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第九章 南龍のドライゼ
闇に伏す尾根道
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「よいか、草介。もし会敵したならば躊躇なく撃て。刀を抜け。自分の身を守ることを最優先しろ」
隼人があえて「敵」という言葉を強調したことの意味は、否が応でも理解できる。
なぜなら向こう側からすれば御留郵便御用であろうが何だろうが、遭遇すれば敵としか認識しないであろうことは自明であるから。
それがどうしようもないことを、草介もまたよく分かっているつもりだ。
それでも薩摩の人たちを敵と断じることを、草介の心は頑なに拒もうとしている。
薩軍は藤田五郎が予測した通り、政府軍の意表をついて8月18日未明に可愛岳を突破。山岳の尾根筋を伝って南への強行軍を続けている。
政府軍の小部隊は彼らに歯が立たず、その決死の進撃を阻むことはできていない。
隼人と草介が延岡のやや北方、標高約730mの可愛岳山上に辿り着いた時には既に薩軍はこれを突破した後だった。
ここに展開していた政府軍の小部隊は予想外の奇襲になす術もなく駆逐されたのだ。
南へと薩軍が踏み分けていった尾根道の途中、隼人は丁寧に揉み消された紙巻煙草の吸殻を見つけた。
「……東堂がいる」
見紛うはずもない、東堂靫衛が愛用している煙草。
彼もまたこの強行軍に加わっているのだ。
「はーさん、このまま追うのかい」
「いや、決死の薩軍を追いかけるのは得策ではなかろう。藤田殿の予測通り、往ける尾根道は限られている。なれば進路上で待ち構えよう。兵員が困憊していれば、大久保卿の書状を西郷大将にお渡しする機もあるやもしれぬ」
こうした経緯から隼人と草介は8月27日夜、日向の小林という街の北東にある須木の集落から尾根道を目指していた。
地形の制約から薩軍の進行ルートはほぼ正確に予測できるが、政府軍は山岳戦で決定的な打撃を与えるには至っていない。
この途上で西郷に手紙を渡すことができれば――。
大久保卿はこの手紙を「届かなくともよい」と言った。戦が終わって、もし西郷が生きていたら、彼が手紙を寄越した事実を伝えるだけでも構わないと。
それは真実、個人の願いによるものであろうことは想像できるが、隼人も草介も万が一の可能性に命を懸けて配達する気構えでここまで来た。
あるか無きかの一縷の望みながら、もしかするとそれがきっかけで兵を退くことがあるかもしれない。
それを今さらとは、誰にもなじることなどできはしないのではないか。
隼人はやはり、ここまで草介を伴うことに難色を示していた。
既に戦場になっている地域に赴くのは、これまでの任務とは自ずと意味合いが異なる。
が、草介にとって僅かな時間でも心を通わせた薩摩の人々――あの諸留忠太のような男に言い知れぬ哀惜の念があった。
それに、日本の国に生まれた者同士がいまだここまで殺し合わねばならないことが、どうしても納得できない。
「おいらぁ根無し草の草介さまだぜ。はーさんがなんつっても付いてくかんな!」
隼人は溜息をつきながらも、頑として譲らない草介の思いを無下にはできない。
なればこその「自分の身を守ることを最優先しろ」という言葉だ。
東京鎮台で寝起きしていた際、隼人は草介に国内にあるあらゆる軍用小銃の扱いを教え込んでいた。
シャスポー、ゲヴェール、エンフィールド、そしてドライゼ。
万が一戦場でそれらを扱わねばならぬ時のためを思っての訓練だったが、隼人も草介も武装は六連発の郵便護身銃、そして晒帯に手挟んだ日本刀一振りのみ。
二人とも、剣客逓信としての姿に殉じるつもりだった。
薩軍の予想進路近くの藪に身を潜めた隼人と草介は、その向こうに点々と続く松明の光を捉えた。
隼人の予測では、道の確認と敵襲に備えて偵察の小部隊が先行しているはずということだ。
彼らに見つからぬよう、可能な限り本隊のどこかにいる西郷に直接接触しなくては――。
と、隼人が草介に動きを止めるよう無言の合図を送った。
かさっ……かさっ……かさっ……。
耳を澄ませるとかそけき音が、二人を包む藪に近付いている。
刀の柄に手を掛けながら、隼人が身を低くして藪の隙間から闇の先を凝視した。
するとやにわに、ごく小さくピュイッと口笛を鳴らす音が暗がりに立った。
隼人は草介を見やり、それに応えるように同じ音を鳴らす。
今度は足音を忍ばせることなく、幾人かが藪に目掛けて登ってくる気配をはっきり感じる。
刀に手をやった草介を制しつつ、隼人は囁いた。
「大丈夫、味方だ」
次々に藪に入ってきた男たちは暗がりに目が慣れているのだろう。
真っすぐに隼人の元へと近付き、鎮台兵の制服が続々と整列した。
「なんてよ……! こないなとこでよ」
隊長と思しき男が、感極まったような声を振り絞った。
