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第七章 神戸異人街夜会
動乱、再び南へ
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直立した隼人が、洋靴の踵を打ち鳴らして挙手の敬礼を行った。
後ろに居並ぶ草介・由良乃・しのぶにもいつにない緊張感が漲っている。
ボーイに渡された紙片に記されたメモに従って訪れたスイートで彼らを待ち受けていた、三人の人物。
異なる筆跡で書かれた三つの“M”とは、紀伊の陸奥宗光と長州の前原一誠以外のM機関メンバーを意味している。
それを判別できる隼人から、草介たちはあらかじめM卿たちの名を聞いていた。
前島密。
言わずと知れた“近代郵便の父”。日本における郵便制度の創始者で、御留郵便の実質的な元締めともいえる男だ。
松平春嶽。
幕末に“四賢侯”の一角として名を馳せた、旧・越前福井藩主。秀でた額に聡明さが滲み出ている。
松平容保。
京都守護職として新撰組や見廻組を率いた、旧・会津藩主。いまだ白皙の美丈夫といっても世辞ではなかろう。
構成員がMのイニシャルを持つことからM機関と呼ばれる御留郵便の統括組織だが、陸奥卿や前原卿に続いてまさかこれほどの大物が名を連ねているとは草介にも由良乃にも想像だにできないことだった。
権威や身分などには端からてんで頭を垂れる気などない草介だったが、M卿らのさしもの風格には気圧される思いだ。
いずれも四十から五十手前くらいの年齢だろう。
が、幕末の動乱期に一国の舵を取ってきたことや、国の仕組みそのものに大鉈を振るってきたことの凄みが気迫として滲み出ているではないか。
(こいつぁ……とんでもねえや)
威儀を正しつつも、草介は心の内で興奮を抑えきれずにいた。
「やすめ」
松平容保卿の号令で隼人が敬礼を解き、軽く足を開いて両手を後ろで組んだ。
後ろの三人もやや肩の力を抜き、改めてM卿らに注目する。
「諸君らの御留郵便御用、まことに御苦労です。下関で前原一誠卿への書状配達を妨害された件は聞いています。まずは命があって何より」
丁寧な言葉遣いで口を開いたのは前島密卿だ。郵便事業の長、駅逓頭だが陸奥卿よりも随分と当たりがやわらかい。
「我々が参じた理由は、あなたがたを陸奥卿の指揮下からM機関直属とするためです。ついては早速ながら任務を通達したい」
前島卿が目で合図をし、松平春嶽卿が後を引き継いだ。
「熊本で乱が勃発した。諸君らが入港する前日、二日前のことだ」
明治9(1876)年10月24日に勃発した“神風連の乱”――。
旧・肥後藩士族の勤皇派閥「敬神党」が明治政府への不満から武力蜂起したもので、先頃の廃刀令が最後の引き金になったともいわれている。
深夜に挙兵した一党は熊本鎮台司令長官・種田政明、県令・安岡良亮ら軍と県の最上層部邸宅を複数襲撃。
種田は戦死したが翌朝に急行した参謀準官・児玉源太郎少佐の部隊によって一党は鎮圧されている。
敬神党の死亡・自害は124名。一方の鎮台側は死亡およそ60名、負傷約200名と双方ともに多量の血が流された。
「これは始まりに過ぎぬ。各地にこの動きは波及するだろう。諸君が託された前原一誠卿への書状……あれはもし雄藩に乱が迫ったたとき、せめてもの引き留めとして坂本龍馬君がしたためたものだったのだ」
春嶽卿はそう言うと、テーブルに一通の書状を出した。
「龍馬君の文はもう一通ある。これを薩摩のM卿……村田新八卿に届けてほしい」
村田新八の名は草介も知っている。
少年の頃から西郷隆盛と行動を共にし、明治新政府では宮内大丞を務め岩倉具視の欧米視察にも随行した人物だ。
明治7年に帰国するが前年の政変で下野した西郷の後を追い、現在では薩摩士族の陸軍士官養成機関である私学校で教官を務めているという。
「薩摩は火薬庫だ。戦乱を防ぐため打てる手はすべて打つ。この御留郵便、諸君に託した」
容保卿が言い、すっと頭を垂れた。
前島密、松平春嶽のM卿もそれにならう。
「はっ!」
隼人が再び踵を合わせ、手刀を右のこめかみに当てる敬礼で応えた。
由良乃としのぶは辞儀を返し、草介も無意識に隼人を真似て挙手の礼を行う。
