剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ

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第九章 南龍のドライゼ

Angriff

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「玉置か……? いや、今は……」
「曹長になったで」

玉置と呼ばれた男は、目が慣れた暗がりの中で白い歯を見せた。
聞くと紀伊戍営兵時代の、隼人の部下だったのだという。

「こいつらもみな紀伊兵やで。戦闘で本隊からはぐれてしもたんをまとめてここまで来た。偵察しもって下山しようと思てたら、気配感じたさかい」

声を潜めて事も無げに言うが、隼人も草介も行動には細心の注意を払っている。
暗闇の山中で僅かな気配を察知するとは、感覚の研ぎ澄まされた精兵であることの証だ。

「――西郷大将に直接郵便を……。そらむつかしかもわからんな」

隼人たちの目的を聞いた玉置曹長が腕を組んで唸った。
狭隘な尾根道を確保して進む薩軍に、政府軍は小部隊しか送り込むことができずいずれも個別に撃破されている。
神経をあらん限りに張り詰めている薩軍に接触するのは、困難であろうとの見立だ。

「それに薩摩の威力偵察分隊は――」

玉置曹長がそう言いかけたとき、暗闇の向こうで小さな光がチカッと瞬いた。
反射的に全員が身を伏せた刹那、次々に銃声が湧き上がり頭上の藪を弾幕が貫いてゆく。
枝や葉が降り注ぎ、闇の先では連続して光点が明滅している。
薩軍の偵察部隊に捕捉されたのだ。

「っぐぅぅぅ……!」

右腕を押さえた玉置曹長が歯を食いしばり、呻き声を噛み殺した。
今の銃撃で被弾したのだ。
すぐさま包帯で縛り上げて止血を行うが、傷はけして浅くはない。

分隊長・・・

苦痛に顔を歪めつつ、玉置曹長が隼人の袖口を掴んだ。

「こいつらは皆、階級は兵卒や。せやけど紀伊戍営でみっちり訓練してきたある。正確な指揮さえあれば絶対でったい生き延びる。頼む……! 片倉さん、指揮したってくれ!」

その時、こちら側に向いた風が硝煙とともにほのかな甘い煙の匂いを運んできた。
忘れもしない、外国製の煙草の香り。

「東堂……東堂靫衛か!」

発砲してきた方に向かって、隼人が叫んだ。
ほんの少し白み始めた空が僅かな明かりをもたらし、彼我の間に雑木もまばらな平坦地が横たわっているのが見えた。

「片倉か。……そんな気がしていたよ」

ふふっ、と笑みを含んで、どこか楽しそうに東堂が応える。

「戦闘が目的ではない。西郷大将に書状をお届けしに参った。取り次いではくれぬか」
「なるほど……。だが、そうはいかぬ。我らの任務は“一切の他勢力排除”だ。それに西郷氏はすでに大将の職にはない。――各員、次弾装填」

ヂャキッ、ヂャキッと次々に弾込めの音が響き、東堂の部隊は隼人たちを見逃すつもりがないことを示している。
隼人は瞬間瞑目し、次に目を見開くと大喝するように声を放った。

Achtung!アハトゥング!」

“注目セヨ”を意味するプロイセン語の号令。
玉置曹長以下の兵が、過たず隼人に顔を振り向けた。

「戦時特例によって、玉置曹長より諸君らの指揮権を譲り受ける。目標、前方薩軍偵察部隊。当脅威を排除し、原隊への合流を企図する。弾込め、各自遮蔽物に散開」

一斉に藪を飛び出した兵たちは、眼前の樹々を楯にして銃を執った。
隼人も草介もリボルバーを構えて続き、それぞれに大樹の陰に寄った。

zielシエル!」

“狙エ”の号令が、隼人と東堂の両者からほぼ同時に放たれた。
その鉾先を向け合う両部隊。
一瞬の静寂が戦場の幕を上げた。

Feuerフォイェァル!」

今やオペラでしか聞けぬ古式の発音は“撃テ”の号令。
炸裂する両部隊の銃火は木立の條々を薙ぎ払い、その幹が次々に穿たれてゆく。

「続けて放て!」

それぞれの兵は再び弾を込めては射撃を続けるが、互いを隔てる樹々に阻まれて一弾とて有効打にはなっていない。
そしてほどなく、嘘のように銃火は止んだ。

「弾が無いのだろう、片倉」

自嘲する響きを含ませ、東堂が声を張り上げる。

「我らも同じさ。十分に与えられてはおらぬ。矢合わせの済んだところで……太刀撃ちとゆこうか――。総員、抜剣!」

東堂の部隊が、次々に腰の刀を抜き放った。
木立から滲む黎明に、その刃が文字通り白く閃いてゆく。

Aufpflanzen des Bajonettアウフプフランツェン・デス・バヨネット!」

“剣着ケ”の号令で、隼人の部隊も次々にドライゼへ銃剣を装着する。手槍の姿となったこの武器で、白兵戦へ移行するのだ。

「草介、よいな!己の身を!」
「おうよ! 死ぬんじゃねぇぞ!」

同時に抜刀した隼人と草介。
隼人はその剣を振り下ろし、叫んだ。

Angriffアングリフ!」

突撃の号令を受け、兵たちは鬨の声を上げて走り出した。
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