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第三章 博徒の雛と老剣士
M機関より
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「痛ってえ!」
諸肌脱ぎで思わず顔をしかめる草介の身体には、あちこちに痣ができている。
あれから毎日のように続く由良乃との稽古で付いたもので、それらは正確に人体各部の急所に浮かび上がっていた。
「じっとせよ。要らぬところに薬が付く」
痛がる草介に隼人が塗ってやっているのは、由良乃が託した打ち身に効く膏薬だ。
請われての稽古であり大の男が相手とはいえ、由良乃にしてもそれなりに気には掛けていることが伝わってくる。
「お由良ちゃんに塗ってもらいてえ」
「たわけ」
膏薬を塗る隼人の指が力加減を誤り、草介が痛みで飛び上がる。
ほとんど全力で打ち掛かっていくようになった草介だったが、相変わらず由良乃にはかすりもしないどころか、その杖術にいよいよもって翻弄されるばかりだ。
が、初めの印象とは存外なことに、由良乃は筋道立てて言葉で技の理合を説くことにも長けていた。
剣を相手にする場合は決して杖や棒を斜めに斬り込ませないこと、拳や小手など痛みで戦闘能力を奪える箇所を打つこと、突くときは瞬間的に体重を預けて素早く引き戻すこと等々……。
融通無碍でしかも強力な技の数々を、いつしか草介も夢中で自家薬籠中の物にせんと学び取っていた。
「草介さんが担いでいる天秤棒では、この杖術の技の半分も遣えないでしょう」
実は由良乃は早い段階で、そんなことを念押ししていた。
「杖術はご覧のように手の内で素早く滑らせることが肝となります。ですが天秤棒の形と太さでは、それがままならない。それでもいくつもの技を知っている、見たことがある、というのは重要です」
つまり剣に対してその弱点を徹底的に攻める杖術の技は、様々な局面で応用できるというのだ。
脚夫の勤め中もっとも手近な打撃武器になるのは郵便を振り分ける天秤棒だが、たとえば鍬の柄や箒、ともすれば木の枝などそこいらにあるものを瞬時に武器として扱うことも可能となる。
また得物の間合いに頼ることなく、長い物を短くも遣って自在な距離で柔軟に戦う胆力も重視していた。
身をもって体感するそんな教えの数々を、草介は随分と気に入ったようだった。
その点由良乃はいい師匠だったといえるだろう。
「されど草介、師に向かって”お由良ちゃん”では示しがつかぬぞ」
「だよなあ。かわいい顔しておっかねえからなあ」
「そういう意味ではない」
「おいらああいうツンとした感じの娘に弱えんだよなあ」
「………」
草介が打ち据えられながら稽古に励む日々は、いつしか二月、三月と過ぎていった。
その間にも瀬乃神宮を経由してもたらされる御留郵便は絶えることなく、隼人と草介ばかりでなく時には由良乃もともに書状や物品を届ける任務をこなすようになっていた。
そんなある日、由良乃が緊迫した面持ちで足早に隼人の元を訪れた。
「片倉先生」
手には一通の書状を携えている。
隼人はそれを見やるとぴくりと片眉を上げ、押し戴くように受け取って丁寧に文を開いた。
気を利かせて席を外そうとした草介を手で制し、由良乃にも見えるよう日の光にかざす。
「……なんでえこりゃあ」
草介がとぼけた声を出したその先には、線と点のみが記された奇妙な手紙。
「モールスだ。暗号ではない」
文面に目を走らせながら隼人が説く。
電信はすでにあったが傍受を防ぐため、御留郵便御用ではまず使わない連絡方法だった。
「“M機関”。我らの雇い主からだ」
ぽかんとする草介に由良乃が軽く頷いて、
「御留郵便を統括する、政府の特務機関です」
と短く補足した。
文面を追うごとに隼人の表情は険しくなり、読み終えるなり草介と由良乃の二人を真っすぐに見据えた。
「ついに帯刀が御禁制となるそうだ。ついては士族の反発を抑えるため、ある書状を届けよとのこと。由良乃どのと草介も共に向かうようお達しだ」
九州へ発つぞ――。
時は明治9年(1876年)、3月弥生を迎えたばかりのことだった。
諸肌脱ぎで思わず顔をしかめる草介の身体には、あちこちに痣ができている。
あれから毎日のように続く由良乃との稽古で付いたもので、それらは正確に人体各部の急所に浮かび上がっていた。
「じっとせよ。要らぬところに薬が付く」
痛がる草介に隼人が塗ってやっているのは、由良乃が託した打ち身に効く膏薬だ。
請われての稽古であり大の男が相手とはいえ、由良乃にしてもそれなりに気には掛けていることが伝わってくる。
「お由良ちゃんに塗ってもらいてえ」
「たわけ」
膏薬を塗る隼人の指が力加減を誤り、草介が痛みで飛び上がる。
ほとんど全力で打ち掛かっていくようになった草介だったが、相変わらず由良乃にはかすりもしないどころか、その杖術にいよいよもって翻弄されるばかりだ。
が、初めの印象とは存外なことに、由良乃は筋道立てて言葉で技の理合を説くことにも長けていた。
剣を相手にする場合は決して杖や棒を斜めに斬り込ませないこと、拳や小手など痛みで戦闘能力を奪える箇所を打つこと、突くときは瞬間的に体重を預けて素早く引き戻すこと等々……。
融通無碍でしかも強力な技の数々を、いつしか草介も夢中で自家薬籠中の物にせんと学び取っていた。
「草介さんが担いでいる天秤棒では、この杖術の技の半分も遣えないでしょう」
実は由良乃は早い段階で、そんなことを念押ししていた。
「杖術はご覧のように手の内で素早く滑らせることが肝となります。ですが天秤棒の形と太さでは、それがままならない。それでもいくつもの技を知っている、見たことがある、というのは重要です」
つまり剣に対してその弱点を徹底的に攻める杖術の技は、様々な局面で応用できるというのだ。
脚夫の勤め中もっとも手近な打撃武器になるのは郵便を振り分ける天秤棒だが、たとえば鍬の柄や箒、ともすれば木の枝などそこいらにあるものを瞬時に武器として扱うことも可能となる。
また得物の間合いに頼ることなく、長い物を短くも遣って自在な距離で柔軟に戦う胆力も重視していた。
身をもって体感するそんな教えの数々を、草介は随分と気に入ったようだった。
その点由良乃はいい師匠だったといえるだろう。
「されど草介、師に向かって”お由良ちゃん”では示しがつかぬぞ」
「だよなあ。かわいい顔しておっかねえからなあ」
「そういう意味ではない」
「おいらああいうツンとした感じの娘に弱えんだよなあ」
「………」
草介が打ち据えられながら稽古に励む日々は、いつしか二月、三月と過ぎていった。
その間にも瀬乃神宮を経由してもたらされる御留郵便は絶えることなく、隼人と草介ばかりでなく時には由良乃もともに書状や物品を届ける任務をこなすようになっていた。
そんなある日、由良乃が緊迫した面持ちで足早に隼人の元を訪れた。
「片倉先生」
手には一通の書状を携えている。
隼人はそれを見やるとぴくりと片眉を上げ、押し戴くように受け取って丁寧に文を開いた。
気を利かせて席を外そうとした草介を手で制し、由良乃にも見えるよう日の光にかざす。
「……なんでえこりゃあ」
草介がとぼけた声を出したその先には、線と点のみが記された奇妙な手紙。
「モールスだ。暗号ではない」
文面に目を走らせながら隼人が説く。
電信はすでにあったが傍受を防ぐため、御留郵便御用ではまず使わない連絡方法だった。
「“M機関”。我らの雇い主からだ」
ぽかんとする草介に由良乃が軽く頷いて、
「御留郵便を統括する、政府の特務機関です」
と短く補足した。
文面を追うごとに隼人の表情は険しくなり、読み終えるなり草介と由良乃の二人を真っすぐに見据えた。
「ついに帯刀が御禁制となるそうだ。ついては士族の反発を抑えるため、ある書状を届けよとのこと。由良乃どのと草介も共に向かうようお達しだ」
九州へ発つぞ――。
時は明治9年(1876年)、3月弥生を迎えたばかりのことだった。
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