58 / 104
第九章 南龍のドライゼ
東京鎮台の日々
しおりを挟む
大久保卿に書状を届けたのち、M機関から隼人と草介に通達されたのは東京府内における不穏分子の慰撫工作だった。
薩摩以外でも西郷を支持する結社は全国各地に存在し、薩軍挙兵に呼応して蜂起することが警戒されていたのだ。
隼人と草介はそうした結社の人物たちに次々と書状を届けており、今は赤坂檜町の東京鎮台歩兵営に仮住まいしている。
その後、西南の役はいよいよもって血で血を洗う凄惨な様相を呈していた。
3月4日に始まった熊本・田原坂の戦いでは狭隘な尾根道を固守する薩軍を攻めあぐね、政府軍は一日に平均32万発もの弾薬を消費したという。
また薩摩隼人らの白兵突撃に悩まされた政府軍は、元来の侍である警察官による抜刀隊を編成。剣撃に剣撃で対抗したことも功を奏し、実に17日間を要してこの戦線を突破した。
田原坂を巡る戦いだけでも政府軍の死者は2401名、薩軍の戦死者は「不明」とされている。
ただし薩軍本隊の30個中11小隊の隊長が戦死しているため、夥しい量の血が流されたことは間違いない。
薩軍はこの戦闘を機に敗走を重ね、政府軍は4月15日に熊本城を奪還。20日、西郷らは人吉へと退去し5月28日には宮崎にまで押し出された。
もはやその地を死守するか北上するかの二つに一つしかなく、着々と薩軍包囲の網は狭まっている状況だ。
その間、政府軍ではついに徴募兵だけではなく士族らで構成される追加兵の投入にも踏み切っていた。
彼らを“壮兵”といい、その先鋒となったのが旧藩の紀州、そして長州だった。
和歌山では5月に1個大隊807名、6月には歩兵1個大隊858名および砲兵1個小隊126名が編成され、大阪鎮台に入隊している。
前者は「遊撃歩兵第5大隊」、後者は「遊撃歩兵第6大隊」「遊撃砲兵第2小隊」と命名され、それぞれ第一旅団と熊本鎮台に編入されていく。
紀伊兵が習熟していたドライゼ銃の存在、そして大量に保管されていた専用弾薬は重要な戦力として期待され、これには陸奥卿の献策があったことは間違いない。
だが、政府内部からも陸奥卿は警戒されていた。
紀伊を抜けて土佐海援隊で行動し、一度ならず牙を剥いた故郷では近代軍創設に関わっている。
結局陸奥卿に紀伊兵召募の采配は許されず、旧戍営連隊長であった長屋喜弥多らがその任を負った。
――その頃、東京鎮台歩兵営の演習場にて。
先刻より草介は竹刀を手に、隼人へと激しく撃ち掛かっている。
剣術は教えないとそう言った代わりに由良乃へ草介を預けた隼人だったが、今やその心境は変化している。
「っらぁぁぁっ!!」
草介が水平に振るった竹刀が隼人の横面を捉えようかという瞬間、その軌道は斜め上へと流された。
直後、体勢が崩れてがら空きになった草介の胴に、隼人が竹刀を寸止めする。
「草介、お前の太刀筋はやはり面白いな」
「へっ、尾が白けりゃアタマは黒ってか」
ぜえぜえと荒い息をつきつつ憎まれ口を叩く草介だが、その実楽しそうでもある。
隼人にようやく剣の稽古をつけてもらっていることが、素直にうれしいのだ。
「草介。拳銃の稽古の際も同じだが、お前は左右の動きは正確だ。しかし上下の狙いが甘い。先ほどの横面も、儂が受け流さずとも上に逸れていただろう」
隼人は草介に剣術だけではなく、射撃についても本格的に稽古をつけていた。
軍の施設である鎮台という利点を最大限活用し、実弾を用いて射撃場で訓練する許可を取っていたのだ。
東京での任務が中心になって早や5か月が経とうとしている。
旧紀伊兵らが続々と戦地に送られていること、そして九州ではおそらく東堂靫衛がどこかで暗躍しているであろうこと。これらのことに隼人が心中穏やかでないだろうことは、草介には痛いほど理解できる。
だが、なぜだかこの一瞬一瞬がとても重要な意味を持つ、いわば僥倖のような時間であるように草介は思っていた。
そして、必ず再び薩摩の地を踏むことになるのではという直感のようなものもある。
「はーさん! もう一本頼まあ!」
思念を振り切るように叫んだ草介が竹刀を構え直した時、演習場の入口に長身の人影が立った。
左右に張り出した立派な髭にほっそりとしたフロックコート姿。大久保利通だ。
大久保卿は道場に対するかのように、一礼して演習場に足を踏み入れた。
薩摩以外でも西郷を支持する結社は全国各地に存在し、薩軍挙兵に呼応して蜂起することが警戒されていたのだ。
隼人と草介はそうした結社の人物たちに次々と書状を届けており、今は赤坂檜町の東京鎮台歩兵営に仮住まいしている。
その後、西南の役はいよいよもって血で血を洗う凄惨な様相を呈していた。
3月4日に始まった熊本・田原坂の戦いでは狭隘な尾根道を固守する薩軍を攻めあぐね、政府軍は一日に平均32万発もの弾薬を消費したという。
