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第六章 昔がたり
拝謁
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生まれて初めて袖を通す裃姿で、俺は平伏し続けていた。
視線は直下の暗い畳の目に細かく吸い寄せられるだけで、早鐘のような己の心音がやけに大きく聞こえる。
隣で同じように畏まっているはずの東堂靫衛の様子は窺えないが、大方いつもの涼しい顔で平然と頭を垂れているに違いない。
文久2年(1862年)1月も末のこと、俺と東堂は突如として本国紀伊の御城へと召し出された。
平伏す先の上段に座すは、第十四代紀伊藩主・徳川茂承――。
あり得ぬ事態といっていい。
俺たち七里飛脚は「紀伊殿御用」を名乗ることができたが、身分としては足軽や中間などの軽輩が圧倒的に多かった。道中では帯刀と朱房の十手を許されたものの士分ではない。
それが殿様の御前に召し出されているというのは、世が世なら考えられぬことだ。
俺は江戸定府の軽輩の家に生まれ、足の強さと文武の力量を見込まれて七里飛脚を務めるようになった。
東堂も同じく定府の中間の子だったというが、詳しいことは知らない。
江戸と紀伊の間の七里ごとに設けられた七里継宿という詰所を寄る辺とする俺たちは、おおよそ二年ごとにその割り当てが変わってゆく。
東堂とは、そんな詰所の一つでいつしか同宿となったのだった。
正確には分からないが俺より一つか二つ年嵩で、静かな男だったが物知りなうえ特に史書に詳しく、すぐに意気投合したものだ。
それに東堂は剣も滅法達者だった。
強い、というのとは少し違うかもしれない。
面金を着けての竹刀撃ちでも木刀での寸止め稽古でも、とにかく守りと受けが巧みで攻め切ることができない。
俺も撃剣には相当の覚えのあるつもりだったが、ついぞ東堂のやわらかな防御を崩して打ち込むことはできていない。
俺たちはしばしば二人一組で御用に就いたが、嘉永6年に黒船艦隊の姿を浦賀で目にした頃から世の動きが急激に変わっていった。
携えている書状類を狙う賊が、頻繁に道を塞ぐようになったのだ。
今思うといずれもただの野盗ではあるまい。幕府に仇なす勢力の萌芽が、江戸と御三家の一角・紀伊家との間でやり取りされる密書を手に入れようとしたものだろう。
初めて人を斬ったのは、そうした賊から書状を守るためだった。俺は度々手傷を負ったが東堂は一度も仕損じることがなく、ほどなく俺たち二人の名は仲間内でも知られるようになっていったのだ。
寄るべき継宿は徐々に江戸から離れ、やがて本国・紀伊に近付いていった。
斬り合いを潜り抜けたのは二度や三度どころではなく、その狼藉は年を追うごとに繁く苛烈になってゆく。
黒船艦隊の来航から九年の歳月が流れた今、「攘夷」を叫ぶ者らはその素性を隠そうともしていない。
そしてつい先だって、この年の一月十五日。江戸城坂下門外で老中の安藤信正公が斬られた。
開国と皇妹・和宮様の将軍家降嫁に反発する、水戸浪士らが下手人だったという。
幕府の屋台骨は、大いに揺さぶられていた。
「面を上げよ」
紀伊藩主の声にはっと我に返り、俺は畏まった。
主君から許しがあっても、面を上げきることなどはない。ましてや拝謁などあり得ない軽輩の身分だ。
が、あろうことか殿様は慣習を気に留めるふうでもなく、俺たちに身を起こして顔を見せるよう命じた。
どうしたものかと躊躇したのも束の間、隣の東堂が臆することなく正対する気配に俺もおそるおそる面を上げる。
初めて目にする主君は、思いのほか穏やかな表情だが聡明さがにじみ出る顔相をしていた。
「飛脚御用、大儀である。三度ならず書状を守ったこと、しかと聞いている。そなたらの腕を見込んで頼みたいことがあるのだ」
端的にいう主君は、俺と東堂を交互に見やった。
