50 / 104
第八章 ハヤヒトの国
鹿児島城下潜入
しおりを挟む
大警視・川路利良――。
日本警察の父とも呼ばれる、本邦警察機構の創始者である。
薩摩の下級武士の出で、城下外に設けられた各拠点区域に居住したことから川路のような身分を外城士といった。
外城は鹿児島城本城に対しての言葉で、かつての山城を中心としてその裾野に半士半農の兵力を駐屯させたことからその小さな城下町を“麓”ともいう。
外城自体は1784(天明4)年に郷と改められたため、薩摩でいう郷士とはつまり外城士のことを指している。
そして上士にあたる城下士と外城士の間には、厳格な身分の壁があった。
武士のならいとして上下の別は当然であるものの、薩摩は殊にそれが苛烈な国の一つとしても知られていたのだ。
日本警察機構の創始者である川路利良が外城士の出身で、なおかつ私情を排して政府に残ったことの意味は大きい。
1873(明治6)年の政変による西郷下野以降、薩摩はいわば独立国の様相を呈して政府への反感はかつてない高まりをみせていた。
川路は薩摩国内の状況を把握するため、熊本から萩にかけて一連の乱が起こった後に密偵の派遣を決定する。
少警部・中原尚雄ら二十名余りが選抜され、いずれも薩摩出身の警察関係者及び書生で構成された彼らは東京獅子と呼ばれた。
しかも一人を除き、他すべてが外城士身分の者たちだったという。
隼人と草介はM機関を経由して、大警視・川路利良からの要請でこの密偵団と共に鹿児島へ潜入することとなったのだ。
1877(明治11)年1月11日前後から、密命を帯びた東京獅子たちは銘々が薩摩へと帰国した。
M機関の明光丸では直接鹿児島に入港することも憚られるため、隼人と草介は別便にて潜入する手筈だ。
しかし九州から山口にかけての反政府蜂起が続き、もはや一触即発の薩摩へこの時期に警官らが帰郷するなど不自然に決まっている。
中原尚雄ら東京獅子は当初から薩摩本国に警戒の目を向けられていたが、各自に諜報と工作を展開。
必ずしも親西郷派ではなかった勢力の離間を図って動き始めた。
――明治11年1月半ば過ぎ。
鹿児島城下へと至った隼人と草介は、鶴丸城の旧厩跡前に佇んでいた。
ここにはいわゆる私学校が設けられ、陸軍少将・篠原国幹の銃隊学校、そして本任務での書状届け先である村田新八の砲隊学校がある。
袴に下駄履きという書生のような格好で午前も早い私学校前を訪れた隼人と草介は、既にその気風のようなものを全身に浴びていた。
私学校では午前中に、薩摩で当代随一とされた学者である今藤勇や久木田泰蔵が漢学講義を行っているという。
六韜三略・孫子・呉子といった伝統的な兵法書、また論語や春秋左氏伝が学ばれているそうだが、石垣と塀の遥か向こうにあるはずの学舎から届く素読の声が凄まじい。
「君子はぁぁぁぁっ! 和してぇぇっ! 同ぜぇぇぇずっっっ!! 小人はぁぁぁぁっ!」
といった具合で親の仇を眼前にして斬りかかろうかという程の気合だ。
びりびりと伝ってくる薩摩士風に、さしもの草介もやや不安げな表情を隠さない。
「はーさんよう、あの人たちに話通じんのかよう」
「無論だ。とっつき辛いのは初めだけで、聡明な方が多い。問題は村田新八卿に直接お目もじできるかどうかだな」
隼人はかつて薩摩人と知己を得たことがある。
紀伊戍営兵時代のことと草介は聞いているが、まだ詳しいことは知らない。
草介が濠に架けられた橋の手前から、少しでも中が見えぬものかと背伸びした時。
「おい、こらぁ!」
突然後ろから大音声で呼ばわれ、思わず肝を潰しそうになる。
「おい」も「こら」も薩摩の方言で、こらとは「これは」が転訛した比較的丁寧な呼びかけの言葉だそうだと事前に隼人から聞いていた。
だが実際にそう言われると、草介は怒鳴られたように感じてしまい身構えそうになった。
振り返ると、質素な絣の着物に襞も分からぬほどつるつるになった袴を履いた、二十歳前ほどの青年が仁王立ちしている。
「おまんさぁらぁ、誰さぁじゃひけ?」
腰にはなぜか三尺ばかりの青竹を差したその青年は、濃い眉の下の眼をぎょろりと巡らせた。
日本警察の父とも呼ばれる、本邦警察機構の創始者である。
薩摩の下級武士の出で、城下外に設けられた各拠点区域に居住したことから川路のような身分を外城士といった。
外城は鹿児島城本城に対しての言葉で、かつての山城を中心としてその裾野に半士半農の兵力を駐屯させたことからその小さな城下町を“麓”ともいう。
外城自体は1784(天明4)年に郷と改められたため、薩摩でいう郷士とはつまり外城士のことを指している。
そして上士にあたる城下士と外城士の間には、厳格な身分の壁があった。
武士のならいとして上下の別は当然であるものの、薩摩は殊にそれが苛烈な国の一つとしても知られていたのだ。
日本警察機構の創始者である川路利良が外城士の出身で、なおかつ私情を排して政府に残ったことの意味は大きい。
1873(明治6)年の政変による西郷下野以降、薩摩はいわば独立国の様相を呈して政府への反感はかつてない高まりをみせていた。
川路は薩摩国内の状況を把握するため、熊本から萩にかけて一連の乱が起こった後に密偵の派遣を決定する。
少警部・中原尚雄ら二十名余りが選抜され、いずれも薩摩出身の警察関係者及び書生で構成された彼らは東京獅子と呼ばれた。
しかも一人を除き、他すべてが外城士身分の者たちだったという。
