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第四章 航路、“M”の七卿
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明光丸の航路上、左右斜め前方から一隻ずつの小型船が直進してくる。
速度を上げたとしても、あるいは左右どちらかに転舵したとしても必中の衝突コースに入ってしまっていた。
まるで二人掛かりで袈裟懸けに斬り込んでくるかのような航跡だ。
既に草介たちの位置からも視認できるそれらが、先ほど躱した船と同様に爆薬を積んでいるとしたら――。
「まだ――まだ――あと少し」
ブリッジで楠之助が目を眇め、迫りくる二隻の不明船との距離を測っている。
楔となって殺到するその罠との距離が、いよいよもって詰められたその時。
「総員耐衝撃姿勢!」
楠之助の号令に、隼人と草介が由良乃を守りながら舷側の手すりを力一杯握る。
「エマージェンシー・フルアスターン!!」
機関緊急全速後進のオーダーが艦橋に響き、直後に明光丸はがくんと船足を落とした。
急制動をかけられた蒸気艦の巨体は悲鳴を上げ、草介たちはその慣性と衝撃をまともに浴びてしまう。
だが、誰一人として踏み止まらない者はいない。
強制的に推進力を逆転させた明光丸の舳先のすぐ際を、不明船が時間差で通過していく。
速力を最大限に落としてぎりぎりの線で躱したのだ。
艦の目前には×の字の航跡が恨みがましく刻まれ、少し遅れて左右舷側の先で爆炎が上がった。
「各部被害報告」
楠之助のやわらかな声への応答では大きな人的被害はなく、艦も既に島影を抜けて灯台の明かりを捉えていた。入港予定の鞆の津だ。
しかしこの無理な操艦で艦体には多大な負荷がかかったはずだ。
「機関部、よくやってくれた。ありがとう覚の字」
機関長の覚十郎に向けて、楠之助が労いの言葉をかける。
「明光丸に言うたってや」
くぐもった濁声での返答は、どこか誇らしい響きを含んでいた。
鞆の津に明光丸が錨を降ろした頃、東天は白々と明け初めていた。
かつて朝鮮通信使など海外からの使節も風待ちをしたという実に風光明媚な港で、勤めでなければ思い切り羽を伸ばしたいところだと草介は思ってしまう。
「間もなく情報収集に派遣していた密偵が乗艦してくる。その後私は別の務めのため降りねばならん。次の行動は予定通りに頼むよ、提督」
危難を乗り越えてから大人しくしていた陸奥卿が、楠之助に「若造」と大喝されたことを根に持ってか険のある目で言い含めた。
しかし当の楠之助は「サー、アイ・サー」とどこ吹く風で、その後ろでは副長兼機関長の覚十郎が鬼瓦のような顔で睨み付けている。
ブリッジに集合していた草介も内心で陸奥卿に舌を出しつつ、覚十郎の迫力に気圧される思いだ。
有体に言うとものすごく恐い。
「それにしても……遅い」
陸奥卿が幾度も懐中時計を取り出しては、気忙しく指先でテーブルを叩く。
合流を約した時間になっても密偵が現れないのだ。
「さては消されたかね」
「まあ、もう少し待ちましょう。紅茶でもいかがですか」
皮肉っぽい表情を浮かべて苛立つ陸奥卿を、楠之助が苦笑いで宥めにかかる。
「せや。焦ったかてしゃあない。じっとしとれや」
覚十郎も相変わらず恐い顔で助け舟を出す。
「そうそう、お紅茶でも飲みながらねえ」
急に鈴を鳴らしたような女の声が割り込んで、ブリッジの皆が一斉に入口を向いた。
そこには西欧の貴婦人よろしく、洋装を身にまとった女性が佇んでいる。
「だ、誰でえっ!? つうかどこから……?」
突然姿を現したかのようにしか見えない女の登場に、草介が動転して誰何する。
由良乃ですらその気配を察知できなかったようで、隼人と草介の間で警戒感を全開にしていた。
「どこからって……そこのドアから?」
洋装の女はてへっと舌を出すと、こつこつと洋靴を鳴らして艦長の楠之助へと近付いていく。
「――しのぶ」
小さくそう叫んだ楠之助は立ち上がり、西洋人がそうするように大きく手を広げて彼女と抱き合う。
「アメリカは?」
「ご飯まずくて帰ってきましたあ」
きゃっきゃっと無邪気に笑ったしのぶは、呆気に取られているクルーに向き直りこほんと咳払いをして威儀を正す。
「ごきげんよう、クルーの皆さん。密偵でございます」
もう一度てへっと笑い、ドレスの裾を摘まんでふわりと小腰を屈めた。
速度を上げたとしても、あるいは左右どちらかに転舵したとしても必中の衝突コースに入ってしまっていた。
まるで二人掛かりで袈裟懸けに斬り込んでくるかのような航跡だ。
既に草介たちの位置からも視認できるそれらが、先ほど躱した船と同様に爆薬を積んでいるとしたら――。
「まだ――まだ――あと少し」
ブリッジで楠之助が目を眇め、迫りくる二隻の不明船との距離を測っている。
楔となって殺到するその罠との距離が、いよいよもって詰められたその時。
「総員耐衝撃姿勢!」
楠之助の号令に、隼人と草介が由良乃を守りながら舷側の手すりを力一杯握る。
「エマージェンシー・フルアスターン!!」
機関緊急全速後進のオーダーが艦橋に響き、直後に明光丸はがくんと船足を落とした。
急制動をかけられた蒸気艦の巨体は悲鳴を上げ、草介たちはその慣性と衝撃をまともに浴びてしまう。
だが、誰一人として踏み止まらない者はいない。
強制的に推進力を逆転させた明光丸の舳先のすぐ際を、不明船が時間差で通過していく。
速力を最大限に落としてぎりぎりの線で躱したのだ。
艦の目前には×の字の航跡が恨みがましく刻まれ、少し遅れて左右舷側の先で爆炎が上がった。
「各部被害報告」
楠之助のやわらかな声への応答では大きな人的被害はなく、艦も既に島影を抜けて灯台の明かりを捉えていた。入港予定の鞆の津だ。
しかしこの無理な操艦で艦体には多大な負荷がかかったはずだ。
「機関部、よくやってくれた。ありがとう覚の字」
機関長の覚十郎に向けて、楠之助が労いの言葉をかける。
「明光丸に言うたってや」
くぐもった濁声での返答は、どこか誇らしい響きを含んでいた。
鞆の津に明光丸が錨を降ろした頃、東天は白々と明け初めていた。
かつて朝鮮通信使など海外からの使節も風待ちをしたという実に風光明媚な港で、勤めでなければ思い切り羽を伸ばしたいところだと草介は思ってしまう。
「間もなく情報収集に派遣していた密偵が乗艦してくる。その後私は別の務めのため降りねばならん。次の行動は予定通りに頼むよ、提督」
危難を乗り越えてから大人しくしていた陸奥卿が、楠之助に「若造」と大喝されたことを根に持ってか険のある目で言い含めた。
しかし当の楠之助は「サー、アイ・サー」とどこ吹く風で、その後ろでは副長兼機関長の覚十郎が鬼瓦のような顔で睨み付けている。
ブリッジに集合していた草介も内心で陸奥卿に舌を出しつつ、覚十郎の迫力に気圧される思いだ。
有体に言うとものすごく恐い。
「それにしても……遅い」
陸奥卿が幾度も懐中時計を取り出しては、気忙しく指先でテーブルを叩く。
合流を約した時間になっても密偵が現れないのだ。
「さては消されたかね」
「まあ、もう少し待ちましょう。紅茶でもいかがですか」
皮肉っぽい表情を浮かべて苛立つ陸奥卿を、楠之助が苦笑いで宥めにかかる。
「せや。焦ったかてしゃあない。じっとしとれや」
覚十郎も相変わらず恐い顔で助け舟を出す。
「そうそう、お紅茶でも飲みながらねえ」
急に鈴を鳴らしたような女の声が割り込んで、ブリッジの皆が一斉に入口を向いた。
そこには西欧の貴婦人よろしく、洋装を身にまとった女性が佇んでいる。
「だ、誰でえっ!? つうかどこから……?」
突然姿を現したかのようにしか見えない女の登場に、草介が動転して誰何する。
由良乃ですらその気配を察知できなかったようで、隼人と草介の間で警戒感を全開にしていた。
「どこからって……そこのドアから?」
洋装の女はてへっと舌を出すと、こつこつと洋靴を鳴らして艦長の楠之助へと近付いていく。
「――しのぶ」
小さくそう叫んだ楠之助は立ち上がり、西洋人がそうするように大きく手を広げて彼女と抱き合う。
「アメリカは?」
「ご飯まずくて帰ってきましたあ」
きゃっきゃっと無邪気に笑ったしのぶは、呆気に取られているクルーに向き直りこほんと咳払いをして威儀を正す。
「ごきげんよう、クルーの皆さん。密偵でございます」
もう一度てへっと笑い、ドレスの裾を摘まんでふわりと小腰を屈めた。
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