また薩摩隼人らの白兵突撃に悩まされた政府軍は、元来の侍である警察官による抜刀隊を編成。剣撃に剣撃で対抗したことも功を奏し、実に17日間を要してこの戦線を突破した。
田原坂を巡る戦いだけでも政府軍の死者は2401名、薩軍の戦死者は「不明」とされている。
ただし薩軍本隊の30個中11小隊の隊長が戦死しているため、夥しい量の血が流されたことは間違いない。
薩軍はこの戦闘を機に敗走を重ね、政府軍は4月15日に熊本城を奪還。20日、西郷らは人吉へと退去し5月28日には宮崎にまで押し出された。
もはやその地を死守するか北上するかの二つに一つしかなく、着々と薩軍包囲の網は狭まっている状況だ。
その間、政府軍ではついに徴募兵だけではなく士族らで構成される追加兵の投入にも踏み切っていた。
彼らを“壮兵”といい、その先鋒となったのが旧藩の紀州、そして長州だった。
和歌山では5月に1個大隊807名、6月には歩兵1個大隊858名および砲兵1個小隊126名が編成され、大阪鎮台に入隊している。
前者は「遊撃歩兵第5大隊」、後者は「遊撃歩兵第6大隊」「遊撃砲兵第2小隊」と命名され、それぞれ第一旅団と熊本鎮台に編入されていく。
紀伊兵が習熟していたドライゼ銃の存在、そして大量に保管されていた専用弾薬は重要な戦力として期待され、これには陸奥卿の献策があったことは間違いない。
だが、政府内部からも陸奥卿は警戒されていた。
紀伊を抜けて土佐海援隊で行動し、一度ならず牙を剥いた故郷では近代軍創設に関わっている。
結局陸奥卿に紀伊兵召募の采配は許されず、旧戍営連隊長であった長屋喜弥多らがその任を負った。
――その頃、東京鎮台歩兵営の演習場にて。
先刻より草介は竹刀を手に、隼人へと激しく撃ち掛かっている。
剣術は教えないとそう言った代わりに由良乃へ草介を預けた隼人だったが、今やその心境は変化している。
「っらぁぁぁっ!!」
草介が水平に振るった竹刀が隼人の横面を捉えようかという瞬間、その軌道は斜め上へと流された。
直後、体勢が崩れてがら空きになった草介の胴に、隼人が竹刀を寸止めする。
「草介、お前の太刀筋はやはり面白いな」
「へっ、尾が白けりゃアタマは黒ってか」
ぜえぜえと荒い息をつきつつ憎まれ口を叩く草介だが、その実楽しそうでもある。
隼人にようやく剣の稽古をつけてもらっていることが、素直にうれしいのだ。
「草介。拳銃の稽古の際も同じだが、お前は左右の動きは正確だ。しかし上下の狙いが甘い。先ほどの横面も、儂が受け流さずとも上に逸れていただろう」
隼人は草介に剣術だけではなく、射撃についても本格的に稽古をつけていた。
軍の施設である鎮台という利点を最大限活用し、実弾を用いて射撃場で訓練する許可を取っていたのだ。
東京での任務が中心になって早や5か月が経とうとしている。
旧紀伊兵らが続々と戦地に送られていること、そして九州ではおそらく東堂靫衛がどこかで暗躍しているであろうこと。これらのことに隼人が心中穏やかでないだろうことは、草介には痛いほど理解できる。
だが、なぜだかこの一瞬一瞬がとても重要な意味を持つ、いわば僥倖のような時間であるように草介は思っていた。
そして、必ず再び薩摩の地を踏むことになるのではという直感のようなものもある。
「はーさん! もう一本頼まあ!」
思念を振り切るように叫んだ草介が竹刀を構え直した時、演習場の入口に長身の人影が立った。
左右に張り出した立派な髭にほっそりとしたフロックコート姿。大久保利通だ。
大久保卿は道場に対するかのように、一礼して演習場に足を踏み入れた。
2
お気に入りに追加
59
あなたにおすすめの小説
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

葉桜よ、もう一度 【完結】
五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。
謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
浅葱色の桜
初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。
近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。
「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。
時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。
小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる