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第七章 神戸異人街夜会
暗夜の乱闘
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神戸外国人居留地にはガス燈が設置されている。
ほのかな明かりが点々と続く様子は夜の通りを華やかに彩るが、一歩路地裏へ入ればもちろん他と平等に昏い。
宿所のオリエンタルホテルへ向けて、四人は暗がりを選ぶように迂回しながら走ってゆく。
「しっかしはーさん、驚えたなあ」
「何がだ草介」
「西洋踊りも西洋弁もうめえもんだなあ。愛想なしのおいちゃんと思ってたっけ、どうしてなかなか」
「痛み入る」
「それによう。前からだけどお師ちゃんやらしのぶ姐さんやら、あんなべっぴんさん方とお知り合いたあよう」
「べっぴん?」
「おうさ、日ノ本に隠れなきべっぴんじゃねえか」
「別嬪か……。なるほど」
「なんでえ」
「草介お前は……。あの御婦人方の恐ろしさを知らぬのだ」
隼人は少し後からズボン姿でとっとこ軽快に駆けるしのぶと、振袖の裾をからげてちょこちょこ走る由良乃をちらりと振り返った。
「はい? なんの話を――」
草介がそう言いかけたとき、四人が一斉に周囲の異変に気付いた。
「来たわね」
「はい、四方向です」
追手だ。メアリーが自分には手出しできないと断言していたことは本当で、その代わりに御留郵便を配達した隼人たちを追跡してきたのだ。
「おいらたちがまだなんか持ってると思ってやがんのか」
「いや、情報が欲しいのだろう。だとすれば生け捕りが目的か」
四辻に差し掛かったとき、ふいに左右の屋敷陰から躍り出てきた数人が四人を分断する形で道を塞いだ。
前方に隼人と草介、後方には由良乃としのぶ。直後にはさらにばらばらと前後からも男たちが集まってくる。
暗がりでよくは見えないが、由良乃としのぶを囲む人数が圧倒的に多い。
女性と見て、こちらを標的に定めたのだ。
と、隼人と草介の前方に立ちはだかった三人の男がステッキの鞘を払った。仕込み刀だ。
「草介、少し下がれ」
物も言わず襲ってきた男の太刀筋を入り身でかわした隼人は、その瞬間に当身を入れて仕込み刀を奪った。
同時にステッキの鞘を草介に向けて放り投げる。
「すまねえ…って、短けえよ!」
騒ぎながらもう一人の男が斬り掛かってくるのを受け止めつつ、
「はーさん、あっちに加勢してくれ! お師ちゃんと姐さんが!」
大勢で取り囲まれた由良乃としのぶへの救援を請うた。
が、隼人が相手をしているもう一人の男が手練れのようで、仕込み刀で西洋剣術のように突きの応酬が続いている。
「この住宅街で銃は使えまい。ならばあのお二人は大丈夫だ。まずは目の前の敵を」
「んなこと言っても!」
草介に向けて、男が仕込み刀を大きく振りかぶった。
考える間もなく、反射的にその懐へ飛び込む。真半身のままステッキ鞘の先を繰り出し、体ごと敵の水月にぶつける。蟇のつぶれるような呻きを漏らして、男は前のめりにくずおれた。
ほぼ同時に隼人も相手の突きを絡め取り、そのまま間合いを詰めて脇腹の急所を強打する。
戦闘不能になった敵を尻目に、草介は由良乃としのぶの助太刀に向かおうと振り返った。
と、いましもその目に映ったのは宙を舞う巨漢と、散り散りに退散していく男たちの姿だった。
包囲が解けた暗い路地で、由良乃としのぶが闘っている。
地面には、あらぬ体勢で倒れ伏している男たちの姿が。
「ええ……」
「言ったろう。大丈夫だと」
いつの間にか側に来た隼人が草介の肩に手を置く。
由良乃としのぶの相手は最後の一人ずつで、倒れている者以外にはもう誰もいない。
屈強そうな男が、由良乃を捕まえるべく両腕で刈ろうとした。
由良乃は瞬時身を屈めて躱し、男の懐に入って背を密着させると腕を取り、そのまま前方に背負い落した。
頭から垂直に落下した男は二三度痙攣し、ゆっくりと倒れてゆく。
一方ではナイフを振りかざす男をしのぶが巧みに捌いている。
持っているのは細長い三角状をした、変わった刃物だ。
「あ、あれ! 忍者が持ってる……」
「苦無だ。しのぶ殿は最後の紀伊御庭番の」
「それさっき聞いた気がする」
一瞬の隙をついて、しのぶが男の首筋に軽く苦無の先を当てた。
たちまちに泡を吹いた男は、やはり痙攣しながらその場に倒れ込んでしまう。
「しびれ薬と間違えちゃったか」
しのぶがぺろっと舌を出し、由良乃は涼しい顔で振袖の着装を整えている。
「僭越ながらこの御婦人方が……儂は誇らしい」
