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第八章 ハヤヒトの国
郷士・諸留忠太
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「私や諸留忠太ち申しもす。おまんさぁらぁ、どっからおいでになったと」
薩摩訛りはあるが、草介の耳にもはっきりとわかるように配慮された丁寧な言葉遣いだった。
自身が名乗った上で改めて身元を丁寧に尋ねており、見た目と物言いの迫力はともかくしっかりと礼に適っている。
諸留忠太なる青年から伝わる誠実さに草介は思わず居住まいを正し、向き直った隼人が丁重に口を開いた。
「ご無礼仕った。それがしは駅逓寮の郵便脚夫、片倉隼人と申す者。こちらは同じく草介でござる。先般より鹿児島のお城下に配属になり申した。名高い鶴丸の御城を一目拝まんと罷り越したところ、文武研鑽の気合に惹かれてつい足を留めてしもうてござる。諸留殿と申されたか、こちらは私学校の生徒様でござろうか」
そもそも学外にいること、そして粗末な着物に青竹を腰に手挟んだ忠太の佇まいから私学校の学生でなかろうことは明白だ。
だが隼人は年若い忠太に辞を低くして、慇懃なほど丁寧に接している。
「私学校の生徒」とはつまり士官候補生、それも基本的に城下士の子弟に限られている。
あなたはそうした位の風格を持った青年とお見受けしますよ、と言外に相手の自尊心を立てての名乗りでもある。
普段は愛想のない隼人がこうした任務の際に見せるある種の演技力に、草介は内心舌を巻く思いだ。
「うんにゃ。私や郷士じゃっどん、西郷先生のお言い付けでお城下の警衛ば務めちょりもす。おまんさぁ方ぁ、郵便屋さんでごあしたか」
郵便脚夫と聞いて当初よりは少し砕けた雰囲気を出した忠太だったが、警衛とはつまり不審者の取締りという意を含んでいるのだろう。隼人と草介は明らかに不審だといえるが、あえて駅逓寮の名を出したのはかねてよりの示し合わせでもある。
「諸留殿、失礼だがもしや江戸におられたことはござらぬか」
「うんにゃ、兄さぁのお師匠がお江戸で修行ばされたこっがあって、そん先生の聞きかじりでごあす」
「さようでしたか。江戸の言葉に近うござりますな」
たしかに、草介が薩摩にやってきてからというものさっぱり地の言葉が聞き取れないのに難儀していたのだった。
道中で幾人か顔を合わせた東京獅子の警官らにしても、仲間内で話していることはほとんど理解できなかった。
城下警衛を西郷隆盛から任されたという忠太は、そうした言葉遣いの点でも他国者との意思疎通ができるという意味があるのだろう。
「片倉さぁに草介さぁ、郵便屋さぁちゅこっでごあすが、本日は遊山においでになったとな?」
「いかにも。勤め初めの前の遊山でござる」
隼人が微笑むと、忠太も初めてにかっと歯を出して笑った。
笑うとなんともいえない愛嬌のある、好青年そのものの面立ちだ。
「そいなあば、俺が案内しもっそ! 片倉さぁの御名前ば“隼人”ちゅうん、ないかん御縁でごあはんか」
そうだ。薩摩や大隅、日向や甑島に古くから住まった人々を「隼人」と呼んでいるのだった。
今も薩摩隼人といえば精強無比の戦闘集団を想起させる言葉として、畏敬の念を込めて使われているではないか。
いつの間にか一人称も“俺”と砕けた忠太は隼人と草介を引き連れ、城下の方々を案内して回った。
途中で彼と同じように市中警邏を務めていると思しき若者に何人も行き合い、その都度忠太は丁寧に隼人と草介を紹介してくれた。
御留郵便御用を果たすのには願ってもないことだ。一気に顔見知りが増えればそれだけ機会を捉えて動きやすくなり、なおかつ情報も入手しやすくなる可能性が高まる。
忠太は隼人と草介に少し気を許したのかあるいは警戒に値しない人物だと判断したのか、それは親切に城の配置や私学校の設備などを解説した。
言葉の端々に滲み出ているのは郷土である薩摩への誇り、そして何よりも巨大な西郷隆盛への尊敬と親愛だった。
「西郷先生」と口にするとき忠太はほとんど無意識に背筋をさらに伸ばしており、隼人にも草介にもそれはむしろ清々しく好もしい姿勢に映っていた。
