46 / 104
第七章 神戸異人街夜会
暗夜の乱闘
しおりを挟む
神戸外国人居留地にはガス燈が設置されている。
ほのかな明かりが点々と続く様子は夜の通りを華やかに彩るが、一歩路地裏へ入ればもちろん他と平等に昏い。
宿所のオリエンタルホテルへ向けて、四人は暗がりを選ぶように迂回しながら走ってゆく。
「しっかしはーさん、驚えたなあ」
「何がだ草介」
「西洋踊りも西洋弁もうめえもんだなあ。愛想なしのおいちゃんと思ってたっけ、どうしてなかなか」
「痛み入る」
「それによう。前からだけどお師ちゃんやらしのぶ姐さんやら、あんなべっぴんさん方とお知り合いたあよう」
「べっぴん?」
「おうさ、日ノ本に隠れなきべっぴんじゃねえか」
「別嬪か……。なるほど」
「なんでえ」
「草介お前は……。あの御婦人方の恐ろしさを知らぬのだ」
隼人は少し後からズボン姿でとっとこ軽快に駆けるしのぶと、振袖の裾をからげてちょこちょこ走る由良乃をちらりと振り返った。
「はい? なんの話を――」
草介がそう言いかけたとき、四人が一斉に周囲の異変に気付いた。
「来たわね」
「はい、四方向です」
追手だ。メアリーが自分には手出しできないと断言していたことは本当で、その代わりに御留郵便を配達した隼人たちを追跡してきたのだ。
「おいらたちがまだなんか持ってると思ってやがんのか」
「いや、情報が欲しいのだろう。だとすれば生け捕りが目的か」
四辻に差し掛かったとき、ふいに左右の屋敷陰から躍り出てきた数人が四人を分断する形で道を塞いだ。
前方に隼人と草介、後方には由良乃としのぶ。直後にはさらにばらばらと前後からも男たちが集まってくる。
暗がりでよくは見えないが、由良乃としのぶを囲む人数が圧倒的に多い。
女性と見て、こちらを標的に定めたのだ。
と、隼人と草介の前方に立ちはだかった三人の男がステッキの鞘を払った。仕込み刀だ。
「草介、少し下がれ」
物も言わず襲ってきた男の太刀筋を入り身でかわした隼人は、その瞬間に当身を入れて仕込み刀を奪った。
同時にステッキの鞘を草介に向けて放り投げる。
「すまねえ…って、短けえよ!」
騒ぎながらもう一人の男が斬り掛かってくるのを受け止めつつ、
「はーさん、あっちに加勢してくれ! お師ちゃんと姐さんが!」
大勢で取り囲まれた由良乃としのぶへの救援を請うた。
が、隼人が相手をしているもう一人の男が手練れのようで、仕込み刀で西洋剣術のように突きの応酬が続いている。
「この住宅街で銃は使えまい。ならばあのお二人は大丈夫だ。まずは目の前の敵を」
「んなこと言っても!」
草介に向けて、男が仕込み刀を大きく振りかぶった。
考える間もなく、反射的にその懐へ飛び込む。真半身のままステッキ鞘の先を繰り出し、体ごと敵の水月にぶつける。蟇のつぶれるような呻きを漏らして、男は前のめりにくずおれた。
ほぼ同時に隼人も相手の突きを絡め取り、そのまま間合いを詰めて脇腹の急所を強打する。
戦闘不能になった敵を尻目に、草介は由良乃としのぶの助太刀に向かおうと振り返った。
と、いましもその目に映ったのは宙を舞う巨漢と、散り散りに退散していく男たちの姿だった。
包囲が解けた暗い路地で、由良乃としのぶが闘っている。
地面には、あらぬ体勢で倒れ伏している男たちの姿が。
「ええ……」
「言ったろう。大丈夫だと」
いつの間にか側に来た隼人が草介の肩に手を置く。
由良乃としのぶの相手は最後の一人ずつで、倒れている者以外にはもう誰もいない。
屈強そうな男が、由良乃を捕まえるべく両腕で刈ろうとした。
由良乃は瞬時身を屈めて躱し、男の懐に入って背を密着させると腕を取り、そのまま前方に背負い落した。
頭から垂直に落下した男は二三度痙攣し、ゆっくりと倒れてゆく。
一方ではナイフを振りかざす男をしのぶが巧みに捌いている。
持っているのは細長い三角状をした、変わった刃物だ。
「あ、あれ! 忍者が持ってる……」
「苦無だ。しのぶ殿は最後の紀伊御庭番の」
「それさっき聞いた気がする」
一瞬の隙をついて、しのぶが男の首筋に軽く苦無の先を当てた。
たちまちに泡を吹いた男は、やはり痙攣しながらその場に倒れ込んでしまう。
「しびれ薬と間違えちゃったか」
しのぶがぺろっと舌を出し、由良乃は涼しい顔で振袖の着装を整えている。
「僭越ながらこの御婦人方が……儂は誇らしい」
「ああ――。すげえべっぴんじゃねえかい」
由良乃としのぶに促され、四人は再び夜の神戸居留地を駆けていった。
ほのかな明かりが点々と続く様子は夜の通りを華やかに彩るが、一歩路地裏へ入ればもちろん他と平等に昏い。
宿所のオリエンタルホテルへ向けて、四人は暗がりを選ぶように迂回しながら走ってゆく。
「しっかしはーさん、驚えたなあ」
「何がだ草介」
「西洋踊りも西洋弁もうめえもんだなあ。愛想なしのおいちゃんと思ってたっけ、どうしてなかなか」
「痛み入る」
「それによう。前からだけどお師ちゃんやらしのぶ姐さんやら、あんなべっぴんさん方とお知り合いたあよう」
「べっぴん?」
「おうさ、日ノ本に隠れなきべっぴんじゃねえか」
「別嬪か……。なるほど」
「なんでえ」
「草介お前は……。あの御婦人方の恐ろしさを知らぬのだ」
