53 / 104
第八章 ハヤヒトの国
密偵狩り、西郷暗殺計画
しおりを挟む
私学校生徒たちによる薩摩国内の陸軍省弾薬庫襲撃は、規模を増して続けられた。
一月三十日には千人を超える学生らが立ち上がり、もはや暴動や乱といった一言では済まされぬ段階にまで事態は燃え広がっている。
この弾薬掠奪は、なんとしたことか二月二日まで継続された。
「はーさん、こいつぁまずいぜ」
鹿児島城下の宿所で、草介が沈痛な面持ちで二階から外を見下ろしている。
私学校の士官候補生を中心に、武装した若者らが足早に往来して城の周囲はまるで戦支度の様相だ。
「ああ、無念だが……このままでは済むまいな」
薩摩の人々と打ち解けつつあった草介の心痛が伝わり、隼人も表情を曇らせている。
「このような事態を避けるがための手立ての一つが、村田卿への書状だ。このままではさらに届けることが難しくなる」
「ならもっと近付こうぜ! 無理っくりにでも届けさえすりゃあ……」
「力づくではかえって届くものも届かなくなる。だが学生たちが出払うことも多くなっているのなら、手薄になる時があるかもしれん。城の周囲を走る回数を増やそう」
かくして二月三日、隼人と草介は紺の詰襟制服姿で市中に出た。
郵便物の配達を装っているが、もちろん村田新八との接触機会を期待してのことだ。
二人は駆け足で、砲隊学校へと続く橋の前へと至った。
既に多くの学生らが城内を出たり入ったりし、いずれも殺気走った目で腰に刀を帯び、ある者は小銃まで担いでいる始末だ。
既に発せられている廃刀令など、何するものぞという意思が漲っている。
橋の向こう、石垣の間に設けられた門は開かれており、私学校の敷地内部が少しばかり視認できるようだ。
と、一瞬その空間を横切った人物に隼人の眼は吸い寄せられた。
黒いフロックコートにシルクハット、遠目にも立派な髭を蓄えた姿勢の良い男。
「村田卿」
即座に勘付いた草介が、走り出す構えをとろうとした。
が、その時。
「待ちもせ」
背後から呼び止められ、二人は動きを止めて振り返った。
「おお、忠太じゃねえか!」
それは城下を案内して自邸でもてなしてくれた郷士、諸留忠太だった。
他にも警衛の郷士数人を引き連れ、いずれもいつもとは打って変わった険しい表情だ。
それに腰に差しているのは青竹ではない。真剣を帯刀していた。
「あそこの村田新八せんせえに郵便あんだけどよ、取り次いじゃあくれねぇ……」
「やぞろしか!」
やかましい!と話を遮って一喝したのは、忠太の横にいる青年だった。
その目は、憎悪に満ちている。
「郵便屋さぁ。おまんさぁらぁを、連行しもす。おとなしゅう付てきてたもんせ」
忠太が沈痛な面持ちで宣告し、郷士らが隼人と草介を取り囲んだ。
「帰郷しちょった警察の密偵が、洗いざらい吐いたとじゃ。おまんさぁらぁも念のため拘束しもす」
後ろ手に捕縛され、私学校敷地内に設けられた営倉へと押し込められてしまった隼人と草介。
郵便保護用の拳銃は在地の学生らを刺激せぬよう携帯していなかったが、制服以外のすべてのものを没収されたうえでの拘束だ。
忠太をはじめ郷士たちの言葉の端々から、事情は明確に理解できた。
川路利良によって派遣された警視庁密偵団のリーダー、中原尚雄が捕まったのだ。
これには中原の旧友であり、なおかつ私学校党には属していなかった谷口登太という男が逆スパイとして接触したことが起因している。
中原は谷口に気を許し、密命である西郷隆盛暗殺計画を漏らしたのだという。
これを受けて東京獅子の密偵団は二名を除いて次々に捕縛され、時を同じくして鹿児島に着任した隼人と草介にも嫌疑がかけられたのだ。
だが、西郷暗殺が真実の指令かどうかは分からない。
それでも谷口による報告が、薩摩と政府とを分かつ最後の引き鉄として使われたといえるだろう。
薩摩は、政府を問責するための大義名分を手に入れた。
しかし同時に、政府も薩摩を誅するための揺るぎない根拠を得たともいえる。
二月五日、私学校の百五十畳あるという大講堂で、薩摩の進退を決める幹部会議が開かれた。
二百名を超す熱視線が集まる先には、紋付き袴に帯刀した姿の西郷隆盛が端座していた。
一月三十日には千人を超える学生らが立ち上がり、もはや暴動や乱といった一言では済まされぬ段階にまで事態は燃え広がっている。
この弾薬掠奪は、なんとしたことか二月二日まで継続された。
「はーさん、こいつぁまずいぜ」
鹿児島城下の宿所で、草介が沈痛な面持ちで二階から外を見下ろしている。
私学校の士官候補生を中心に、武装した若者らが足早に往来して城の周囲はまるで戦支度の様相だ。
「ああ、無念だが……このままでは済むまいな」
薩摩の人々と打ち解けつつあった草介の心痛が伝わり、隼人も表情を曇らせている。
「このような事態を避けるがための手立ての一つが、村田卿への書状だ。このままではさらに届けることが難しくなる」