「よし」
ひとしきり城下を巡った忠太は満足そうに頷き、隼人と草介に懐っこく真ん丸な目を向けて元気にこう言った。
「そいでは、俺家へ来ゃったもんせ」
薩摩訛りはあるが、草介の耳にもはっきりとわかるように配慮された丁寧な言葉遣いだった。
自身が名乗った上で改めて身元を丁寧に尋ねており、見た目と物言いの迫力はともかくしっかりと礼に適っている。
諸留忠太なる青年から伝わる誠実さに草介は思わず居住まいを正し、向き直った隼人が丁重に口を開いた。
「ご無礼仕った。それがしは駅逓寮の郵便脚夫、片倉隼人と申す者。こちらは同じく草介でござる。先般より鹿児島のお城下に配属になり申した。名高い鶴丸の御城を一目拝まんと罷り越したところ、文武研鑽の気合に惹かれてつい足を留めてしもうてござる。諸留殿と申されたか、こちらは私学校の生徒様でござろうか」
そもそも学外にいること、そして粗末な着物に青竹を腰に手挟んだ忠太の佇まいから私学校の学生でなかろうことは明白だ。
だが隼人は年若い忠太に辞を低くして、慇懃なほど丁寧に接している。
「私学校の生徒」とはつまり士官候補生、それも基本的に城下士の子弟に限られている。
あなたはそうした位の風格を持った青年とお見受けしますよ、と言外に相手の自尊心を立てての名乗りでもある。
普段は愛想のない隼人がこうした任務の際に見せるある種の演技力に、草介は内心舌を巻く思いだ。
「うんにゃ。私や郷士じゃっどん、西郷先生のお言い付けでお城下の警衛ば務めちょりもす。おまんさぁ方ぁ、郵便屋さんでごあしたか」
郵便脚夫と聞いて当初よりは少し砕けた雰囲気を出した忠太だったが、警衛とはつまり不審者の取締りという意を含んでいるのだろう。隼人と草介は明らかに不審だといえるが、あえて駅逓寮の名を出したのはかねてよりの示し合わせでもある。
「諸留殿、失礼だがもしや江戸におられたことはござらぬか」
「うんにゃ、兄さぁのお師匠がお江戸で修行ばされたこっがあって、そん先生の聞きかじりでごあす」
「さようでしたか。江戸の言葉に近うござりますな」
たしかに、草介が薩摩にやってきてからというものさっぱり地の言葉が聞き取れないのに難儀していたのだった。
道中で幾人か顔を合わせた東京獅子の警官らにしても、仲間内で話していることはほとんど理解できなかった。
城下警衛を西郷隆盛から任されたという忠太は、そうした言葉遣いの点でも他国者との意思疎通ができるという意味があるのだろう。
「片倉さぁに草介さぁ、郵便屋さぁちゅこっでごあすが、本日は遊山においでになったとな?」
「いかにも。勤め初めの前の遊山でござる」
隼人が微笑むと、忠太も初めてにかっと歯を出して笑った。
笑うとなんともいえない愛嬌のある、好青年そのものの面立ちだ。
「そいなあば、俺が案内しもっそ! 片倉さぁの御名前ば“隼人”ちゅうん、ないかん御縁でごあはんか」
そうだ。薩摩や大隅、日向や甑島に古くから住まった人々を「隼人」と呼んでいるのだった。
今も薩摩隼人といえば精強無比の戦闘集団を想起させる言葉として、畏敬の念を込めて使われているではないか。
いつの間にか一人称も“俺”と砕けた忠太は隼人と草介を引き連れ、城下の方々を案内して回った。
途中で彼と同じように市中警邏を務めていると思しき若者に何人も行き合い、その都度忠太は丁寧に隼人と草介を紹介してくれた。
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忠太は隼人と草介に少し気を許したのかあるいは警戒に値しない人物だと判断したのか、それは親切に城の配置や私学校の設備などを解説した。
言葉の端々に滲み出ているのは郷土である薩摩への誇り、そして何よりも巨大な西郷隆盛への尊敬と親愛だった。
「西郷先生」と口にするとき忠太はほとんど無意識に背筋をさらに伸ばしており、隼人にも草介にもそれはむしろ清々しく好もしい姿勢に映っていた。
「よし」
ひとしきり城下を巡った忠太は満足そうに頷き、隼人と草介に懐っこく真ん丸な目を向けて元気にこう言った。
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