「生きてはったんやな……。“分隊長殿”」
男たちの肩には、紀伊兵の代名詞ともいえるドライゼ銃が担がれていた。
隼人があえて「敵」という言葉を強調したことの意味は、否が応でも理解できる。
なぜなら向こう側からすれば御留郵便御用であろうが何だろうが、遭遇すれば敵としか認識しないであろうことは自明であるから。
それがどうしようもないことを、草介もまたよく分かっているつもりだ。
それでも薩摩の人たちを敵と断じることを、草介の心は頑なに拒もうとしている。
薩軍は藤田五郎が予測した通り、政府軍の意表をついて8月18日未明に可愛岳を突破。山岳の尾根筋を伝って南への強行軍を続けている。
政府軍の小部隊は彼らに歯が立たず、その決死の進撃を阻むことはできていない。
隼人と草介が延岡のやや北方、標高約730mの可愛岳山上に辿り着いた時には既に薩軍はこれを突破した後だった。
ここに展開していた政府軍の小部隊は予想外の奇襲になす術もなく駆逐されたのだ。
南へと薩軍が踏み分けていった尾根道の途中、隼人は丁寧に揉み消された紙巻煙草の吸殻を見つけた。
「……東堂がいる」
見紛うはずもない、東堂靫衛が愛用している煙草。
彼もまたこの強行軍に加わっているのだ。
「はーさん、このまま追うのかい」
「いや、決死の薩軍を追いかけるのは得策ではなかろう。藤田殿の予測通り、往ける尾根道は限られている。なれば進路上で待ち構えよう。兵員が困憊していれば、大久保卿の書状を西郷大将にお渡しする機もあるやもしれぬ」
こうした経緯から隼人と草介は8月27日夜、日向の小林という街の北東にある須木の集落から尾根道を目指していた。
地形の制約から薩軍の進行ルートはほぼ正確に予測できるが、政府軍は山岳戦で決定的な打撃を与えるには至っていない。
この途上で西郷に手紙を渡すことができれば――。
大久保卿はこの手紙を「届かなくともよい」と言った。戦が終わって、もし西郷が生きていたら、彼が手紙を寄越した事実を伝えるだけでも構わないと。
それは真実、個人の願いによるものであろうことは想像できるが、隼人も草介も万が一の可能性に命を懸けて配達する気構えでここまで来た。
あるか無きかの一縷の望みながら、もしかするとそれがきっかけで兵を退くことがあるかもしれない。
それを今さらとは、誰にもなじることなどできはしないのではないか。
隼人はやはり、ここまで草介を伴うことに難色を示していた。
既に戦場になっている地域に赴くのは、これまでの任務とは自ずと意味合いが異なる。
が、草介にとって僅かな時間でも心を通わせた薩摩の人々――あの諸留忠太のような男に言い知れぬ哀惜の念があった。
それに、日本の国に生まれた者同士がいまだここまで殺し合わねばならないことが、どうしても納得できない。
「おいらぁ根無し草の草介さまだぜ。はーさんがなんつっても付いてくかんな!」
隼人は溜息をつきながらも、頑として譲らない草介の思いを無下にはできない。
なればこその「自分の身を守ることを最優先しろ」という言葉だ。
東京鎮台で寝起きしていた際、隼人は草介に国内にあるあらゆる軍用小銃の扱いを教え込んでいた。
シャスポー、ゲヴェール、エンフィールド、そしてドライゼ。
万が一戦場でそれらを扱わねばならぬ時のためを思っての訓練だったが、隼人も草介も武装は六連発の郵便護身銃、そして晒帯に手挟んだ日本刀一振りのみ。
二人とも、剣客逓信としての姿に殉じるつもりだった。
薩軍の予想進路近くの藪に身を潜めた隼人と草介は、その向こうに点々と続く松明の光を捉えた。
隼人の予測では、道の確認と敵襲に備えて偵察の小部隊が先行しているはずということだ。
彼らに見つからぬよう、可能な限り本隊のどこかにいる西郷に直接接触しなくては――。
と、隼人が草介に動きを止めるよう無言の合図を送った。
かさっ……かさっ……かさっ……。
耳を澄ませるとかそけき音が、二人を包む藪に近付いている。
刀の柄に手を掛けながら、隼人が身を低くして藪の隙間から闇の先を凝視した。
するとやにわに、ごく小さくピュイッと口笛を鳴らす音が暗がりに立った。
隼人は草介を見やり、それに応えるように同じ音を鳴らす。
今度は足音を忍ばせることなく、幾人かが藪に目掛けて登ってくる気配をはっきり感じる。
刀に手をやった草介を制しつつ、隼人は囁いた。
「大丈夫、味方だ」
次々に藪に入ってきた男たちは暗がりに目が慣れているのだろう。
真っすぐに隼人の元へと近付き、鎮台兵の制服が続々と整列した。
「なんてよ……! こないなとこでよ」
隊長と思しき男が、感極まったような声を振り絞った。
「生きてはったんやな……。“分隊長殿”」
男たちの肩には、紀伊兵の代名詞ともいえるドライゼ銃が担がれていた。
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