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第七章 神戸異人街夜会

追想夜会(三)

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「もう少しだけ、あなたのことを教えてちょうだいな」

テンポが上がるとともに加速した踊りの輪の中、老婦人は息を切らすこともなく隼人に尋ねる。
この東洋の老紳士のことを、既にずいぶんと気に入ってしまったようだった。

「あなたの家系はずっとキイの軍人だったの」
「はい、マダム。ただ、騎士身分ではなく代々が兵卒でした。旧体制の時代、私は紀伊本国と首都とを中継する郵便配達の任に就いていたのです」
「そう。じゃああなたは、サムライのポストマンなのね」

メアリーの言葉に、隼人は軽く微笑み無言で応えた。
もちろん彼女の発したサムライという言葉は、身分ではなく概念のことだとわかっている。

「名残惜しいけれどそろそろ曲が終わるわね。本題をうかがおうかしら」

メアリーの声音が変わり、事業家としての表情があらわれた。
隼人は前を向いたまま、彼女にだけ聞こえるような声でそれに応える。

「今からお渡しする手紙を、開拓使測量長から陸軍に異動されたジェームズ・R・ワッソン氏に回送して頂きたいのです」

ジェームズ・ロバート・ワッソン――。
御雇外国人として北海道の測量に着手したアメリカの陸軍士官で、日本における本格的な三角測量の嚆矢とされる人物だ。
この時期には陸軍省のもと、東京大学の前身である開成学校で教鞭を執っている。
北海道の測量は後任のモルレー・シンプソン・デイ米海軍大尉が引き継ぎ、明治8(1875)年に『北海道実測図』が完成したばかりだった。

「なぜわたしにそれを?」
「もっとも安全かつ確実な方法だと私の雇い主が判断したためです」
「なるほど。北の動きに過敏になっているのは、南の士族が不穏なためね」
「私にはお答えできかねますが……。もう一つ伝言があるのです」

ステップを踏んで回った瞬間、隼人がメアリーの耳元に口を近付け何事かを囁いた。
彼女の表情が、一段と引き締まった。

「それを伝えればよいのね」
「お願いできますか」
「よろしい。必ず届け、そしてお伝えしましょう」
「感謝します。マダム」
「ところでパーティーに紛れている目つきの悪い方たちはお知り合い?」
「さすがによくお気付きだ。私共の動きを監視し、可能ならば妨害したい勢力がいるようです。マダムの御身に危険が及ぶと……」
「わたしには決して手出しできないわ。あなたと、あとご一緒のお嬢さん方と坊やの方が心配ね」

そう言うとメアリーは踊りながら、会場の端に目配せをした。
執事バトラーのような初老の男性がすっと動き、スタッフと思しき数人が移動してゆくのが見える。

「この曲が終わったら奥の部屋から外に出なさい。お友達も執事たちが導きます」
「感謝します。マダム」

曲が終わった。
拍手が巻き起こり、ホールの方々で男性はパートナーの女性と挨拶を交わしている。
隼人は再びメアリーの手を取り、小腰を屈めてその甲に唇を近付ける古式の礼と共に、

「郵便でござる」

囁くようにそう言ってそっと書状を手渡した。

「次は正式な夜会にご招待したいわ。その時は最上礼装タキシード姿を見られるわね」
「おそれいります。では、ご機嫌う」

離れていくペアと、入れ替わって新たにホールに向かってくるペアとに紛れて、隼人は端のドアから奥の部屋へと向かった。ごく自然に執事たちが順路を示し、ほどなく暗い廊下で草介と由良乃、しのぶも合流してきた。

「こちらへ。ご無礼ながら窓へのお見送りなどわたくしも初めてでございます。外まで高くはありませんがお気をつけて」

執事の一人がユーモアたっぷりに窓を示す。

「じゃあこれ、迷惑料」

そう言ってしのぶが纏っていたドレスをばさっと脱いだ。本式の夜会用ではないとはいえ、ふんわりとボリュームのある生地が暗がりに翻る。
びっくりしたのも束の間、その下からは西洋風のシャツとズボン姿が現れた。
どこにしまっていたのかハンチングをかぶり、すっかり身軽になって窓辺に足をかける。

「しのぶ姐さんも忍者みてえ」

ぽかんとして呟いた草介に、しのぶが振り返って片目をつむってみせる。

「しのぶ殿は最後の紀伊御庭番の一人だからな」
「御庭番って……。忍者? ほんもの?」
「話は後だ。ゆくぞ」

続いて隼人と草介が外へ下り、最後に振袖をたくして由良乃が続いた。

「ありがとう、執事さん」

口々に小声で礼を述べつつ、四人は夜の居留地へと走り出した。
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