剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ

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第四章 航路、“M”の七卿

M卿と棘の海路

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「機関、前進微速」
「機関前進微速びそぉーく」
「ハードスターボード・サーティ」
「ハードスターボード・サーティ、サー」
見張りワッチは警戒を厳に。ゲストに快適な船旅を」
「サー、アイ・サー」
宜う候ようそろ

走り出した明光丸の艦橋ブリッジでは提督と呼ばれた艦長・高柳楠之助の号令一下、クルー達が威勢のいいアンサーバックと共に整然と自身の任を果たしていた。
大勢の人間によって操られる艦は一個の巨大な生き物となり、夜の大海原を迷いなく進んでゆく。

「……かっけえなあ」

一糸乱れぬ操艦の様子を眺め、惚けたようにぽかんと口を開けている草介と傍らで目を丸くしている由良乃に隼人は少し目を細めた。
艦長キャップ”と呼ばれている楠之助の厚意でブリッジに上がった三人は、乗艦直後に他の幹部オフィサーからも出迎えを受けていた。
襷掛けに裁着たっつけ袴という和装で強面の副長兼機関長は「岡本覚十郎」、品のいい銀髪の船医は「成瀬国助」とそれぞれ名乗った。
彼らはいずれもかつて紀州藩の艦であったこの明光丸のクルーで、特命を帯びて再び集まったのだという。

「片倉さん、船が安定したらお呼びするように言いつかっていました。艦長室で“M卿”がお待ちです」

楠之助の言葉に隼人は頷き、草介と由良乃を伴ってデッキの下から船尾へと向かった。

「はーさん、M卿っつうのは……」
「我らの雇い主の一人だ。七人いるM機関の一角」

ほどなく艦長室のドア前に至った隼人は姿勢を正し、拳を固めてノックした。

「入りたまえ」

中からの応答で入室した隼人は楠之助にそうしたようにカツンと踵を打ち合せ、挙手の敬礼を捧げた。

「駅逓寮・御留郵便御用、片倉隼人他二名。命により着任いたしました」

隼人が口上を述べた相手はフロックコート姿の長身を洋椅子に深々と預け、脚を組んで何やら外国のものらしき書物を読み耽っている。
ひょろりとした細面に立派な髭をたくわえ、草介よりは上だが隼人よりは随分若そうな年格好。

「楽にしていい。君たちもだ」

そう言ってぱたんと本を閉じて顔を上げ、気障な仕草で足を組み換える。

「M機関のお一人――陸奥宗光むつむねみつ卿である」

隼人の紹介に草介と由良乃は驚愕した。
元紀州藩士にしてかつて土佐海援隊で坂本龍馬らと共に海を駆けた男。そして現在の元老院幹事――。
国の政のまさしく中枢を担う人物の一人であり、その名だけは草介もよく知っている。
まさかこのような大物が御留郵便に関わっていたとは予想だにしないことだった。

「廃刀令発布は知っているな、片倉」
「はっ」
「相当な反発が予想される。諸君らには可能な限り事前の火消しを頼みたい」
「御意」
「ついては諸君ら三人で手分けし、我々が担当する九州各地の港から書状を届けるよう。今こその御留郵便である」
「ははっ」

草介は感覚的に、目の前の陸奥宗光という男を気に食わないと思った。
尊大に感じるのは立場上当然なのかもしれない。だがこの短い遣り取りから滲むどこか人を見下したかのような、それでいて芝居がかったような挙措が鼻につくのだった。
それに主君を前にした家来ででもあるかのように神妙な素振りの隼人にも、心のどこかで幻滅する思いがある。
草介の思う隼人は強くて泰然としていて、このように権威の前に従順な駒ではない。

が、詮無いとはわかり切っていることだ。
密命を帯びた政府御用とは、そうした得体のしれない力学の末端で働くことを意味している。
由良乃が何を思っているのかはうかがい知れないが、草介も既にどっぷりとその世界に足を踏み入れているのだ。

「それと片倉。君が気にしていた“ドライゼ”の銃だが、流れを掴んだ者がいる。鞆の津で合流して情報を受け取る手筈だ」

陸奥卿の言葉に、草介ははっと思い出した。
紀伊の山村に御留郵便を届けたとき、屋敷の女衆のみならず襲撃してきた暴漢もドライゼという銃を装備していた。
あの時隼人が口にした懸念は――。

草介がそのことに思いを馳せようとした瞬間、突如として艦体が激しく揺さぶられた。
部屋全体が突然投げ出されたかのような衝撃に、全員が咄嗟に手近な調度に縋りついた。
次いで狂ったように鳴らされる半鐘の音。
何らかの非常事態だ。

艦橋ブリッジへ!」

椅子を蹴って立ち上がった陸奥卿がそう叫び、勢いよく部屋を飛び出した。
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