剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ

文字の大きさ
上 下
29 / 104
第五章 鎮西禍前夜

相見ゆる白銀

しおりを挟む
荒潮の関門海峡を渡った明光丸は、長州・下関の小港に入った。

降り立った隼人は前原一誠卿に届ける坂本龍馬の書状の他、背に細長い包みを負うている。
由良乃も同様の包みを背負い、手には白木のじょうを。
草介は手回りの荷に加え、腰にはしっかりと六連発のリボルバーを忍ばせた。
隼人からの教え通りに弾は込めていないが、制服の内隠しには十発分の弾丸を用意している。

駆け出した三人が選ぶ道は街道ではない。
上陸した壇之浦古戦場近くから、眼前に小高い山が聳えているのが見える。火の山だ。
御留郵便では往来の多い幹道を避けて尾根道などを好んで使うが、山の口からどんどん森に分け入っていった隼人はやがて急斜面の前で足を緩めた。

「お前たちはここまでだ」

不意に隼人の口から出た言葉に、由良乃と草介は理解が及ばず動きを止めてしまった。

「片倉先生……?」
「はーさん、どういう意味でえ」

隼人は二人に向き直り、初めて見るような険しい表情で冷然と言い放つ。

「言葉通りだ。ここから先は速さが勝負となる。お前たちの足に合わせて駆けることも、万が一襲撃された時にお前たちを守りながら戦うことも時間の無駄となる」

あまりのことに、由良乃が拳を震わせた。

「先生お一人の方がやりよいと……?」
「そうだ」
「わたし共は足手まといだと……?」
「そうだ」

由良乃が、ぎゅっと下唇を噛んだ。

「おい、はーさん! あんまりじゃねえか!」
「黙れ。お前もだ草介」

淡々とした、しかし怒気を孕んだ隼人の声音に二人は思わず気圧される。
隼人は負っていた細包みの紐を解くと、刀の柄を露わにした。

「二人はこれにて船へ戻れ。命令だ。手向かいは許さぬ」

そしてあろうことか、重々しく柄に手を掛けた。
本気だ。
由良乃が膝から崩れ落ち、草介も呆然としてその場に立ち尽くす。
その様子を見やった隼人は踵を返し、急斜面に取り付いて瞬く間に駆け上がっていってしまった。

「そんな……」

地に両手をついて肩を震わせ、由良乃が絞り出すようにそれだけを呟いた。


隼人は山を駆けた。
とても登れそうには見えない斜面にも、鹿や猪ならば悠々と往くような道がある。
それを正確に見極め、飛ぶような足取りで山頂を目指す。
隼人には確信があった。Y.Todo――。
あの筆跡を、見間違えるはずがない。あの男が生きている。すぐ近くで自分たちを見ている。
だとすれば、間もなく必ず姿を現すに違いない。

火の山は急傾斜ではあるがそう高くはない。隼人は息を弾ませ、ほどなく頂上へと続く尾根に至った。
樹々が切り払われた山頂付近は小さな広場となっており、隼人のいる位置からでも関門海峡や周防灘、そして響灘といった三方の海を見渡せる。

風が吹いた。山頂の方から流れてくるその冷たい風は、隼人がよく知る仄かな香りを含んでいる。
足を止めないまま、隼人は晒の帯を腰に締めた。
そして背に負った長刀を袋から取り出して帯刀し、鞘に一周させる形で左腰に下緒を結束する。

左手で腰の刀を抑えながらさらに歩みを速める。
と、頂上辺りの切り株に一人の男が腰を掛けていた。
隼人と同じ紺色の詰襟制服。袖と裾には郵便御用を示す赤い線が入り、頭には韮山笠をかぶっている。
また、その腰には朱鞘の刀が。
くゆらせている紙巻煙草の火が影になった口元でじじっと赤くおこり、ふうっと煙が吐き出された。

「必ず来ると分かっていた」

男は振り返りもせずにそう言うと、手元の煙草を丁寧に揉み消してゆっくりと立ち上がった。
数瞬遅れて届いた甘い煙の匂いが、隼人に在りし日の記憶を呼び覚ましてゆく。

「会いたかったぞ。片倉隼人」

男は韮山笠を脱ぐと、隼人に向き直って真っすぐに視線を定めた。
白銀の長髪をきっちりと後ろで括った、隼人と同じくらいの年格好。
細面の頬はさらに鋭く削がれ、左の眉尻から口元にかけて縦一文字の刀傷がある。
そしてその左目は白濁しているが、心の内を見透かすかのような魔力を感じさせる。

東堂とうどう……東堂、靫衛ゆきえ――」

呻くようにその名を口にした隼人は、ぎりっと歯を食いしばり刀の柄に手を掛けた。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

【完結】月よりきれい

悠井すみれ
歴史・時代
 職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。  清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。  純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。 嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。 第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。 表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河

墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。 三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。 全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。 本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。 おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。 本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。 戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。 歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。 ※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。 ※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?

処理中です...