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第七章 神戸異人街夜会
振る舞いコトレット
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「先程の敵は我々の戦力を把握していなかった。もし東堂が関わっていたなら、しのぶ殿はともかく剣を交えたという由良乃殿の力を侮りはしなかったはずだ」
「てえこたあ……」
「御留郵便妨害の意思は一つだけではないのだろう」
襲撃を退けて宿所のオリエンタルホテルに駆け戻った四人は、ようやく息をついたところだった。
敵の勢力も警備が厳重なここでは大っぴらに行動を起こすことはできないという確信のもと、皆ある程度くつろいだ様子での話ではある。
「ともあれ、これ以上は我らが思案したところで詮無きこと。まずは各々方、お勤めかたじけのうござった」
隼人が草介・由良乃・しのぶに辞儀をすると、顔を上げて何やら表情を改めた。
「ついては、ええ……おほん、方々に食事を振る舞いたい」
ここはオリエンタルホテル併設の食堂。
テーブルに着いた四人のうち隼人と草介は先ほど通り洋装のままだが、由良乃としのぶは別の着物へと着替えている。
眼前には草介と由良乃が初めて見る西洋料理。
熱した脂の芳ばしさと、よく熟れた酒を思わせる芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
「はーさん、これなんて飯?」
「コトレットという。薄打ちにした牛の肉に麺麭の粉をつけて油で揚げてある。かかっているのは葡萄酒や肉汁を煮詰めたものだ」
「草介くんと由良乃ちゃんは初めてなのね。めっちゃおいしいわよ」
「お箸ではなく、この刀子と小さな熊手のようなもので食べるのですか」
「左様。見ていてくだされ」
ナイフとフォークを手に取った隼人が、カツレツの源流である料理を食べよく切り分けてみせる。
草介と由良乃も見様見真似で試みるが、さすがに慣れない道具には苦心しているようだ。
「うめえや……!」
「おいしい」
さくりと噛み切った衣の歯応えに続いて、弾力のある牛肉の旨味があとからあとから沁みだしてくる。
デミグラスソースの甘みとコクがそれに加わり、大げさではなく天上の美味と思われた。
「このタレもすげえうめえ。白いおまんまにのっけて食いてえ」
「それはぜったいおいしいわよねえ」
「気に入ったか」
隼人がほんの少し口元を緩めた。
この男にしては笑顔といって差し支えないことが、今の草介にはよくわかる。
「片倉先生は軍……紀伊戍営時代にこうしたお料理を召し上がっておられたのですか」
由良乃の質問に隼人はぴくりと片眉を上げ、そして頷いた。
「いかにも。食事もプロイセン式、もとい西洋式で牛肉はよく膳にのぼり申した。あの頃の紀伊にはプロイセンから実に様々な文物がもたらされ、それがしが普段履いている靴も元は軍靴でござった」
「そのジュエイっつうのが解散になっても、陸軍さんにゃ行かなかったんだな」
コトレットを頬張りながら尋ねる草介に、隼人はどこか懐かしそうに目を細める。
「ああ。士官として軍に入隊する道もあったが、徳川茂承公直々の肝煎りで御留郵便御用を拝命したのだ」
最後の紀伊藩主にして、隼人と東堂靫衛を法福寺隊に派遣した人物だ。
かつて七里飛脚として駆け、重要な戦局に従軍した経験のある隼人に特別な信頼を寄せていたのだという。
「ふうん……。ところでよう、なんだって急に飯なんかおごってくれたんでえ。槍でも降るんじゃねえかいって」
言葉とは裏腹に嬉しそうな草介に、由良乃もしのぶも思わず吹き出しそうになってしまう。
が、隼人はいたって大真面目だ。
「約束したからではないか」
「約束? したっけか?」
「儂が東堂に斬られた後、“許さぬから旨いものを食わせろ”と」
「朦朧としてやがったのに、んなこと覚えてやがんのかよ」
「ああ」
「もういいよう、小っ恥ずかしいったらありゃしねえ」
たまらず由良乃としのぶが笑い声を上げたとき、ボーイの一人がすっとテーブルに近付いてきた。
「お食事中大変失礼いたします。カタクラさまにこちらを」
そう言って紙片を渡し、一礼して下がってゆく。
目を走らせた隼人が、表情を引き締めた。
「またなんか悪い知らせかよ……?」
「わからん。だが良い知らせではなかろうな」
そこには最上階の部屋番号、そしてそれぞれ異なる筆跡で三つの“М”が記されていた。
「てえこたあ……」
「御留郵便妨害の意思は一つだけではないのだろう」
襲撃を退けて宿所のオリエンタルホテルに駆け戻った四人は、ようやく息をついたところだった。
敵の勢力も警備が厳重なここでは大っぴらに行動を起こすことはできないという確信のもと、皆ある程度くつろいだ様子での話ではある。
「ともあれ、これ以上は我らが思案したところで詮無きこと。まずは各々方、お勤めかたじけのうござった」
隼人が草介・由良乃・しのぶに辞儀をすると、顔を上げて何やら表情を改めた。
「ついては、ええ……おほん、方々に食事を振る舞いたい」
ここはオリエンタルホテル併設の食堂。
テーブルに着いた四人のうち隼人と草介は先ほど通り洋装のままだが、由良乃としのぶは別の着物へと着替えている。
眼前には草介と由良乃が初めて見る西洋料理。
熱した脂の芳ばしさと、よく熟れた酒を思わせる芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
「はーさん、これなんて飯?」
「コトレットという。薄打ちにした牛の肉に麺麭の粉をつけて油で揚げてある。かかっているのは葡萄酒や肉汁を煮詰めたものだ」
「草介くんと由良乃ちゃんは初めてなのね。めっちゃおいしいわよ」
「お箸ではなく、この刀子と小さな熊手のようなもので食べるのですか」
「左様。見ていてくだされ」
ナイフとフォークを手に取った隼人が、カツレツの源流である料理を食べよく切り分けてみせる。
草介と由良乃も見様見真似で試みるが、さすがに慣れない道具には苦心しているようだ。
「うめえや……!」
「おいしい」
さくりと噛み切った衣の歯応えに続いて、弾力のある牛肉の旨味があとからあとから沁みだしてくる。
デミグラスソースの甘みとコクがそれに加わり、大げさではなく天上の美味と思われた。
「このタレもすげえうめえ。白いおまんまにのっけて食いてえ」
「それはぜったいおいしいわよねえ」
「気に入ったか」
隼人がほんの少し口元を緩めた。
この男にしては笑顔といって差し支えないことが、今の草介にはよくわかる。
「片倉先生は軍……紀伊戍営時代にこうしたお料理を召し上がっておられたのですか」
由良乃の質問に隼人はぴくりと片眉を上げ、そして頷いた。
「いかにも。食事もプロイセン式、もとい西洋式で牛肉はよく膳にのぼり申した。あの頃の紀伊にはプロイセンから実に様々な文物がもたらされ、それがしが普段履いている靴も元は軍靴でござった」
「そのジュエイっつうのが解散になっても、陸軍さんにゃ行かなかったんだな」
コトレットを頬張りながら尋ねる草介に、隼人はどこか懐かしそうに目を細める。
「ああ。士官として軍に入隊する道もあったが、徳川茂承公直々の肝煎りで御留郵便御用を拝命したのだ」
最後の紀伊藩主にして、隼人と東堂靫衛を法福寺隊に派遣した人物だ。
かつて七里飛脚として駆け、重要な戦局に従軍した経験のある隼人に特別な信頼を寄せていたのだという。
「ふうん……。ところでよう、なんだって急に飯なんかおごってくれたんでえ。槍でも降るんじゃねえかいって」
言葉とは裏腹に嬉しそうな草介に、由良乃もしのぶも思わず吹き出しそうになってしまう。
が、隼人はいたって大真面目だ。
「約束したからではないか」
「約束? したっけか?」
「儂が東堂に斬られた後、“許さぬから旨いものを食わせろ”と」
「朦朧としてやがったのに、んなこと覚えてやがんのかよ」
「ああ」
「もういいよう、小っ恥ずかしいったらありゃしねえ」
たまらず由良乃としのぶが笑い声を上げたとき、ボーイの一人がすっとテーブルに近付いてきた。
「お食事中大変失礼いたします。カタクラさまにこちらを」
そう言って紙片を渡し、一礼して下がってゆく。
目を走らせた隼人が、表情を引き締めた。
「またなんか悪い知らせかよ……?」
「わからん。だが良い知らせではなかろうな」
そこには最上階の部屋番号、そしてそれぞれ異なる筆跡で三つの“М”が記されていた。
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