「洋式兵の調練を受けてはくれぬか」
俺の天命に岐路があったとするなら、まさしくこの時がそうだったのだろう。
視線は直下の暗い畳の目に細かく吸い寄せられるだけで、早鐘のような己の心音がやけに大きく聞こえる。
隣で同じように畏まっているはずの東堂靫衛の様子は窺えないが、大方いつもの涼しい顔で平然と頭を垂れているに違いない。
文久2年(1862年)1月も末のこと、俺と東堂は突如として本国紀伊の御城へと召し出された。
平伏す先の上段に座すは、第十四代紀伊藩主・徳川茂承――。
あり得ぬ事態といっていい。
俺たち七里飛脚は「紀伊殿御用」を名乗ることができたが、身分としては足軽や中間などの軽輩が圧倒的に多かった。道中では帯刀と朱房の十手を許されたものの士分ではない。
それが殿様の御前に召し出されているというのは、世が世なら考えられぬことだ。
俺は江戸定府の軽輩の家に生まれ、足の強さと文武の力量を見込まれて七里飛脚を務めるようになった。
東堂も同じく定府の中間の子だったというが、詳しいことは知らない。
江戸と紀伊の間の七里ごとに設けられた七里継宿という詰所を寄る辺とする俺たちは、おおよそ二年ごとにその割り当てが変わってゆく。
東堂とは、そんな詰所の一つでいつしか同宿となったのだった。
正確には分からないが俺より一つか二つ年嵩で、静かな男だったが物知りなうえ特に史書に詳しく、すぐに意気投合したものだ。
それに東堂は剣も滅法達者だった。
強い、というのとは少し違うかもしれない。
面金を着けての竹刀撃ちでも木刀での寸止め稽古でも、とにかく守りと受けが巧みで攻め切ることができない。
俺も撃剣には相当の覚えのあるつもりだったが、ついぞ東堂のやわらかな防御を崩して打ち込むことはできていない。
俺たちはしばしば二人一組で御用に就いたが、嘉永6年に黒船艦隊の姿を浦賀で目にした頃から世の動きが急激に変わっていった。
携えている書状類を狙う賊が、頻繁に道を塞ぐようになったのだ。
今思うといずれもただの野盗ではあるまい。幕府に仇なす勢力の萌芽が、江戸と御三家の一角・紀伊家との間でやり取りされる密書を手に入れようとしたものだろう。
初めて人を斬ったのは、そうした賊から書状を守るためだった。俺は度々手傷を負ったが東堂は一度も仕損じることがなく、ほどなく俺たち二人の名は仲間内でも知られるようになっていったのだ。
寄るべき継宿は徐々に江戸から離れ、やがて本国・紀伊に近付いていった。
斬り合いを潜り抜けたのは二度や三度どころではなく、その狼藉は年を追うごとに繁く苛烈になってゆく。
黒船艦隊の来航から九年の歳月が流れた今、「攘夷」を叫ぶ者らはその素性を隠そうともしていない。
そしてつい先だって、この年の一月十五日。江戸城坂下門外で老中の安藤信正公が斬られた。
開国と皇妹・和宮様の将軍家降嫁に反発する、水戸浪士らが下手人だったという。
幕府の屋台骨は、大いに揺さぶられていた。
「面を上げよ」
紀伊藩主の声にはっと我に返り、俺は畏まった。
主君から許しがあっても、面を上げきることなどはない。ましてや拝謁などあり得ない軽輩の身分だ。
が、あろうことか殿様は慣習を気に留めるふうでもなく、俺たちに身を起こして顔を見せるよう命じた。
どうしたものかと躊躇したのも束の間、隣の東堂が臆することなく正対する気配に俺もおそるおそる面を上げる。
初めて目にする主君は、思いのほか穏やかな表情だが聡明さがにじみ出る顔相をしていた。
「飛脚御用、大儀である。三度ならず書状を守ったこと、しかと聞いている。そなたらの腕を見込んで頼みたいことがあるのだ」
端的にいう主君は、俺と東堂を交互に見やった。
「洋式兵の調練を受けてはくれぬか」
俺の天命に岐路があったとするなら、まさしくこの時がそうだったのだろう。
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