隼人は少し後からズボン姿でとっとこ軽快に駆けるしのぶと、振袖の裾をからげてちょこちょこ走る由良乃をちらりと振り返った。
「はい? なんの話を――」
草介がそう言いかけたとき、四人が一斉に周囲の異変に気付いた。
「来たわね」
「はい、四方向です」
追手だ。メアリーが自分には手出しできないと断言していたことは本当で、その代わりに御留郵便を配達した隼人たちを追跡してきたのだ。
「おいらたちがまだなんか持ってると思ってやがんのか」
「いや、情報が欲しいのだろう。だとすれば生け捕りが目的か」
四辻に差し掛かったとき、ふいに左右の屋敷陰から躍り出てきた数人が四人を分断する形で道を塞いだ。
前方に隼人と草介、後方には由良乃としのぶ。直後にはさらにばらばらと前後からも男たちが集まってくる。
暗がりでよくは見えないが、由良乃としのぶを囲む人数が圧倒的に多い。
女性と見て、こちらを標的に定めたのだ。
と、隼人と草介の前方に立ちはだかった三人の男がステッキの鞘を払った。仕込み刀だ。
「草介、少し下がれ」
物も言わず襲ってきた男の太刀筋を入り身でかわした隼人は、その瞬間に当身を入れて仕込み刀を奪った。
同時にステッキの鞘を草介に向けて放り投げる。
「すまねえ…って、短けえよ!」
騒ぎながらもう一人の男が斬り掛かってくるのを受け止めつつ、
「はーさん、あっちに加勢してくれ! お師ちゃんと姐さんが!」
大勢で取り囲まれた由良乃としのぶへの救援を請うた。
が、隼人が相手をしているもう一人の男が手練れのようで、仕込み刀で西洋剣術のように突きの応酬が続いている。
「この住宅街で銃は使えまい。ならばあのお二人は大丈夫だ。まずは目の前の敵を」
「んなこと言っても!」
草介に向けて、男が仕込み刀を大きく振りかぶった。
考える間もなく、反射的にその懐へ飛び込む。真半身のままステッキ鞘の先を繰り出し、体ごと敵の水月にぶつける。蟇のつぶれるような呻きを漏らして、男は前のめりにくずおれた。
ほぼ同時に隼人も相手の突きを絡め取り、そのまま間合いを詰めて脇腹の急所を強打する。
戦闘不能になった敵を尻目に、草介は由良乃としのぶの助太刀に向かおうと振り返った。
と、いましもその目に映ったのは宙を舞う巨漢と、散り散りに退散していく男たちの姿だった。
包囲が解けた暗い路地で、由良乃としのぶが闘っている。
地面には、あらぬ体勢で倒れ伏している男たちの姿が。
「ええ……」
「言ったろう。大丈夫だと」
いつの間にか側に来た隼人が草介の肩に手を置く。
由良乃としのぶの相手は最後の一人ずつで、倒れている者以外にはもう誰もいない。
屈強そうな男が、由良乃を捕まえるべく両腕で刈ろうとした。
由良乃は瞬時身を屈めて躱し、男の懐に入って背を密着させると腕を取り、そのまま前方に背負い落した。
頭から垂直に落下した男は二三度痙攣し、ゆっくりと倒れてゆく。
一方ではナイフを振りかざす男をしのぶが巧みに捌いている。
持っているのは細長い三角状をした、変わった刃物だ。
「あ、あれ! 忍者が持ってる……」
「苦無だ。しのぶ殿は最後の紀伊御庭番の」
「それさっき聞いた気がする」
一瞬の隙をついて、しのぶが男の首筋に軽く苦無の先を当てた。
たちまちに泡を吹いた男は、やはり痙攣しながらその場に倒れ込んでしまう。
「しびれ薬と間違えちゃったか」
しのぶがぺろっと舌を出し、由良乃は涼しい顔で振袖の着装を整えている。
「僭越ながらこの御婦人方が……儂は誇らしい」
「ああ――。すげえべっぴんじゃねえかい」
由良乃としのぶに促され、四人は再び夜の神戸居留地を駆けていった。
1
お気に入りに追加
59
あなたにおすすめの小説
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
【完結】月よりきれい
悠井すみれ
歴史・時代
職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。
清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。
純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。
嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。
第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。
表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳
勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません)
南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。
表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。
2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる