21 / 104
第四章 航路、“M”の七卿
海へと繋ぐ嶺
しおりを挟む
白霧立つ暁闇の境内に三つの人影が立った。
いずれも袖と裾に赤い線の入った紺色の詰襟とズボン、そして前後をすぼめて折り畳んだような韮山笠を小脇に抱えている。
届けるべき書状はこれから受け取るため手回りの荷だけを負い、三人のうちの若い男はほぼ空身に近い軽やかさだ。
他の二人、燻し銀の短髪に口髭が目を引く男と、小柄な娘は細長い袋を背に負っている。加えて娘の方は四尺あまりの白木の杖を携えていた。
本殿に向けて参拝を済ませ、銘々に足ごしらえを整えて間もなく出立しようとしているところだ。
「せっかくあんだけ稽古したっつうのに、杖も棒も持っちゃいけねえなんて」
草介が不満そうに口を尖らせる。
「そう言うな草介。今は迅速に港へ向かうのが先だ」
なだめるように隼人が諭し、由良乃も後を受けて補足する。
「これから往くのは山の行者道がほとんどです。慣れぬうちはなるべく身軽な方がよいでしょう。今の草介さんでは杖を持つとかえって動きを妨げます」
表情を変えずに淡々と言ってのける由良乃に、草介はへえ、と頷くしかない。
勿論彼女の言う通りなのだが、草介はこの自分より年下の女師匠にすっかり頭が上がらなくなっている。
「海まででっけえ川ぁ流れてんだろ。舟下りって洒落込むわけにゃいかなかったのかい」
「川舟では万一襲撃されれば防御が難しい。由良乃どのに付いて嶺を駆けるのが確実だ」
紀伊北部には河内や和泉との境でもある山々が東西に横たわっている。
この尾根道は海のすぐ近くまで続いており、古い修験者たちの修行の道としても知られていた。
“M機関”といった御留郵便統括からのモールス書状には、紀伊北西端の加太という港で協力者と合流して九州を目指すようにとの指令が記されていた。
「では参ります。少し急ぎで駆けます」
道をよく知る由良乃を先頭に、三人の御留郵便御用は足を踏み出した。
まずは紀伊から河内へと抜ける峠越えの道を目指し、そこから東西に走る山嶺の尾根道へと取り付いていく。
気が付くと結構な高さを走っているものとみえ、よく踏み締められた行者道の空気はきりりと冷たく、樹々の間を縫うように続いている。
人並外れて脚の強い草介ではあるが、五十がらみの隼人と小柄な少女である由良乃の健脚さには改めて舌を巻く思いだ。
速度が乱れないのはもちろん、急坂や木の根が絡まる足場の悪い道もすいすいと難なく上り下りしてしまう。
これはそもそもの鍛え方が違うのだと喘ぎながら、必死で二人の後を付いていく。
尾根道のそこかしこには、修験者の行場らしく塚や神仏が祀られているのが散見された。
対して信心もない草介だったが、そうした路傍の小祠や石造物に隼人は必ず片手念仏の形で短く祈るのだった。
共に旅するうちに見知った習慣だったが、草介は一度だけ隼人の信心深さを茶化したことがある。
だが、
「供養だ」
という短い答えに黙ってしまい、それ以来何も言っていない。
幕末の動乱を生き抜いてきた隼人にとって“供養”なる言葉は、自分が想像できるものを遥かに超えた重みを持つのだろうと草介は思う。
「少し休んで中食にしましょう」
どのくらい尾根道を駆けた頃か、由良乃が立ち止まり負っていた荷を解いて包みを取り出した。
「熊野からの行者さんに教わった料理で“目はり寿司”といいます」
それは握飯を高菜の葉の塩漬けでくるんだものだった。紀伊南部でよく食べられる郷土料理で、杣人が山仕事に携えていったものだという。青々とした葉の色どりも美しく、何より巻き締めた飯が崩れないため山弁当に最適なのだ。
「うめえや!お由良ちゃ…お師ちゃんが握ってくれたってぇんなら、ことさらうめえ」
道を避けて車座となり、さっそく一つ頬張った草介が感極まったように叫んだ。
大声で旨い旨いと連発する草介に呆れて隼人と顔を見合わせつつも、由良乃はついつい“お師ちゃん”という妙な呼び方を拒む機を逸してしまったのだった。
いずれも袖と裾に赤い線の入った紺色の詰襟とズボン、そして前後をすぼめて折り畳んだような韮山笠を小脇に抱えている。
届けるべき書状はこれから受け取るため手回りの荷だけを負い、三人のうちの若い男はほぼ空身に近い軽やかさだ。
他の二人、燻し銀の短髪に口髭が目を引く男と、小柄な娘は細長い袋を背に負っている。加えて娘の方は四尺あまりの白木の杖を携えていた。
本殿に向けて参拝を済ませ、銘々に足ごしらえを整えて間もなく出立しようとしているところだ。
「せっかくあんだけ稽古したっつうのに、杖も棒も持っちゃいけねえなんて」
草介が不満そうに口を尖らせる。
「そう言うな草介。今は迅速に港へ向かうのが先だ」
なだめるように隼人が諭し、由良乃も後を受けて補足する。
「これから往くのは山の行者道がほとんどです。慣れぬうちはなるべく身軽な方がよいでしょう。今の草介さんでは杖を持つとかえって動きを妨げます」
表情を変えずに淡々と言ってのける由良乃に、草介はへえ、と頷くしかない。
勿論彼女の言う通りなのだが、草介はこの自分より年下の女師匠にすっかり頭が上がらなくなっている。
「海まででっけえ川ぁ流れてんだろ。舟下りって洒落込むわけにゃいかなかったのかい」
「川舟では万一襲撃されれば防御が難しい。由良乃どのに付いて嶺を駆けるのが確実だ」
紀伊北部には河内や和泉との境でもある山々が東西に横たわっている。
