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第九章 南龍のドライゼ

佐伯城下の警察官

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「ひでぇ……」

眼前に広がる政府軍負傷者の惨状に、草介は思わず呻いた。
銃弾、砲弾、刀槍などの兵器・武器による傷ばかりではなく、感染症や暑熱などありとあらゆる傷病に苦しむ兵で溢れ返っている。
ここは海に面した豊後大分の佐伯さいき城下。
明治10(1877)年8月15日、明光丸でここに入港した隼人と草介は激戦の傷跡をこうして目の当たりにすることとなった。
宮崎に押し出される形となった薩軍本隊は地形に沿って徐々に北上することを余儀なくされたが、政府軍は続々とこれを包囲。もはや西郷らは袋の鼠といっていい状態にまで追い詰められていた。
これ以外にも薩軍本隊から分かれて作戦行動に就いていた部隊が各地で政府軍と交戦しており、そのおびただしい負傷兵らがこうして参集しているのだ。

政府軍は各地の寺院などを野戦病院である「大繃帯所だいほうたいじょ」に定め、佐伯では城下の大日寺がその任を担っていた。
比較的軽傷の者は互いにかばい合いながら自力で手当てを受けに来るが、戸板やむしろに乗せられているのはそうでない者たち。
もっとも手当といっても弾の摘出や止血・縫合程度が精一杯で、もう二度と動かなくなった者は両手両足を青竹に括りつけられていずこかへ運ばれてゆく。

佐伯の地に降り立った直後に目にした地獄絵図に、さしもの草介も言葉を失ってしまったのだ。

と、足を引き摺りながら一人で城下を目指す兵を見かけた。

「気を確かに。それがしの肩に」

隼人が駆け寄り、草介も共に彼に肩を貸して野戦病院の大日寺へと向かう。
寺の様子は、さらに酸鼻を極めていた。
本堂や庫裏はおろか、境内から山門の外にまでびっしりと傷病兵が横たわり、屋外では天幕がかろうじて日差しを遮っているだけだ。
傷と手当ての痛みでそこかしこから呻き声や叫び声が上がり続け、血膿のすえた臭いが充満している。
隼人と草介が負傷兵を抱えて大日寺に近付くと、幾人かの兵が駆け寄ってきて後を引き受けた。
軍医や衛生兵ばかりではない。傷が癒えて動ける者は救護の助太刀をしているのだろう。
と、そのうちの一人が目深にかぶった帽子の下からまじまじと隼人を見つめた。

「もしや、片倉殿か……?」

こけた頬に鋭い眼光。それも単なる武辺の者という風情ではなく、草介の目にも本物の修羅場を潜ってきたことを思わせる凄みがあった。
男がまとうのは鎮台の軍服ではない。金線入りの制帽に濃紺の詰襟制服、腰には晒帯を締めている。
警視隊……警察官の参軍兵だ。

「こなたは……! 無事であられたか」

あまり驚いた表情を見せることのない隼人が瞠目し、次いで懐かしそうにその目を細めた。

「さい…いや、何とお呼びすべきか」
「痛み入ります。今は藤田、“藤田五郎”と名乗ってござる」

隼人に紹介された草介も頭を下げると、藤田は脱帽してそれに応えた。
あらわになった顔は二重まぶたですっきりと鼻筋の通った男前だが、抜身の刃を思わせる鋭い印象の人物だ。

「片倉殿がなぜここに、と伺ってよいものかな」

藤田の問い掛けに、隼人はかいつまんで事の次第を語って聞かせた。
無論秘密ではなく、もし有益な情報を提供してもらえるなら願ったりだ。
じっと耳を澄ませていた藤田はあらましを聞き終えると、懐から地図を取り出して隼人と草介の前に広げて見せる。

「簡易なものでござるが、これを御覧じよ。今いる佐伯がここ、これより南が日向の延岡でござる。薩軍本隊とは現状この辺りで戦っていると聞き申すが、政府軍による延岡占拠は間もなくでござろう。海上は海軍艦が封鎖しており、そもそも薩軍には一艦たりとも船はござらん。海へも出られぬ、進退窮まる、なればどうするか」
「討ち死に覚悟で全軍斬り込むと……?」
「いや、片倉殿。それがしはそうは思えませぬ。これ、ここをこう、こうして……」

藤田は地図上で延岡の少し北側、一点に指を突いてすうっと滑らせていき、鹿児島まで至る軌跡を描いた。

「もしそれがしがこの包囲を突破するなら、政府軍布陣の裏をかいてこの可愛岳えなだけを登り、山岳を縦走して鹿児島に戻りまする」
「なんと――」
「上層部に意見具申は致したが、一蹴され申した。あの峻嶮を武装した大軍が登れるわけがないと。だが片倉殿、よもやの機会が訪れるやも分かりませぬ。それがしは本日付で原隊復帰致すが、延岡に向かえばあるいは御留郵便の任に与するやも知れませぬな」

藤田の言葉に直感するところのあった隼人と草介は、その足で延岡を目指した。

「はーさん。藤田ってお巡りさん、おっかねえしとだったなあ。紀伊の知り合いなのかい」
「いいや。あの人の前の名は“斎藤一”という。新撰組で三番隊組長を務めておられた」
「新撰組……!? なんつうこってぇ……!」

だが隼人と草介がまさに延岡に向かっている翌8月16日、西郷隆盛から薩摩全軍に解散命令が出された。
これをもって将兵の進退自由を宣したものであるが、不屈の薩摩隼人らは西郷と生死を共にすべく蠢くのだった。
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