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第九章 南龍のドライゼ
南龍の眷属たち
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木立の間隙を縫うように、方々で白兵戦が始まった。
薩軍、東堂の部隊はいずれも銃を置いて日本刀を構え、隼人が指揮する旧紀伊兵らはいずれも銃剣をかざして斬り結んだ。
ずいぶんと光が射し込んできた森で、互いの姿が鮮明に浮かび上がってきていた。
裂帛の気合と共に斬り込んでくる薩摩兵らであったが、長途の強行軍でさすがに心身ともに困憊していると見え、動きは精彩を欠いている。
隼人は真っすぐに走った。
その刃圏の先には、今しも刀の柄に手掛けしようとする東堂靫衛の姿が――。
――一方、草介の視線の延長線上には、白刃を大きく右上方に突き上げた男の姿があった。
薬丸自顕流、蜻蛉の構え――。
あの日熊本城近くで草介と隼人を偵察部隊から庇った、東堂隊の副官と思しき男だ。
「キィアァァァァァァァァッ!!!」
“猿叫”とも呼ばれる狂乱の掛け声と共に、地を蹴って殺到してくる薩摩剣士。
戦場でこの声を聴いた者は、まるで妖魔に遭遇したかのような恐怖に駆られるというのもむべなること。
だが、草介は既に腹を括っている。
“まともに受けようとするな”
冴え渡った頭に、隼人の教えがはっきりと蘇る。
受けた刀ごと押し込まれ、自身の鍔が頭にめり込んで死んだ者すらいるという。それほど激烈な斬撃なのだ。
敵に襲い掛かる軍鶏を思わせる足取りで接近してくる。薩摩の太刀がもはや眼前にまで迫っている。
しかし草介には、不思議とその動きがゆっくりとしたものに見えていた。
「ッチエェェェェェェイッッ!!!」
速度と質量の物理法則を最大限に利用した神速の袈裟斬りが、草介の肩口目掛けて振り下ろされ――。
――走り掛かる隼人の斬り込みを、東堂は抜刀と同時に受け留めた。
そのまま連続して二の太刀、三の太刀と白刃が撃ち合わさり、互いは抗えぬ引力に吸い寄せられるかのように鍔迫り合いで密着した。
定石ならば、間髪入れずに離れるべき危険な状況だ。
だが東堂の白い左眼は隼人の視線を絡め取り、隼人もまたそれを正面から受け止めた。
零の距離で、二人は白刃を介して雄弁に語る。
「見事だ、片倉。紀伊のドライゼが今、歴史を変えているではないか」
「違うぞ東堂、断じて違う! 流してはならぬ血が流されているのが、なぜわからぬ!」
「わかっているさ。歴史はな、繰り返すのだよ。人の世が続く限り永えに。私はそれをこの目で見届けたいだけだ」
「お前は狂っている、東堂」
「いかにも。それにしても紀伊兵の堂々たること……。さても南龍公――徳川頼宣公に仕えた兵どもの末裔よ。さしずめ南龍の眷属たちというべきか」
「弄するなっ! 言葉をっ!!」
引力が反転したかのように二人は弾き合い、再びの間合いを取って構え合った――。
――草介の眼は、迫りくる猛刃の軌道を正確に捉えていた。
死地に委ねた身は、何も考えずとも、その瞼に焼き付けた動きを再現してゆく。
肩口に届く。地軸の底まで斬り下ろす全霊の太刀が。
その瞬間、草介は重力に導かれるように身を沈め、片膝をついた。
刀は切っ先を左斜め上方に突き出すように。そして左手は、柄もろともに自身の右腕を掴み――。
薩摩の剛剣は、草介の刀の裏鎬に沿ってふわりと逸れた。
枝に積もった六花の綿が、自然に滑り落ちてゆくように。
無陣流・“垂雪・陰”――。
隼人が大久保卿との稽古でただ一度見せた技。
渾身の斬撃を流された男は驚愕の表情と共に、制御を失った自身の刀勢でもんどりうって斜めに投げ出された。
その時、草介の右手頭上から、次々に発砲音が鳴り響いた。
追い付いた薩軍本隊が東堂隊の援護射撃に回ったのだ。
無論、やみくもに無駄弾を撃つような愚は犯さない。
隼人隊に形成不利を示すにはこれで十分だ。
「退避! 崖を滑り降りろ!」
隼人が叫んだ瞬間、玉置曹長をはじめ全員が次々に斜面の下へと滑り降りていった。
薩軍の銃撃はそれ以上続かず、東堂隊も深追いはしてこない。
「また生き延びたな、片倉」
今や頭上かなたから、東堂が別れを惜しむかのような声で語りかける。
「だが本音を言うと――。少々安堵している」
崖上の東堂はその場に片膝をつき、はるか下の隼人たちに囁く。
「私は薩摩にも幻滅しているのだ。この国の王になれたものを。日の本をハヤヒトの国にできたものを――。これも歴史の連環通りなのかもしれぬな。私が薩摩と行を共にするのはこれまでだ。生きてまた会おう、片倉。――それに草介君」
踵を返した東堂は、そのまま薩軍本隊の進路とは逆の方向へと姿を消した。
続々と頭上の尾根道を渡る薩摩兵らの様子は、まるで野辺の葬列を見るかのようだ。
東堂隊の兵たちも次々に身を隠し、草介と戦った男だけが最後までこちらをじっと見下ろしている。
