剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ

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第七章 神戸異人街夜会

追想夜会(二)

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音楽が始まった。
比較的ゆったりとしたテンポのワルツだ。

「お上手じゃないの」

手を取り合って踏み出した直後、メアリーが感嘆の声を上げた。
呼吸と歩幅がしっくりと合うのは、隼人が巧みに彼女の身体の遣い方を読んでいるからだ。
優雅な円を描くように、二人はふわりふわりとホールを舞ってゆく。

「おそれいります、マダム」
「ねえ、当ててみせましょうか」

メアリーは先ほどから悪戯っぽい笑みを絶やさず、好奇心を隠せない様子で囁いた。

「あなたはキイという国の軍人だったでしょう」
「……なぜそう思われるのです」
「そのプロイセン訛りの英語。この国の方にしては達者なワルツ。あとその姿勢、立ち居振る舞い」
「お見それしました……。いかにも私は、紀伊の戍営兵じゅえいへいとしてプロシア式の訓練を受けました」
「教官はカール・ケッペン特務少尉ね」
「その通りです」

明治2(1869)年、紀伊は大胆な兵制改革によって身分を問わない徴兵制による洋式近代化軍を創設した。
後に戍営じゅえいとも呼ばれるが、兵役による常備軍であるため「交代兵」の名で知られている。
これは明治新政府の兵制よりおよそ三年早い、全国初の徴兵制軍隊だ。
そしてこれを教導したのがプロイセン出身の軍人、カール・ケッペンだった。
紀伊が軍制にプロイセン式を選んだのには、1866年の普墺戦争でオーストリア帝国を撃破した“ドライゼ銃”の導入が関連している。
ケッペンは当初、ドライゼが用いる紙製薬莢の専用弾薬を国内製造するために招かれた御雇外国人だったのだ。
この兵制改革を主導したのは紀州藩士・津田いずる。天誅組討伐の武勲で知られる農兵隊を率いた、津田正臣の兄にあたる男だ。
隼人が所属した法福寺隊もこの戍営兵に組み込まれ、隊長の北畠道龍は新たに歩兵大隊長の任に就いたのだった。
さらにこの改革には、あの陸奥宗光も深く関わっている。

「けれどたった二年でキイの軍は解散したのよね」
「ええ。1871年の廃藩置県で紀州藩が解体され、それと共に戍営も解散となりました」
「ドライゼを装備したキイ軍。海外や国内他藩からも大勢が視察にきたそうね。そしてあなたの国はこう呼ばれた――。“小さなプロイセン”」

メアリーの言葉に、隼人は少し複雑な表情で目を細めた。


一方、周囲に警戒しつつ舞踏の様子を離れて見ていた草介たち。

「そう……。片倉先生は軍におられたのですね」
「えっ! お師ちゃんこの距離で話し声聞こえたの!?」

ぽつりと呟いた由良乃に、草介がびっくりして頓狂な声を上げた。

「まさか。先生と御婦人の口の動きから」
「すげえな……あれ英語で喋ってんだよな。お師ちゃん忍者みてえ」
「草介くん、由良乃ちゃん。あんまりじっとしてたらかえって目立つから、誘われたらわたしも踊ってくるね。なんかあったら合図して」

そう言うとしのぶはすっとホールに足を踏み出した。
すぐさま外国人の紳士が声をかけ、しのぶはにこやかに応じてその手を取った。

「ちょっ、姐さん! 合図は?」
「なんか気合の目配せ」

しのぶを見送りつつ、なんとしたことか由良乃もその後に続いて草介から離れた。

「お師ちゃんも? でえじょうぶなのかい」
「見ていたら今の形は覚えました。和服ですが殿方が気を遣ってくれるでしょう。皆さん気さくに踊っておられますし、どうやら片倉先生が一番お上手なようです」
「ほんと? 無理すんじゃねえぜ」
「心配ご無用。コテ、メン、ドウの拍子です」
「ええ……?」

由良乃まで行ってしまい、思わず肩を落とす草介。

「これぁ、おいらも腹括って異国の姉ちゃんに申し込むかい」

などと独り言ちたとき、ふいに人混みの向こうから視線を感じた。
はっとしたがこちらが気付いたことを悟られないよう、何気ない風を装って飲み物を取りに立つ。
その合間で逆方向にそっと目を走らせると、さっと顔を伏せて視線を外した者がいた。

「……いやがるな」

草介がしのぶと由良乃の向かったホールを見やると、彼女たちもそれに気付いたようで目配せを送ってきた。
曲はいましも、より早く軽快なテンポに変わったところだった。
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