剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ

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第六章 昔がたり

決裂、零れる命(二)

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まきは胸元に潜めた短刀の柄を逆手にぐっと握り、臆することなく踏み出してゆく。

「まき殿、よさぬか」

手放していた自身の長脇差を拾い上げた靫衛は、それを鞘に納めながら苦し気な声を出した。
まきが燃え残った外国語書状の内容を理解して追ってくることも、自身に立ち向かおうとしていることも、靫衛にとっていずれも完全な想定外だ。
締め落とされて倒れている隼人からじわりと離れ、靫衛は後ずさった。

「ご夫君ですらこうなのだ。そなたが私に勝てる道理がない」
「問答……無用!」

まきは逆手のまま短刀を抜き上げ、靫衛に向けて走り懸かった。
上から下、下から上、そしてまた上から下と九寸五分の白刃が鋭く振るわれたが、靫衛が躱すに難などはない。
が、それでもまきは怯むことなくさらに激しく短刀を閃かせる。

「まき殿――!」

靫衛が大きく飛び退って間合いを切った。狭い崖道から、ばらばらと小礫が落下してゆく。
断崖の下には、荒れてきた波が白く砕けていた。

「気を失っているだけでご夫君は無事だ。私はこの男を殺したくはない。無論、そなたのこともだ」
「……東堂はん。それが、人をコケにしてるっちゅうんよ!」

まきは突然振り返ると、隼人のいる方へ全速で駆け出した。

「しまった!」

一瞬遅れて靫衛がその後を猛追する。
まきが手を伸ばしたのは、隼人が担いでいたドライゼの弾薬包。
それを掴んだまきは、崖下の海に投げ入れようと渾身の力を込めて引き上げた。

「やめろぉぉぉっ!!」


――起きろ、起きろ、起きろ!

頭の奥から響き渡る声に意識を引き戻された俺は、無理やり瞼をこじ開けた。
霞む視界に揉み合う二人の姿が見え、聴覚が戻りきらない耳に遥か遠くからのような叫びが届いた。

「――まき!!」

焦点の合った俺の眼に映ったのは、鬼哭の形相で咆哮する東堂。
そして喉元に刃を突き立てられ、鮮血を迸らせる妻の姿だった。
まきの白い手が虚空を掴むように彷徨い、ゆっくりとくずおれてゆく。

「ああぁぁぁぁぁぁっ!!」

俺は刀を握り直し地を蹴って、東堂に飛び掛かった。
それに気付いた奴が抜刀するのと、俺が真っ向に斬り下ろすのは同時だった。

二人が振るった太刀は交差して流れ、俺は東堂の左面を縦一文字に斬り裂いた。
同じく奴の切っ先は俺の胸元を割り、一瞬の後に赤い血が噴き上がる。
痛みも、何も、感じない。
顔を背け、よろめく東堂。
俺は感覚のない脚に渾身の力を込めて踏み止まり、諸手で捻り込むように東堂の胸を刺突した。

驚愕の表情が、奴の顔に浮かんだ。
崖道から吹き飛び、そのまま遥か下の海へと落ちてゆく。

「まき! まきっ……!!」

駆け寄って抱き起した俺の腕の中で、まきはもう息をしていなかった。
形のいい唇はほころびたように少し開かれ、まるで微笑んでいるかのようだった。



「……その後すぐに、北畠道龍と門徒らが駆け付けた」

寝台に半身を起こして語る隼人は、瞑目しながらそう続けた。
草介も由良乃も、陸奥卿も何も言わなかった。

「まきは儂らを追う直前、隣家に道龍への言付けを託しており申した」

間に合わなかったことをひどく悔いた道龍だったが、東堂靫衛の脱藩とドライゼ流出は阻止され、紀伊上層部も事態を重く見て対策に乗り出したのだという。
靫衛の遺体は上がらなかったが状況から死亡とみなされ、まきが海に投げ入れた弾薬も回収は不可能だった。
もっとも、仮に引き上げたとしてもドライゼの紙製薬莢は水没で使い物にはならなかっただろう。

「これがそれがしと東堂との因縁でござる」

長い物語を語り終えた隼人は、視線を落とした。
病衣から覗く胸元の包帯には、まだじんわりと血が滲んでいる。

「なにも、守ることができ申さなんだ。東堂を仕留め切れず、二度までも不覚をとり申した。あまつさえ、またしても若者らを死なせるところでござった」

視線を落とした隼人に、草介も由良乃も肩を震わせた。
なんと声をかければよいのか。慰める言葉など、どう選べばよいというのか。
が、腕組みをしてじっと聞いていた陸奥卿だけは顔色一つ変えることはなかった。

「話は分かった、片倉。生きていた東堂靫衛が御留郵便に紛れて暗躍し、いまやM機関の意思を離れて工作しているということで間違いなかろう。君の落ち度は懲罰に値する。が、挽回の機会を与える」

淡々とそう言うと、フロックコートの内ポケットから一通の古びた書状を取り出して隼人に突き出した。

「次の任務だ。見事に届けてみせたまえよ」

陸奥卿は彫りの深い顔に、初めて笑みを浮かべた。
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