「ああ――。すげえべっぴんじゃねえかい」
由良乃としのぶに促され、四人は再び夜の神戸居留地を駆けていった。
ほのかな明かりが点々と続く様子は夜の通りを華やかに彩るが、一歩路地裏へ入ればもちろん他と平等に昏い。
宿所のオリエンタルホテルへ向けて、四人は暗がりを選ぶように迂回しながら走ってゆく。
「しっかしはーさん、驚えたなあ」
「何がだ草介」
「西洋踊りも西洋弁もうめえもんだなあ。愛想なしのおいちゃんと思ってたっけ、どうしてなかなか」
「痛み入る」
「それによう。前からだけどお師ちゃんやらしのぶ姐さんやら、あんなべっぴんさん方とお知り合いたあよう」
「べっぴん?」
「おうさ、日ノ本に隠れなきべっぴんじゃねえか」
「別嬪か……。なるほど」
「なんでえ」
「草介お前は……。あの御婦人方の恐ろしさを知らぬのだ」
隼人は少し後からズボン姿でとっとこ軽快に駆けるしのぶと、振袖の裾をからげてちょこちょこ走る由良乃をちらりと振り返った。
「はい? なんの話を――」
草介がそう言いかけたとき、四人が一斉に周囲の異変に気付いた。
「来たわね」
「はい、四方向です」
追手だ。メアリーが自分には手出しできないと断言していたことは本当で、その代わりに御留郵便を配達した隼人たちを追跡してきたのだ。
「おいらたちがまだなんか持ってると思ってやがんのか」
「いや、情報が欲しいのだろう。だとすれば生け捕りが目的か」
四辻に差し掛かったとき、ふいに左右の屋敷陰から躍り出てきた数人が四人を分断する形で道を塞いだ。
前方に隼人と草介、後方には由良乃としのぶ。直後にはさらにばらばらと前後からも男たちが集まってくる。
暗がりでよくは見えないが、由良乃としのぶを囲む人数が圧倒的に多い。
女性と見て、こちらを標的に定めたのだ。
と、隼人と草介の前方に立ちはだかった三人の男がステッキの鞘を払った。仕込み刀だ。
「草介、少し下がれ」
物も言わず襲ってきた男の太刀筋を入り身でかわした隼人は、その瞬間に当身を入れて仕込み刀を奪った。
同時にステッキの鞘を草介に向けて放り投げる。
「すまねえ…って、短けえよ!」
騒ぎながらもう一人の男が斬り掛かってくるのを受け止めつつ、
「はーさん、あっちに加勢してくれ! お師ちゃんと姐さんが!」
大勢で取り囲まれた由良乃としのぶへの救援を請うた。
が、隼人が相手をしているもう一人の男が手練れのようで、仕込み刀で西洋剣術のように突きの応酬が続いている。
「この住宅街で銃は使えまい。ならばあのお二人は大丈夫だ。まずは目の前の敵を」
「んなこと言っても!」
草介に向けて、男が仕込み刀を大きく振りかぶった。
考える間もなく、反射的にその懐へ飛び込む。真半身のままステッキ鞘の先を繰り出し、体ごと敵の水月にぶつける。蟇のつぶれるような呻きを漏らして、男は前のめりにくずおれた。
ほぼ同時に隼人も相手の突きを絡め取り、そのまま間合いを詰めて脇腹の急所を強打する。
戦闘不能になった敵を尻目に、草介は由良乃としのぶの助太刀に向かおうと振り返った。
と、いましもその目に映ったのは宙を舞う巨漢と、散り散りに退散していく男たちの姿だった。
包囲が解けた暗い路地で、由良乃としのぶが闘っている。
地面には、あらぬ体勢で倒れ伏している男たちの姿が。
「ええ……」
「言ったろう。大丈夫だと」
いつの間にか側に来た隼人が草介の肩に手を置く。
由良乃としのぶの相手は最後の一人ずつで、倒れている者以外にはもう誰もいない。
屈強そうな男が、由良乃を捕まえるべく両腕で刈ろうとした。
由良乃は瞬時身を屈めて躱し、男の懐に入って背を密着させると腕を取り、そのまま前方に背負い落した。
頭から垂直に落下した男は二三度痙攣し、ゆっくりと倒れてゆく。
一方ではナイフを振りかざす男をしのぶが巧みに捌いている。
持っているのは細長い三角状をした、変わった刃物だ。
「あ、あれ! 忍者が持ってる……」
「苦無だ。しのぶ殿は最後の紀伊御庭番の」
「それさっき聞いた気がする」
一瞬の隙をついて、しのぶが男の首筋に軽く苦無の先を当てた。
たちまちに泡を吹いた男は、やはり痙攣しながらその場に倒れ込んでしまう。
「しびれ薬と間違えちゃったか」
しのぶがぺろっと舌を出し、由良乃は涼しい顔で振袖の着装を整えている。
「僭越ながらこの御婦人方が……儂は誇らしい」
「ああ――。すげえべっぴんじゃねえかい」
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