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第三章 博徒の雛と老剣士
草介の師
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「孫娘がとんだ御無礼を……堪忍したってください」
通された座敷で深々と草介に頭を下げたのは、威風辺りを払うような品格を醸す白髪の老爺。
白衣に白紋入りの紫袴を身に着けたその姿は、神職らしい清らかな気配に包まれている。
“橘愁月”と名乗った老爺は、ここ“瀬乃神宮”の宮司にして御留郵便の取り扱いを兼務しているのだという。
「とても怪しかったので排除しようとしました。もう少しでとどめを刺すところでした」
その隣で表情を変えず、ぺこりと浅く一礼したのは先ほど隼人が“由良乃”と呼んだ少女だ。
よく考えるとまったく謝罪するつもりはなさそうな言だが、草介は口を半開きにしてかくかくと首を縦に振る。
少女の美しさにすっかり惚けてしまっているのだ。
「それがしの責任でござる。由良乃どのが外においでだったとは。しかししばらく見ぬ間に大きうなられた。怪我が無うて何より」
投げ飛ばされた草介の怪我はさておき、いつになく優しい表情の隼人に由良乃もはにかむように目を細めた。
彼女が隼人を「片倉先生」と呼んだのは、橘の一族は隼人が遣う流派を伝える家の一つであることと関係している。
幼少時代の由良乃は隼人に稽古をつけてもらっていたことがあり、久方ぶりに邂逅した瞬間に“先生”と口をついて出たのだった。
「私らの“無陣流”にはいくつかの伝系がありますよって、なんぼかの派があるんです。本来は剣だけやのうて槍・薙刀・弓・馬・柔らようけあったんやけど、分かれてしもて当家が伝えるんは刀法と柔、あと棒の技だけなんよ」
老神職の愁月が謹厳そうな見た目に似合わず、若い草介にも存外気さくかつ丁寧に説明する。
だがこの老爺の佇まいと、その前で居住まいを正している隼人の様子から只ならぬ達人であることが見受けられる。
美しい少女に投げ飛ばされて絞め殺されそうになるという異常事態から忘れそうになっていたが、そもそも武術を学びにここへやって来たのだった。
話が一区切りしたところで草介はぴんと背筋を伸ばして端座し直し、老爺に向けてがばっと両の手をついた。
「はーさ……片倉先生からお聞き及びと思いやすが、おいら強くなりてぇんです。大事な郵便きっちり守れるように、てめえの腕っぷし鍛えなきゃなんねえ。どうぞ弟子にしてくだせえ!」
畳に額を着けて礼をする草介に老爺は頷き、顔を上げるよう優しく声をかけた。
草介は何やら感極まり、
「お師様……」
と自然に敬称が口から零れ出た。
「片倉殿からよう聞いてますさかい、修行のことはあんじょうします。せやけど草介はんが“お師様”て呼ぶんは私と違うんよ」
老爺は至って真面目に、すうっと隣を手で示した。
「……え?」
その先には無表情の少女。
「嫌ですが片倉先生と祖父上のお申し付けゆえ、わたくしが草介殿の師範を務めます」
淡々と言い放つ由良乃は、最後に小さくもう一度「嫌ですが」と付け足す。
「冗談だろ……」
草介は思わずそう呟いて脱力してしまったが、ほどなく後悔することになるなど無論知る由もない。
「――この技は正確には“杖術”といいます」
上下白の胴着袴に着替えた由良乃から最初の稽古を受けるべく、草介は瀬乃神宮の境内に出ていた。
由良乃が携えているのは四尺ほどの何の変哲もない白木の棒。通常“棒術”といえば六尺棒を扱うのがよく知られるが、それよりはかなり短い。
「流派にもよりますが、杖術は対剣術戦用に技が組まれています。どちらかというと相手を取り押さえたり、無力化したりすることに重点を置いています。口で言うより身をもって知る方がよいでしょうから」
そう言いながら由良乃は草介に木刀を手渡し、
「自由に打ち込んできて」
右手に杖を提げたまま、無防備な様子で佇んだ。
通された座敷で深々と草介に頭を下げたのは、威風辺りを払うような品格を醸す白髪の老爺。
白衣に白紋入りの紫袴を身に着けたその姿は、神職らしい清らかな気配に包まれている。
“橘愁月”と名乗った老爺は、ここ“瀬乃神宮”の宮司にして御留郵便の取り扱いを兼務しているのだという。
「とても怪しかったので排除しようとしました。もう少しでとどめを刺すところでした」
その隣で表情を変えず、ぺこりと浅く一礼したのは先ほど隼人が“由良乃”と呼んだ少女だ。
よく考えるとまったく謝罪するつもりはなさそうな言だが、草介は口を半開きにしてかくかくと首を縦に振る。
少女の美しさにすっかり惚けてしまっているのだ。
「それがしの責任でござる。由良乃どのが外においでだったとは。しかししばらく見ぬ間に大きうなられた。怪我が無うて何より」
投げ飛ばされた草介の怪我はさておき、いつになく優しい表情の隼人に由良乃もはにかむように目を細めた。
彼女が隼人を「片倉先生」と呼んだのは、橘の一族は隼人が遣う流派を伝える家の一つであることと関係している。
幼少時代の由良乃は隼人に稽古をつけてもらっていたことがあり、久方ぶりに邂逅した瞬間に“先生”と口をついて出たのだった。
「私らの“無陣流”にはいくつかの伝系がありますよって、なんぼかの派があるんです。本来は剣だけやのうて槍・薙刀・弓・馬・柔らようけあったんやけど、分かれてしもて当家が伝えるんは刀法と柔、あと棒の技だけなんよ」
老神職の愁月が謹厳そうな見た目に似合わず、若い草介にも存外気さくかつ丁寧に説明する。
だがこの老爺の佇まいと、その前で居住まいを正している隼人の様子から只ならぬ達人であることが見受けられる。
美しい少女に投げ飛ばされて絞め殺されそうになるという異常事態から忘れそうになっていたが、そもそも武術を学びにここへやって来たのだった。
話が一区切りしたところで草介はぴんと背筋を伸ばして端座し直し、老爺に向けてがばっと両の手をついた。
「はーさ……片倉先生からお聞き及びと思いやすが、おいら強くなりてぇんです。大事な郵便きっちり守れるように、てめえの腕っぷし鍛えなきゃなんねえ。どうぞ弟子にしてくだせえ!」
畳に額を着けて礼をする草介に老爺は頷き、顔を上げるよう優しく声をかけた。
草介は何やら感極まり、
「お師様……」
と自然に敬称が口から零れ出た。
「片倉殿からよう聞いてますさかい、修行のことはあんじょうします。せやけど草介はんが“お師様”て呼ぶんは私と違うんよ」
老爺は至って真面目に、すうっと隣を手で示した。
「……え?」
その先には無表情の少女。
「嫌ですが片倉先生と祖父上のお申し付けゆえ、わたくしが草介殿の師範を務めます」
淡々と言い放つ由良乃は、最後に小さくもう一度「嫌ですが」と付け足す。
「冗談だろ……」
草介は思わずそう呟いて脱力してしまったが、ほどなく後悔することになるなど無論知る由もない。
「――この技は正確には“杖術”といいます」
上下白の胴着袴に着替えた由良乃から最初の稽古を受けるべく、草介は瀬乃神宮の境内に出ていた。
由良乃が携えているのは四尺ほどの何の変哲もない白木の棒。通常“棒術”といえば六尺棒を扱うのがよく知られるが、それよりはかなり短い。
「流派にもよりますが、杖術は対剣術戦用に技が組まれています。どちらかというと相手を取り押さえたり、無力化したりすることに重点を置いています。口で言うより身をもって知る方がよいでしょうから」
そう言いながら由良乃は草介に木刀を手渡し、
「自由に打ち込んできて」
右手に杖を提げたまま、無防備な様子で佇んだ。
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