剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ

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第六章 昔がたり

決裂、零れる命(一)

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「侍にはならぬということか」
「ああ」

俺の答えに東堂はふうっと息を吐き、目を細めた。
奴がいつのまにかふかすようになっていた煙草の匂いを、微風が運んできた。

「私も同じことを考えていた」

予期せぬ言葉だった。
考えあってのこととはいえ、あれだけドライゼ銃に執着していた東堂が昇格を蹴るつもりとは思いもよらなかったのだ。
だが、おれはむしろすうっと肩の荷が下りたかのような気持ちになった。

「俺は漁師になるよ。それも紀伊への立派なお勤めだ。そうだ、お前もいっそ一緒に船に――」
「待て。待て、片倉」

灰色の海を背に、東堂が大きく目を見開いている。

「漁師だと……? 何の話をしているのだ」

ぴりりと空気が変わった。
一度緩み切った心が、端から急速に凍てついてゆくのを感じる。

「私はこのまま紀伊を抜ける」

俺は担いでいた弾薬を、どさりと滑り落してしまった。

「幕府は終わる。私はもっとも血を流さぬ方法で歴史を見届けたい。それには長州か薩摩か土佐か……あるいはその全てに付くか。いずれにせよ、私は紀伊を抜ける」

東堂は俺に向けて、ぐいっと一歩踏み出した。

「一緒に来い、片倉。お前が必要だ」

差し出された手、そして東堂の真っすぐな目。
思い付きなどではないことは、長い付き合いの俺には惨いまでに理解できた。
唇がわななき、手足が震えた。
だが俺は、腰の長脇差に左手を送り、鯉口を切った。

「俺がお前についていくと思うか」
「片倉……!」
「その銃を手土産に雄藩に取り入ろうというのだな。俺がそれを……許すと思うか」
「聞いてくれ、片倉!」
「奸賊、東堂靫衛――。覚悟」

抜刀した俺は力任せに、靫衛目掛けて袈裟がけに斬り込んだ。
海も空も灰色で、直後に飛び立った海猫の白さが妙に瞼に焼き付いた。


――その頃。
急な夫の出立を寂しい思いで見送ったまきは、片付けを済ませた後囲炉裏に炭を足そうと灰を掻いた。

「これは……?」

覚えのない、固く捩じられた紙の数々。ほとんどが炭化してしまっていたが、中には燃え残って白々としているものもある。
その一つを手にとって注意深く広げてみると外国語でびっしりと何かが記されており、最後には署名らしきものが認められる。
目を走らせてゆくにつれ、まきの顔色が変わった。
彼女は紙の燃えさしをかき集めて火を消すと、それらを抱えて脱兎のごとく家を飛び出した。


――やはり強い。
俺は東堂に力の限り斬り掛かっていったが、狭く足場の悪い崖道上にもかかわらず、奴の防御は一向に崩れない。
法福寺隊で学んだ無陣流の太刀筋を自家薬籠中の物としていた靫衛の技は、いよいよもって冴え渡っていた。

「どうしても話せぬか片倉」
「くどい!」
「お前を斬りたくはないのだ!」

東堂が叫んで、切っ先を突き出してきた。
本気ではない。
舐められているのだと俺はますます激昂し、その刺突を乱暴に払った。
と、細かい礫に足を取られて一瞬体勢が崩れてしまう。
しまったと思うのも束の間、その刹那に東堂の姿が消えた。
直後、俺は後ろから腕を回され、大蛇おろちが絡みつくように首の血の道を圧迫されていた。

「許せ片倉」

視界が白く閉ざされてゆく中、耳元で東堂が囁く。
そして意識が途切れる直前、耳慣れた声の叫びが聞こえた気がした。


「東堂靫衛ぇぇぇっ!!」

靫衛がはっとして振り向くと、崖道の来し方に大きく肩で息をするまきの姿があった。
粗末な着物の裾は割れ、髪もほどけて海風に舞っている。
何より、隼人のような燃える瞳でこちらを射抜いていた。

「まき殿――」

意識を失った隼人から腕を解き、靫衛はまきに正対した。
歩みを進めてくるまきは懐から燃え残った紙を取り出し、靫衛の前に広げてみせる。

「署名のY.Todo……。あんたのことやな!」

怒りを込めた声音で、まきがその名を読み上げる。

「これはドライゼ銃の納品書やろ。せやけど納入場所が法福寺どころか、紀伊のどこでもない。みんな尊攘派の国やないか! うちが英語の読み書きでけんと思い込んで、証文燃やすん怠ったな。雑賀の女をコケにするんちゃうぞ。それと――」

一際強く、その眼光を燃え上がらせる。

「うちの夫から離れえ」

まきは着物の前合わせをぐっと開き、懐剣の柄を露出させた。
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