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第十章 追憶観桜

墓参の宴

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「はーさん、墓めえりなんてしねえの」

何気ない風を装いつつも、その実ちょっとした決意を込めて草介が尋ねた。

「墓参り……?」
「おうよ。おかみさん…おまきさんのに決まってらあな」

踏み込んだことを言っていると自覚があった。
隼人の妻、まき。
その哀しく若すぎた最期と東堂靫衛との因縁を聞いた上では、おいそれと名を出すことも憚られる思いだった。
隼人にとっても、触れられたくない過去だとしてもおかしくはない。

だが、それだけに草介は意を決して切り出してみたのだった。

「いや、実は……妻の墓前にはまだ立っておらぬのだ」
「ファッ!? 一度も??」
「うん」
「そいつぁいけねえよ」
「やはりいけねえか」
「たりめぇだろ、この頓珍漢め」
「面目ない」
「よし! 行こうじゃねえか、墓参によ!」

こうしてしおらしい隼人を引っ張るように、草介は紀伊を訪れた際に和歌の浦へと足を延ばしたのだった。
万葉歌にも詠まれた海の景勝だが、戦国の世には鉄炮傭兵集団として名高い「雑賀衆」の本拠があった土地でもある。
そして若き隼人が民兵と共に訓練を受け、まきと出会った法福寺が鎮座している。

まきの墓は、法福寺から南西に向かった岬の突端に建てられていた。
海辺に沿って立ち上がる小山の続きにそれはあり、森を抜けると一面に海が広がっている。
そして、辺りには満開の桜がひらひらと花を降らせているのだった。

「はーさん、すげえ景色だあな」
「ああ」
「さっ、まずは掃除すんぞ」
「うん」

それは小さいながら、存外にしっかりとした墓石だった。
寺の者か近隣の者が丁寧に供養してくれているのだろう、供華はまだ古びておらず辺りは掃き清められている。
戒名が彫られた部分にも苔すら溜まってはいない。
半円の弧を描く墓石の頭も黒ずみがなく、まめに灌水されていることを窺わせる。

掃除という意味ではさしてすることもないのだが、草介が携えてきた水桶で二人はぱしゃぱしゃとまきの墓石を清め、途中で手折ってきた高野槇を供えた。
草介は懐から線香も取り出し、燐寸マッチで火を点すと清浄な煙が春風に揺蕩たゆとうた。

「なんと用意のいい」
「墓参なんだから、ったりめえだろ。次から欠かすんじゃねえぞ」
「面目ない」
「おっ、それとよう。おかみさんあめえもんいけるクチだったかい」
「ああ、好物だったな」
「じゃあ酒は?」
「度々儂が潰された」
「よしよし、じゃあお供えするぜ」

これまた草介が持参した包みから饅頭などの甘味と徳利、そして猪口を取り出した。
まきの墓前にこれらを供え、空の猪口には隼人の手で酒を満たすよう促した。

「これはまた……何から何まで」
「ったく、おいらがいねえと駄目だぁな」
「かたじけない」
「ほれ、奥方にご挨拶しな」

いつの間にか保護者のように振る舞う草介に言われるがまま、隼人はまきの猪口に酒を注いで手を合わせた。

「あー……。無沙汰をお詫び申し上げまする……。そのう……息災であられたか」

妙な言葉が口をついて出る隼人。
だが草介は、その姿に不思議と心温まるような思いがしている。

「それがしは御蔭にて怪我一つ…いや、まあこの通りでござる……。してこちらは、共に勤めておる草介殿と申して……」

歯切れ悪く墓前に報告する隼人に吹き出しそうになりながら、草介は後を引き継いだ。

「おひけえなすって」

少し頭を下げるようにして中腰となり、身体は斜めに構えてぐいっと右の掌を前に突き出した。

手前生国てめえしょうごくと発しまするは、江戸にござんす。江戸と申しても広うござんして、猿若町の仕舞屋しもたやで産湯をつかい、二親の面も覚えちゃいねえ身でございやす。元より姓もねえ、根無し草の草介と申す者、縁ありまして御夫君と御留郵便御用を稼業といたしておりやす。経の一つも読めねえ不調法者ではございやすが、面体めんていお見知りおきの上向後万端きょうこうばんたん宜しくおたの申しやす」

立て板に水を流すが如き口上に呆気にとられた隼人だったが、その口元は我知らず綻んでしまっていた。
一息に言上された仁義。草介が知る、最上の礼をまきに捧げたのだ。

「見事だ。まきは……たいそう喜んでいるだろう」
「へへっ、そうかい。おう、おいらたちもご相伴」
「おお、かたじけのう」
「おかみさんと花見と洒落込もうぜ」

互いに猪口を持ち、海と桜を借景に墓前へ胡坐をかいた二人。
草介は隼人の器を、なみなみと酒で満たした。
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