国内最後にして最大といわれる内乱へ至る導火線に、もはや火はともされていた。
後ろに居並ぶ草介・由良乃・しのぶにもいつにない緊張感が漲っている。
ボーイに渡された紙片に記されたメモに従って訪れたスイートで彼らを待ち受けていた、三人の人物。
異なる筆跡で書かれた三つの“M”とは、紀伊の陸奥宗光と長州の前原一誠以外のM機関メンバーを意味している。
それを判別できる隼人から、草介たちはあらかじめM卿たちの名を聞いていた。
前島密。
言わずと知れた“近代郵便の父”。日本における郵便制度の創始者で、御留郵便の実質的な元締めともいえる男だ。
松平春嶽。
幕末に“四賢侯”の一角として名を馳せた、旧・越前福井藩主。秀でた額に聡明さが滲み出ている。
松平容保。
京都守護職として新撰組や見廻組を率いた、旧・会津藩主。いまだ白皙の美丈夫といっても世辞ではなかろう。
構成員がMのイニシャルを持つことからM機関と呼ばれる御留郵便の統括組織だが、陸奥卿や前原卿に続いてまさかこれほどの大物が名を連ねているとは草介にも由良乃にも想像だにできないことだった。
権威や身分などには端からてんで頭を垂れる気などない草介だったが、M卿らのさしもの風格には気圧される思いだ。
いずれも四十から五十手前くらいの年齢だろう。
が、幕末の動乱期に一国の舵を取ってきたことや、国の仕組みそのものに大鉈を振るってきたことの凄みが気迫として滲み出ているではないか。
(こいつぁ……とんでもねえや)
威儀を正しつつも、草介は心の内で興奮を抑えきれずにいた。
「やすめ」
松平容保卿の号令で隼人が敬礼を解き、軽く足を開いて両手を後ろで組んだ。
後ろの三人もやや肩の力を抜き、改めてM卿らに注目する。
「諸君らの御留郵便御用、まことに御苦労です。下関で前原一誠卿への書状配達を妨害された件は聞いています。まずは命があって何より」
丁寧な言葉遣いで口を開いたのは前島密卿だ。郵便事業の長、駅逓頭だが陸奥卿よりも随分と当たりがやわらかい。
「我々が参じた理由は、あなたがたを陸奥卿の指揮下からM機関直属とするためです。ついては早速ながら任務を通達したい」
前島卿が目で合図をし、松平春嶽卿が後を引き継いだ。
「熊本で乱が勃発した。諸君らが入港する前日、二日前のことだ」
明治9(1876)年10月24日に勃発した“神風連の乱”――。
旧・肥後藩士族の勤皇派閥「敬神党」が明治政府への不満から武力蜂起したもので、先頃の廃刀令が最後の引き金になったともいわれている。
深夜に挙兵した一党は熊本鎮台司令長官・種田政明、県令・安岡良亮ら軍と県の最上層部邸宅を複数襲撃。
種田は戦死したが翌朝に急行した参謀準官・児玉源太郎少佐の部隊によって一党は鎮圧されている。
敬神党の死亡・自害は124名。一方の鎮台側は死亡およそ60名、負傷約200名と双方ともに多量の血が流された。
「これは始まりに過ぎぬ。各地にこの動きは波及するだろう。諸君が託された前原一誠卿への書状……あれはもし雄藩に乱が迫ったたとき、せめてもの引き留めとして坂本龍馬君がしたためたものだったのだ」
春嶽卿はそう言うと、テーブルに一通の書状を出した。
「龍馬君の文はもう一通ある。これを薩摩のM卿……村田新八卿に届けてほしい」
村田新八の名は草介も知っている。
少年の頃から西郷隆盛と行動を共にし、明治新政府では宮内大丞を務め岩倉具視の欧米視察にも随行した人物だ。
明治7年に帰国するが前年の政変で下野した西郷の後を追い、現在では薩摩士族の陸軍士官養成機関である私学校で教官を務めているという。
「薩摩は火薬庫だ。戦乱を防ぐため打てる手はすべて打つ。この御留郵便、諸君に託した」
容保卿が言い、すっと頭を垂れた。
前島密、松平春嶽のM卿もそれにならう。
「はっ!」
隼人が再び踵を合わせ、手刀を右のこめかみに当てる敬礼で応えた。
由良乃としのぶは辞儀を返し、草介も無意識に隼人を真似て挙手の礼を行う。
国内最後にして最大といわれる内乱へ至る導火線に、もはや火はともされていた。
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