この尾根道は海のすぐ近くまで続いており、古い修験者たちの修行の道としても知られていた。
“M機関”といった御留郵便統括からのモールス書状には、紀伊北西端の加太という港で協力者と合流して九州を目指すようにとの指令が記されていた。
「では参ります。少し急ぎで駆けます」
道をよく知る由良乃を先頭に、三人の御留郵便御用は足を踏み出した。
まずは紀伊から河内へと抜ける峠越えの道を目指し、そこから東西に走る山嶺の尾根道へと取り付いていく。
気が付くと結構な高さを走っているものとみえ、よく踏み締められた行者道の空気はきりりと冷たく、樹々の間を縫うように続いている。
人並外れて脚の強い草介ではあるが、五十がらみの隼人と小柄な少女である由良乃の健脚さには改めて舌を巻く思いだ。
速度が乱れないのはもちろん、急坂や木の根が絡まる足場の悪い道もすいすいと難なく上り下りしてしまう。
これはそもそもの鍛え方が違うのだと喘ぎながら、必死で二人の後を付いていく。
尾根道のそこかしこには、修験者の行場らしく塚や神仏が祀られているのが散見された。
対して信心もない草介だったが、そうした路傍の小祠や石造物に隼人は必ず片手念仏の形で短く祈るのだった。
共に旅するうちに見知った習慣だったが、草介は一度だけ隼人の信心深さを茶化したことがある。
だが、
「供養だ」
という短い答えに黙ってしまい、それ以来何も言っていない。
幕末の動乱を生き抜いてきた隼人にとって“供養”なる言葉は、自分が想像できるものを遥かに超えた重みを持つのだろうと草介は思う。
「少し休んで中食にしましょう」
どのくらい尾根道を駆けた頃か、由良乃が立ち止まり負っていた荷を解いて包みを取り出した。
「熊野からの行者さんに教わった料理で“目はり寿司”といいます」
それは握飯を高菜の葉の塩漬けでくるんだものだった。紀伊南部でよく食べられる郷土料理で、杣人が山仕事に携えていったものだという。青々とした葉の色どりも美しく、何より巻き締めた飯が崩れないため山弁当に最適なのだ。
「うめえや!お由良ちゃ…お師ちゃんが握ってくれたってぇんなら、ことさらうめえ」
道を避けて車座となり、さっそく一つ頬張った草介が感極まったように叫んだ。
大声で旨い旨いと連発する草介に呆れて隼人と顔を見合わせつつも、由良乃はついつい“お師ちゃん”という妙な呼び方を拒む機を逸してしまったのだった。
1
お気に入りに追加
59
あなたにおすすめの小説
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
殿軍<しんがり>~小説越南元寇録~
平井敦史
歴史・時代
1257年冬。モンゴル帝国の大軍が、当時のベトナム――陳朝大越に侵攻した。
大越皇帝太宗は、自ら軍を率いてこれを迎え撃つも、精強なモンゴル軍の前に、大越軍は崩壊寸前。
太宗はついに全軍撤退を決意。大越の命運は、殿軍を任された御史中将・黎秦(レ・タン)の双肩に委ねられた――。
拙作『ベルトラム王国物語』の男主人公・タリアン=レロイのモデルとなったベトナムの武将・黎輔陳(レ・フー・チャン)こと黎秦の活躍をお楽しみください。
※本作は「カクヨム」の短編賞創作フェスお題「危機一髪」向けに書き下ろしたものの転載です。「小説家になろう」にも掲載しています。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
天狗の囁き
井上 滋瑛
歴史・時代
幼少の頃より自分にしか聞こえない天狗の声が聞こえた吉川広家。姿見えぬ声に対して、時に従い、時に相談し、時に言い争い、天狗評議と揶揄されながら、偉大な武将であった父吉川元春や叔父の小早川隆景、兄元長の背を追ってきた。時は経ち、慶長五年九月の関ヶ原。主家の当主毛利輝元は甘言に乗り、西軍総大将に担がれてしまう。東軍との勝敗に関わらず、危急存亡の秋を察知した広家は、友である黒田長政を介して東軍総大将徳川家康に内通する。天狗の声に耳を傾けながら、主家の存亡をかけ、不義内通の誹りを恐れず、主家の命運を一身に背負う。
陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――
黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。
一般には武田勝頼と記されることが多い。
……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。
信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。
つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。
一介の後見人の立場でしかない。
織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。
……これは、そんな悲運の名将のお話である。
【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵
【注意】……武田贔屓のお話です。
所説あります。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる