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第五章 鎮西禍前夜

蟠龍の太刀

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火の山の頂上でまみえた二人は、互いに一歩踏み込めば剣の届く距離を隔てて向き合った。
燃えるような眼で見据える隼人に対し、白銀髪の老剣士は凪のように静かな様子で佇んでいる。

「他の二名は置いてきたのか」

先に口を開いたのは東堂靫衛とうどうゆきえと呼ばれた男だった。

「……有為の若者らを死地にやるわけにはゆかぬ」
「変わっていないな片倉。が、さすがに歳を取った」

靫衛が苦笑するように口元を緩めたが、隼人はそれを遮るように問い詰める。

「死んだはずのお前がここにいることは問うまい。だが、なぜだ……なぜなのだ東堂。お前はさらなる戦乱を望むのか」
「そうではない」

軽く首を左右に振り、靫衛がなぜか悲しそうに目を細めた。

「ずっと前にも言ったはずだ。私は歴史を見届けたい。自然で、あるがままの流れを。歴史に干渉しているのはお前たちの方なのだ。片倉」
「……何を言いたいのか皆目わからぬ」
「変えてはならぬ歴史の流れがあるのだ。例えば、その御留郵便」

靫衛が細い指ですうっと隼人の懐を指し示す。

「前原一誠への文だろう。届けさせるわけにはいかん。念のため言う。こちらに渡してくれ」
「断る」
「だろうな。無論建前だ。大人しく渡すはずがあるまい。だがもう一つ、ずっとお前に言いたかったことがある」

心底悲痛な面持ちで、靫衛がそっと自身の胸に手を置いた。

「奥方……まき殿のことお悔やみ申し上げる。あれは事故だ」

隼人の脳裡に、あの日の光景が蘇る。
刹那のうちに呼び起こされる記憶。虚空に伸ばされた白い手、そして赤く迸る鮮血。

「その名を、軽々に……口にするな」

隼人が腰の刀に左手をやり、鯉口を切った。

「己が殺した女の名を!!」

怒号と共に猛々しく抜刀し、踏み込みながら諸手で激しく袈裟懸けに斬り下ろした。


――一方。
隼人に引き返すよう命じられた草介と由良乃は、呆然としてその場を動けずにいた。
ことに由良乃の心痛は顕著で、地面に膝をついて項垂れたままだ。
自身が足手まといだという思いに苛まれ、立ち上がれずにいるのだ。
が、草介が立ち尽くしているのは隼人の言を真に受けて傷付いたからではない。

「なあ、お師ちゃん。おかしいたぁ思わねえかい」

俯いたまま肩を震わせている由良乃に、やさしく語りかける。

「はーさんの野郎、ここんとこむっつりしてやがったけどよう。おいら達のこと“足手まとい”とか言うようなしとじゃあねえよなあ。前によ、賊にピストルで撃たれそうになったことあるんだけどよ。あのおいちゃん、おいらを庇って盾になってくれたんだよ。そんな男が今さら邪魔だっつってお師ちゃんとおいらを置いてくかい」

由良乃ががばっと顔を起こし、草介を見上げた。
普段は冷徹さすら感じさせる彼女が涙の跡を隠すこともなく、大きく目を見開いている。

「追い払ったのではなく、あえて連れていかなかった……?」
「はーさんならやりそうだろ?」

兎のように跳ね起きた由良乃と共に、草介も全速力で駆け出した。
今ならまだ、追い付けるかもしれない。
二人は火の山の急傾斜に取り付き、隼人の踏み跡を辿って力強く登攀していった。


――手応えがない。
渾身の袈裟斬りを見舞った隼人だったが、その太刀筋は音もなく抜かれた靫衛の剣に妨げられていた。
防がれたと認識した瞬間に逆方向から二の太刀、三の太刀と猛攻を繰り出したが、いずれもふわりと柔らかな受け太刀に相殺されて力の在り処を失ってしまう。
撃ち込んだはずの箇所に、衝撃を感じない。

ああ、そうだ……。この男は、靫衛の剣は――。

今はもう遠い日々、互いに夢中で剣を交えた頃。隼人は靫衛の技をついぞ破れなかったことを思い起こしていた。
異常なまでに堅く、それでいて柔らかく相手の力を吸収してしまう独特の防御。
絡みつくようなその受け太刀はやがて、疲れ果てた獲物に毒牙となって突き立てられる。
地にわだかまって蜷局とぐろを巻き、未だ天に昇ることのない龍――。

「弱くなったな、片倉。――残念だよ」

蟠龍の太刀が鎌首をもたげ、隼人の命に狙いを定めた。
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