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第七章 神戸異人街夜会

追想夜会(一)

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「この屋敷の主“メアリー・ヤード”女史。ここ神戸の開港当初から女手ひとつで一財をなした、やりての貿易商よ。今は主に北海道開拓使に向けた物資を扱っているわ」

天井が高く、すっきりと品のいい洋館。舞踏会の会場でもあるこの邸宅には、既に多くの人々が詰めかけている。
西洋人と日本人がほぼ半々。
衣装はまちまちで和装の者もいるが、多くは洋風の出で立ちで思い思いに談笑を交わしている。

これから任務で接触せねばならない相手のことを、草介と由良乃に説明しているのはM機関密偵のしのぶだ。
欧米で過ごしたことのある彼女はかの地の社交儀礼にも明るく、今回の任務になくてはならない人員として随行している。

「しのぶ姐さん、ドレスまぶいじゃねえですか」
「まだまだ序の口よ」

夜会とはいえホームパーティーの位置付けのため、ドレスコードは最上礼装ではない。
だが洋装に慣れたしのぶの着こなしは華やかで、振袖姿の由良乃も憧憬の眼差しを隠していない。

メアリー女史には書状と共に直接の伝言を届ける必要があるため、今夜の舞踏会はその千載一遇の機会だ。
これまでの経緯から配達を妨害される可能性も少なくないため、夜会の人混みはかえって防壁の役割を果たすともいえる。
もっともメアリー女史に間近で対面できればの話で、なおかつ来賓に混じってまだ見ぬ敵対勢力が目を光らせているかもしれない。

草介・由良乃・しのぶの三人は、そうした動きをそれとなく警戒するために配置されているのだ。
書状を届けるのは隼人の役目だが、いったいどうやって務めを果たすつもりなのか。
陸奥卿の手配した招待状を手にこの屋敷を訪れる直前、草介がそのことを尋ねると、

「どうもこうもない。正面から行ってお届けするまで。周囲の見張りをよろしく頼む」

ぴくりと片眉を上げ、そう言っただけだった。

かくしてメアリー・ヤード邸の舞踏会場。
山の手側の斜面に建てられているものの、内部は実に広い。
設えには飴色の光沢をもつ木がふんだんに使われ、豪勢ながらも嫌味のない調度が並んでいる。
外国人の楽団が妙えなる音を奏で、無数の蝋燭とギヤマンで出来た照明に着飾った人々が照らし出されていた。

「なんてきれいな音……。特にあの、肩にのせて弓のようなもので奏でているのは……」
「あれはヴァイオリンという楽器ね」

室内楽に魅入られている由良乃に、しのぶがそっと説明を加える。
なんという曲かはわからないがゆったりと、そしてどこか恍惚とさせるような心地よい楽の音だ。

「おっ、女将さんがおいでなすったかい」

草介が目をやると、正面奥に恰幅のよいにこやかな老婦人が姿を現した。この屋敷の主人、メアリー・ヤードだ。
拍手が巻き起こり、会場の注目が彼女に集まる。
メアリーは短い挨拶を済ませ、再びの拍手で袖に下がった。
英語はわからない草介にも、楽しんでいくように来客を心遣う気持ちが十分に伝わってくる。

先ほどまでとは異なる曲が始まった。
ほうぼうで男性が女性に声を掛け、対になってゆく。
踊りの時間だ。

と、メアリーと来客との談笑が途切れた一瞬の間に、真っすぐ彼女の元へ向かう老紳士がいた。
隼人だ。
すっと背筋を伸ばして湖面を滑るように歩む隼人に、来客もメアリーも目を留めざるを得ない。

「ごきげんよう、マダム。今夜はお誘いいただき感謝申し上げます」

胸に手を当てて会釈し、英語で挨拶する隼人。

「ご丁寧に。日本の紳士さん。どこかでお会いしたかしら?」
「いいえ、マダム。今日が初めてのお目もじです。もっとも、そんな気がしないのが不思議ですが」
「あら、おもしろいわね」
「ハヤト・カタクラと申します。実はマダムに秘密のお届け物をお持ちしたのです」
「まあ。……あなたもしかして、悪い人なの」
「ノー。私はただの郵便脚夫ポストマンでございます」

悪戯っぽく笑みをこぼしたメアリーに、隼人は同じく意味ありげに微笑んだ。

「一曲踊っていただけませんか、マダム」

隼人が丁寧に差し出した手に、メアリーは興味を隠せない様子で自らの手を重ねた。
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