だが彼が姿を消すと、辺りはまた静寂に包まれた。
朝の光が、梢を縫って射し込んでいた。
薩軍、東堂の部隊はいずれも銃を置いて日本刀を構え、隼人が指揮する旧紀伊兵らはいずれも銃剣をかざして斬り結んだ。
ずいぶんと光が射し込んできた森で、互いの姿が鮮明に浮かび上がってきていた。
裂帛の気合と共に斬り込んでくる薩摩兵らであったが、長途の強行軍でさすがに心身ともに困憊していると見え、動きは精彩を欠いている。
隼人は真っすぐに走った。
その刃圏の先には、今しも刀の柄に手掛けしようとする東堂靫衛の姿が――。
――一方、草介の視線の延長線上には、白刃を大きく右上方に突き上げた男の姿があった。
薬丸自顕流、蜻蛉の構え――。
あの日熊本城近くで草介と隼人を偵察部隊から庇った、東堂隊の副官と思しき男だ。
「キィアァァァァァァァァッ!!!」
“猿叫”とも呼ばれる狂乱の掛け声と共に、地を蹴って殺到してくる薩摩剣士。
戦場でこの声を聴いた者は、まるで妖魔に遭遇したかのような恐怖に駆られるというのもむべなること。
だが、草介は既に腹を括っている。
“まともに受けようとするな”
冴え渡った頭に、隼人の教えがはっきりと蘇る。
受けた刀ごと押し込まれ、自身の鍔が頭にめり込んで死んだ者すらいるという。それほど激烈な斬撃なのだ。
敵に襲い掛かる軍鶏を思わせる足取りで接近してくる。薩摩の太刀がもはや眼前にまで迫っている。
しかし草介には、不思議とその動きがゆっくりとしたものに見えていた。
「ッチエェェェェェェイッッ!!!」
速度と質量の物理法則を最大限に利用した神速の袈裟斬りが、草介の肩口目掛けて振り下ろされ――。
――走り掛かる隼人の斬り込みを、東堂は抜刀と同時に受け留めた。
そのまま連続して二の太刀、三の太刀と白刃が撃ち合わさり、互いは抗えぬ引力に吸い寄せられるかのように鍔迫り合いで密着した。
定石ならば、間髪入れずに離れるべき危険な状況だ。
だが東堂の白い左眼は隼人の視線を絡め取り、隼人もまたそれを正面から受け止めた。
零の距離で、二人は白刃を介して雄弁に語る。
「見事だ、片倉。紀伊のドライゼが今、歴史を変えているではないか」
「違うぞ東堂、断じて違う! 流してはならぬ血が流されているのが、なぜわからぬ!」
「わかっているさ。歴史はな、繰り返すのだよ。人の世が続く限り永えに。私はそれをこの目で見届けたいだけだ」
「お前は狂っている、東堂」
「いかにも。それにしても紀伊兵の堂々たること……。さても南龍公――徳川頼宣公に仕えた兵どもの末裔よ。さしずめ南龍の眷属たちというべきか」
「弄するなっ! 言葉をっ!!」
引力が反転したかのように二人は弾き合い、再びの間合いを取って構え合った――。
――草介の眼は、迫りくる猛刃の軌道を正確に捉えていた。
死地に委ねた身は、何も考えずとも、その瞼に焼き付けた動きを再現してゆく。
肩口に届く。地軸の底まで斬り下ろす全霊の太刀が。
その瞬間、草介は重力に導かれるように身を沈め、片膝をついた。
刀は切っ先を左斜め上方に突き出すように。そして左手は、柄もろともに自身の右腕を掴み――。
薩摩の剛剣は、草介の刀の裏鎬に沿ってふわりと逸れた。
枝に積もった六花の綿が、自然に滑り落ちてゆくように。
無陣流・“垂雪・陰”――。
隼人が大久保卿との稽古でただ一度見せた技。
渾身の斬撃を流された男は驚愕の表情と共に、制御を失った自身の刀勢でもんどりうって斜めに投げ出された。
その時、草介の右手頭上から、次々に発砲音が鳴り響いた。
追い付いた薩軍本隊が東堂隊の援護射撃に回ったのだ。
無論、やみくもに無駄弾を撃つような愚は犯さない。
隼人隊に形成不利を示すにはこれで十分だ。
「退避! 崖を滑り降りろ!」
隼人が叫んだ瞬間、玉置曹長をはじめ全員が次々に斜面の下へと滑り降りていった。
薩軍の銃撃はそれ以上続かず、東堂隊も深追いはしてこない。
「また生き延びたな、片倉」
今や頭上かなたから、東堂が別れを惜しむかのような声で語りかける。
「だが本音を言うと――。少々安堵している」
崖上の東堂はその場に片膝をつき、はるか下の隼人たちに囁く。
「私は薩摩にも幻滅しているのだ。この国の王になれたものを。日の本をハヤヒトの国にできたものを――。これも歴史の連環通りなのかもしれぬな。私が薩摩と行を共にするのはこれまでだ。生きてまた会おう、片倉。――それに草介君」
踵を返した東堂は、そのまま薩軍本隊の進路とは逆の方向へと姿を消した。
続々と頭上の尾根道を渡る薩摩兵らの様子は、まるで野辺の葬列を見るかのようだ。
東堂隊の兵たちも次々に身を隠し、草介と戦った男だけが最後までこちらをじっと見下ろしている。
だが彼が姿を消すと、辺りはまた静寂に包まれた。
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