「ならもっと近付こうぜ! 無理っくりにでも届けさえすりゃあ……」
「力づくではかえって届くものも届かなくなる。だが学生たちが出払うことも多くなっているのなら、手薄になる時があるかもしれん。城の周囲を走る回数を増やそう」
かくして二月三日、隼人と草介は紺の詰襟制服姿で市中に出た。
郵便物の配達を装っているが、もちろん村田新八との接触機会を期待してのことだ。
二人は駆け足で、砲隊学校へと続く橋の前へと至った。
既に多くの学生らが城内を出たり入ったりし、いずれも殺気走った目で腰に刀を帯び、ある者は小銃まで担いでいる始末だ。
既に発せられている廃刀令など、何するものぞという意思が漲っている。
橋の向こう、石垣の間に設けられた門は開かれており、私学校の敷地内部が少しばかり視認できるようだ。
と、一瞬その空間を横切った人物に隼人の眼は吸い寄せられた。
黒いフロックコートにシルクハット、遠目にも立派な髭を蓄えた姿勢の良い男。
「村田卿」
即座に勘付いた草介が、走り出す構えをとろうとした。
が、その時。
「待ちもせ」
背後から呼び止められ、二人は動きを止めて振り返った。
「おお、忠太じゃねえか!」
それは城下を案内して自邸でもてなしてくれた郷士、諸留忠太だった。
他にも警衛の郷士数人を引き連れ、いずれもいつもとは打って変わった険しい表情だ。
それに腰に差しているのは青竹ではない。真剣を帯刀していた。
「あそこの村田新八せんせえに郵便あんだけどよ、取り次いじゃあくれねぇ……」
「やぞろしか!」
やかましい!と話を遮って一喝したのは、忠太の横にいる青年だった。
その目は、憎悪に満ちている。
「郵便屋さぁ。おまんさぁらぁを、連行しもす。おとなしゅう付てきてたもんせ」
忠太が沈痛な面持ちで宣告し、郷士らが隼人と草介を取り囲んだ。
「帰郷しちょった警察の密偵が、洗いざらい吐いたとじゃ。おまんさぁらぁも念のため拘束しもす」
後ろ手に捕縛され、私学校敷地内に設けられた営倉へと押し込められてしまった隼人と草介。
郵便保護用の拳銃は在地の学生らを刺激せぬよう携帯していなかったが、制服以外のすべてのものを没収されたうえでの拘束だ。
忠太をはじめ郷士たちの言葉の端々から、事情は明確に理解できた。
川路利良によって派遣された警視庁密偵団のリーダー、中原尚雄が捕まったのだ。
これには中原の旧友であり、なおかつ私学校党には属していなかった谷口登太という男が逆スパイとして接触したことが起因している。
中原は谷口に気を許し、密命である西郷隆盛暗殺計画を漏らしたのだという。
これを受けて東京獅子の密偵団は二名を除いて次々に捕縛され、時を同じくして鹿児島に着任した隼人と草介にも嫌疑がかけられたのだ。
だが、西郷暗殺が真実の指令かどうかは分からない。
それでも谷口による報告が、薩摩と政府とを分かつ最後の引き鉄として使われたといえるだろう。
薩摩は、政府を問責するための大義名分を手に入れた。
しかし同時に、政府も薩摩を誅するための揺るぎない根拠を得たともいえる。
二月五日、私学校の百五十畳あるという大講堂で、薩摩の進退を決める幹部会議が開かれた。
二百名を超す熱視線が集まる先には、紋付き袴に帯刀した姿の西郷隆盛が端座していた。
2
お気に入りに追加
59
あなたにおすすめの小説
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
【完結】月よりきれい
悠井すみれ
歴史・時代
職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。
清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。
純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。
嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。
第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。
表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳
勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません)
南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。
表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。
2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる