剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ

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第六章 昔がたり

露の蜜月と四境の戦役

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隊員以外はほとんど誰も寄り付かない梁山泊だったが、まきと名乗った娘は度々一人でも訪れるようになった。
寺への斎米ときまい、野菜や魚などの食糧はもとより、時には西洋砲術の稽古で使う弾薬類まで担ぎ上げてくる。
まきには会えることも会えぬこともあったが、俺を見かけると彼女は必ず二言三言声をかけてきた。
明るく、賢い娘だった。
話の中身はいつもとるに足らぬようなことだったものの、俺はいつしかまきが来るのを楽しみに待つようになっていたのだ。
ある日のこと、大概は誰かと共にいるのに偶々俺が一人で銃器の手入れをしていた時、まきがとことこと近付いてきた。

「どうした。東堂なら城下に出張っておるぞ」

俺がまきに向かって茶化すようにそう言ったのは、てっきり東堂を目当てに来ていると思っていたからだ。
三十路も半ばを過ぎたであろうが、東堂は「役者のよう」といわれるだけあってたいそう女に好かれる質であった。
だが当の本人は女よりも史書の方が好みだったのだろう。また、しょっちゅう路傍の石仏の銘文を眺めたり、起こした畑で古の土器かわらけを拾ったりと変わった男であったものだ。

「ちゃうんよ。兄やんと話ししいにきたんよ」

口を尖らせたまきは辺りを見回して、銃を磨く俺の手元を覗き込んだ。

「戦するのん嫌なんちゃう?」

ぎくりとして手を止めた俺を見て、まきは声を潜める。

「大和の勝ち戦で、兄やんだけ嬉しそうとちゃうかった」

天誅組追討の戦勝祝いで酒を注ぎにきてくれた時のことだ。
こんな年若い娘に、そうした思いを気取らせてしまったというのか。

「いや、めでたい席で嬉しそうにしないなんて。俺がおかしいんだ」
「おかしない!」

自分の声の大きさにびっくりして口に手を当てたまきは、またきょろきょろと周囲を気にして、

「兄やんはおかしないよ」

もう一度そう言うと、くるりと向きを変えてたたたたっと走り去っていってしまった。


俺が北畠道龍の媒酌でまきと祝言を挙げたのは、それからほどなくのことだった。
子どもだと思っていたのは心得違いで、彼女は実によくできた嫁だった。
まきとの暮らしは、もはや江戸定府の二親はなく寄る辺のない俺にとって、初めて迎える人間らしい日々だったといえる。

だが元治元(1864)年、大きな戦が起こった。
幕長戦争、後にいう第一次長州征討だ。
最初に幕軍先鋒総督を拝命したのは俺たちの主、紀州藩・徳川茂承もちつぐだった。
後に尾張・徳川慶勝よしかつに総督は変わるが、長州はこの戦での痛撃を経て藩論を倒幕に統一。
あり得ぬものと考えられていた薩摩との同盟を含め、着々と力を蓄えていったのだ。

そして慶応2(1866)年の第二次長州征討では、その戦況は一変した。
長射程・高精度のミニエー銃を装備した長州の洋式化兵は旧来の密集戦術から脱却。およそ二人ずつの散兵となって、遮蔽物の影から各個に狙撃戦を仕掛けてきたのだ。

幕軍の鎧武者は無力だった。甲冑ごと貫くミニエー銃の弾丸の前には装甲が意味をなさず、逃げまどうために脱がれた鎧兜が山と重なった。
猛威を振るった長州勢には、皮肉なことに俺たちと同じ民兵部隊が投入されていた。名高い“奇兵隊”などがそうだ。

俺たち法福寺隊も紀伊藩兵らとともに従軍し、長州と安芸の国境、芸州口に展開。
長州兵と互角の戦いを繰り広げたが、幕軍としては完膚なきまでの負け戦だったのだ。
芸州口・石州口・小倉口・大島口、これら四つの国境が主戦場となったことから後に“四境戦役”と呼ばれることになる。

燃え尽きることなく国元へと引き上げた俺たちだったが、東堂とは法福寺のある雑賀の港で実に久方ぶりに顔を合わせた。ずっと別々の部隊で戦っており、引き上げの船も違っていたのだ。

東堂は、別人のように面変わりしていた。
頬はこけ、目ばかりが炯々と不気味な光を湛える凶相へと変貌していたのだ。
帰還するなり、前線で共に戦っていたはずの北畠道龍へとしきりに何かを言い募っている。
どうやら俺たちがさんざんに悩まされた長州兵の長射程銃に関することらしい。
ところどころに耳慣れない銃種が聞こえる。
東堂はまるで取り憑かれたかのように「ドライゼ」の名を繰り返していた。
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