隼人と草介はM機関を経由して、大警視・川路利良からの要請でこの密偵団と共に鹿児島へ潜入することとなったのだ。
1877(明治11)年1月11日前後から、密命を帯びた東京獅子たちは銘々が薩摩へと帰国した。
M機関の明光丸では直接鹿児島に入港することも憚られるため、隼人と草介は別便にて潜入する手筈だ。
しかし九州から山口にかけての反政府蜂起が続き、もはや一触即発の薩摩へこの時期に警官らが帰郷するなど不自然に決まっている。
中原尚雄ら東京獅子は当初から薩摩本国に警戒の目を向けられていたが、各自に諜報と工作を展開。
必ずしも親西郷派ではなかった勢力の離間を図って動き始めた。
――明治11年1月半ば過ぎ。
鹿児島城下へと至った隼人と草介は、鶴丸城の旧厩跡前に佇んでいた。
ここにはいわゆる私学校が設けられ、陸軍少将・篠原国幹の銃隊学校、そして本任務での書状届け先である村田新八の砲隊学校がある。
袴に下駄履きという書生のような格好で午前も早い私学校前を訪れた隼人と草介は、既にその気風のようなものを全身に浴びていた。
私学校では午前中に、薩摩で当代随一とされた学者である今藤勇や久木田泰蔵が漢学講義を行っているという。
六韜三略・孫子・呉子といった伝統的な兵法書、また論語や春秋左氏伝が学ばれているそうだが、石垣と塀の遥か向こうにあるはずの学舎から届く素読の声が凄まじい。
「君子はぁぁぁぁっ! 和してぇぇっ! 同ぜぇぇぇずっっっ!! 小人はぁぁぁぁっ!」
といった具合で親の仇を眼前にして斬りかかろうかという程の気合だ。
びりびりと伝ってくる薩摩士風に、さしもの草介もやや不安げな表情を隠さない。
「はーさんよう、あの人たちに話通じんのかよう」
「無論だ。とっつき辛いのは初めだけで、聡明な方が多い。問題は村田新八卿に直接お目もじできるかどうかだな」
隼人はかつて薩摩人と知己を得たことがある。
紀伊戍営兵時代のことと草介は聞いているが、まだ詳しいことは知らない。
草介が濠に架けられた橋の手前から、少しでも中が見えぬものかと背伸びした時。
「おい、こらぁ!」
突然後ろから大音声で呼ばわれ、思わず肝を潰しそうになる。
「おい」も「こら」も薩摩の方言で、こらとは「これは」が転訛した比較的丁寧な呼びかけの言葉だそうだと事前に隼人から聞いていた。
だが実際にそう言われると、草介は怒鳴られたように感じてしまい身構えそうになった。
振り返ると、質素な絣の着物に襞も分からぬほどつるつるになった袴を履いた、二十歳前ほどの青年が仁王立ちしている。
「おまんさぁらぁ、誰さぁじゃひけ?」
腰にはなぜか三尺ばかりの青竹を差したその青年は、濃い眉の下の眼をぎょろりと巡らせた。
2
お気に入りに追加
59
あなたにおすすめの小説
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
天狗の囁き
井上 滋瑛
歴史・時代
幼少の頃より自分にしか聞こえない天狗の声が聞こえた吉川広家。姿見えぬ声に対して、時に従い、時に相談し、時に言い争い、天狗評議と揶揄されながら、偉大な武将であった父吉川元春や叔父の小早川隆景、兄元長の背を追ってきた。時は経ち、慶長五年九月の関ヶ原。主家の当主毛利輝元は甘言に乗り、西軍総大将に担がれてしまう。東軍との勝敗に関わらず、危急存亡の秋を察知した広家は、友である黒田長政を介して東軍総大将徳川家康に内通する。天狗の声に耳を傾けながら、主家の存亡をかけ、不義内通の誹りを恐れず、主家の命運を一身に背負う。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――
黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。
一般には武田勝頼と記されることが多い。
……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。
信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。
つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。
一介の後見人の立場でしかない。
織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。
……これは、そんな悲運の名将のお話である。
【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵
【注意】……武田贔屓のお話です。
所説あります。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
あなたへの手紙(アルファポリス版)
三矢由巳
歴史・時代
ある男性に送られた老女からの手紙に記されていたのは幕末から令和にかけての二つの家族の物語。
西南の役後、故郷を離れた村川新右衛門、その息子盛之、そして盛之の命の恩人貞吉、その子孫達の運命は…。
なお、本作品に登場する人物はすべて架空の人物です。
歴史上の戦災や震災関連の描写がありますのでご容赦ください。
「小説家になろう」に掲載しているものの増補改訂版です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる