大号令が出されたのが12月9日、是が非でも旧幕勢力を滅したい彼らは江戸の薩摩藩邸に無頼の徒を集め、市中で乱暴狼藉を働かせるなどして挑発を続けた。
一方の旧幕府側も12月25日、市中取締の庄内藩らに命じて薩摩藩邸を焼討させるなど、両者はまさしく一触即発の状態であったのだ。

空けて慶応4年正月、江戸での暴挙に対し慶喜公は薩摩が朝廷の意を離れて狼藉を行っているという、いわゆる「討薩表」を起草した。
そしてこれを朝廷に上表すべく、翌2日に旧幕1万5000の兵が大阪城を進発し京へと向かったのだ。
薩長はこれを阻止すべく、鳥羽と伏見の両街道におよそ5000の兵力を配置した。

そうだ。これが「鳥羽伏見の戦い」の直接の契機となったのだ。

その頃、紀伊には前年12月より既に朝廷から派遣された鷲尾隆聚わしのおたかつむ侍従の率いる兵が、高野山を拠点として展開していた。
無論、王政復古への反発が予想されたことによる牽制と監視が目的で、これには土佐陸援隊を中心に100名ほどが動員されていたようだ。
鷲尾侍従はさらに十津川郷士に義兵参加を呼びかけ、これに約3000名が応じた。
高野山にも三千両という御用金拠出を命じ、これらの連絡を事前に受けていなかった紀伊本藩は、山麓の橋本という町に農兵隊を派遣して警戒の目を光らせていたという。

そして1月3日、ついに旧幕軍と薩長軍は鳥羽伏見で激突した。

これに際して紀伊には旧幕府より「大阪市中の警備」を、朝廷からは「大阪城の攻略」がそれぞれ下命され、板挟みの状態になったのだ――。
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