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第四章 航路、“M”の七卿

to do

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「覚の字さんは相変わらず恐いお顔。ドクターは思った通りナイスミドルにおなりね。そしてこちらは……」

くるくると踊るようにブリッジを回って見知った顔を覗き込んでいくしのぶは、陸奥卿の前で立ち止まると小首をかしげた。

「ああ! 陽之助・・・ちゃんじゃない! 偉い人みたいになってわからなかったわ」
「……その名はよしてくれたまえ。今は元老院幹事だ」
「なによ偉そうに」

陽之助、と呼ばれた陸奥卿がたじたじの様子で両の眉を下げる。
どうやらこの政府要人といえど、目の前の陽気な美女に頭が上がらぬらしい。
ふいっとその場を離れたしのぶは、今度は隼人に近付いていく。

「隼人さん」

親しげに名を呼び、レースの手袋をした手を差し伸べた。
隼人はしのぶの手を下からやさしく取ると、その甲にそっと唇を近付ける古風な西洋式の挨拶で応える。
すぐ側の草介がひえっと顔を赤らめ、由良乃がなぜかむっとしてその足元を軽く蹴とばした。

「おじいちゃんになっても格好いいのね」
「御冗談を」
「そしてこちらが草介さんと由良乃さんかな」

しのぶは隼人の傍らに立つ二人ににっこりと微笑みかけ、

「この人すごく無理しますでしょう。もう歳ですから、あなた方のような若い人がいてくれると安心だわ」

よろしくお願いしますね、と小腰を屈めたしのぶに草介は「ひゃい」と妙な返事をしてぽわんと頬を緩めてしまう。
再び由良乃が草介の足元を小さく蹴ったが、彼女とて既にしのぶに好意を抱き始めてしまっていた。
唐突な登場と底抜けの明るさ、西洋風な立ち居振る舞いに毒気を抜かれたものの、しのぶの持つ何ともいえない愛嬌につい心を許してしまうのだ。

「そうだわ。お仕事お仕事。もう結論からいいますね」

しのぶが肩から下げていたバッグの中身をひっくり返し、テーブル上にばさばさとぶちまけた。
雑に広げられたそれらは物品と金銭の授受を記した明細書で、すべて外国語で書かれている。

「ドライゼ銃と弾丸の取引が大半です。いずれも小規模ながら各地の士族らに流れ、強盗や抗争などの事件を起こして押収された例があります」

草介は隼人と共に御留郵便を届けた紀伊山村でのことを思い返していた。
あの時襲撃してきた暴漢や屋敷を護衛していた女衆がドライゼ銃を使っており、隼人がそのことに疑念を抱いていたのだった。

「火種を撒いている者がいます。購入したのは全部この方」

しのぶが指し示したサインの欄を、英語に堪能な楠之助が一瞥する。

To doトゥ、ドゥ……いや、トードー。Y.トードー」

それを聞いた隼人の顔色が変わった。大きく目を見開き、拳を握りしめるぎゅうっという音が草介の耳にも届く。

「隼人さんご存じ?」
「……いや、死んだ友人と同じイニシアルに驚いたのみにて」

珍しく感情を掻き乱された様子の隼人を陸奥卿が横目で窺ったが、何も言おうとはしなかった。
傍らでは由良乃が心配そうに見上げている。

「それともう一つ。皆さんを航路上で襲撃したのは、他のM卿の配下に間違いありません。御留郵便内部も一枚岩ではないこと、陽之助さんがよくご存じよね」

しのぶに水を向けられた陸奥卿が頷き、きまり悪そうに顎髭を撫でて後を続ける。

「周知の通り政府内部そのものが割れている。二年前に佐賀で江藤卿が乱を起こしたのは知っているだろう」

明治7年(1874年)2月、政府を去っていた前参議の江藤新平らによる“佐賀の乱”のことだ。
征韓論を巡る問題で野に下った江藤らを中心とした初の不平士族反乱であり、政府は激戦の末にこれを鎮圧したがその衝撃は国内に多大な動揺をもたらしていた。

「不平士族らの憤懣は燻り続けている。それは間もなく発布される廃刀令でさらに刺激されるだろう。我らの任務はそれを未然に防ぐための御留郵便御用だが、それを快く思わぬ者がM機関にいるようだ」

陸奥卿は癖になっている自嘲的な笑みを浮かべ、軽く左右に首を振る。

「だが他のM卿の腹の内は互いに見せ合わないのだ。したがって彼らが配下にどういった剣客逓信を抱えているのか、私にもわからん。なればこそ諸君らには確実に書状を届けてほしい」

陸奥卿の視線に隼人が直立してはっと応え、草介と由良乃もそれに倣った。
この時の草介には、闇で流されているドライゼと御留郵便内部の対立がどう繋がるのか想像できずにいた。
が、隼人の視線の先にある「Todo」のサインだけは、なぜか不吉なものに思えて仕方がないのだった。
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