上 下
18 / 104
第三章 博徒の雛と老剣士

草介の師

しおりを挟む
「孫娘がとんだ御無礼を……堪忍したってください」

通された座敷で深々と草介に頭を下げたのは、威風辺りを払うような品格を醸す白髪の老爺。
白衣びゃくえに白紋入りの紫袴を身に着けたその姿は、神職らしい清らかな気配に包まれている。
橘愁月たちばなしゅうげつ”と名乗った老爺は、ここ“瀬乃神宮”の宮司にして御留郵便の取り扱いを兼務しているのだという。

「とても怪しかったので排除しようとしました。もう少しでとどめを刺すところでした」

その隣で表情を変えず、ぺこりと浅く一礼したのは先ほど隼人が“由良乃”と呼んだ少女だ。
よく考えるとまったく謝罪するつもりはなさそうな言だが、草介は口を半開きにしてかくかくと首を縦に振る。
少女の美しさにすっかり惚けてしまっているのだ。

「それがしの責任でござる。由良乃どのが外においでだったとは。しかししばらく見ぬ間に大きうなられた。怪我が無うて何より」

投げ飛ばされた草介の怪我はさておき、いつになく優しい表情の隼人に由良乃もはにかむように目を細めた。
彼女が隼人を「片倉先生」と呼んだのは、橘の一族は隼人が遣う流派を伝える家の一つであることと関係している。
幼少時代の由良乃は隼人に稽古をつけてもらっていたことがあり、久方ぶりに邂逅した瞬間に“先生”と口をついて出たのだった。

「私らの“無陣流”にはいくつかの伝系がありますよって、なんぼかの派があるんです。本来は剣だけやのうて槍・薙刀・弓・馬・柔らようけあったんやけど、分かれてしもて当家が伝えるんは刀法と柔、あと棒の技だけなんよ」

老神職の愁月が謹厳そうな見た目に似合わず、若い草介にも存外気さくかつ丁寧に説明する。
だがこの老爺の佇まいと、その前で居住まいを正している隼人の様子から只ならぬ達人であることが見受けられる。
美しい少女に投げ飛ばされて絞め殺されそうになるという異常事態から忘れそうになっていたが、そもそも武術を学びにここへやって来たのだった。
話が一区切りしたところで草介はぴんと背筋を伸ばして端座し直し、老爺に向けてがばっと両の手をついた。

「はーさ……片倉先生からお聞き及びと思いやすが、おいら強くなりてぇんです。大事でえじな郵便きっちり守れるように、てめえの腕っぷし鍛えなきゃなんねえ。どうぞ弟子にしてくだせえ!」

畳に額を着けて礼をする草介に老爺は頷き、顔を上げるよう優しく声をかけた。
草介は何やら感極まり、

「お師様……」

と自然に敬称が口から零れ出た。

「片倉殿からよう聞いてますさかい、修行のことはあんじょうします。せやけど草介はんが“お師様”て呼ぶんは私と違うんよ」

老爺は至って真面目に、すうっと隣を手で示した。

「……え?」

その先には無表情の少女。

「嫌ですが片倉先生と祖父上のお申し付けゆえ、わたくしが草介殿の師範を務めます」

淡々と言い放つ由良乃は、最後に小さくもう一度「嫌ですが」と付け足す。

「冗談だろ……」

草介は思わずそう呟いて脱力してしまったが、ほどなく後悔することになるなど無論知る由もない。


「――この技は正確には“杖術じょうじゅつ”といいます」

上下白の胴着袴に着替えた由良乃から最初の稽古を受けるべく、草介は瀬乃神宮の境内に出ていた。
由良乃が携えているのは四尺ほどの何の変哲もない白木の棒。通常“棒術”といえば六尺棒を扱うのがよく知られるが、それよりはかなり短い。

「流派にもよりますが、杖術は対剣術戦用に技が組まれています。どちらかというと相手を取り押さえたり、無力化したりすることに重点を置いています。口で言うより身をもって知る方がよいでしょうから」

そう言いながら由良乃は草介に木刀を手渡し、

「自由に打ち込んできて」

右手にじょうを提げたまま、無防備な様子で佇んだ。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

薄幸華族令嬢は、銀色の猫と穢れを祓う

石河 翠
恋愛
文乃は大和の国の華族令嬢だが、家族に虐げられている。 ある日文乃は、「曰くつき」と呼ばれる品から溢れ出た瘴気に襲われそうになる。絶体絶命の危機に文乃の前に現れたのは、美しい銀色の猫だった。 彼は古びた筆を差し出すと、瘴気を墨代わりにして、「曰くつき」の穢れを祓うために、彼らの足跡を辿る書を書くように告げる。なんと「曰くつき」というのは、さまざまな理由で付喪神になりそこねたものたちだというのだ。 猫と清められた古道具と一緒に穏やかに暮らしていたある日、母屋が火事になってしまう。そこへ文乃の姉が、火を消すように訴えてきて……。 穏やかで平凡な暮らしに憧れるヒロインと、付喪神なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:22924341)をお借りしております。

【完結】女神は推考する

仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。 直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。 強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。 まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。 今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。 これは、大王となる私の守る為の物語。 額田部姫(ヌカタベヒメ) 主人公。母が蘇我一族。皇女。 穴穂部皇子(アナホベノミコ) 主人公の従弟。 他田皇子(オサダノオオジ) 皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。 広姫(ヒロヒメ) 他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。 彦人皇子(ヒコヒトノミコ) 他田大王と広姫の嫡子。 大兄皇子(オオエノミコ) 主人公の同母兄。 厩戸皇子(ウマヤドノミコ) 大兄皇子の嫡子。主人公の甥。 ※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。 ※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。 ※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。) ※史実や事実と異なる表現があります。 ※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。  

葉桜よ、もう一度 【完結】

五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。 謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

いや、婿を選べって言われても。むしろ俺が立候補したいんだが。

SHO
歴史・時代
時は戦国末期。小田原北条氏が豊臣秀吉に敗れ、新たに徳川家康が関八州へ国替えとなった頃のお話。 伊豆国の離れ小島に、弥五郎という一人の身寄りのない少年がおりました。その少年は名刀ばかりを打つ事で有名な刀匠に拾われ、弟子として厳しく、それは厳しく、途轍もなく厳しく育てられました。 そんな少年も齢十五になりまして、師匠より独立するよう言い渡され、島を追い出されてしまいます。 さて、この先の少年の運命やいかに? 剣術、そして恋が融合した痛快エンタメ時代劇、今開幕にございます! *この作品に出てくる人物は、一部実在した人物やエピソードをモチーフにしていますが、モチーフにしているだけで史実とは異なります。空想時代活劇ですから! *この作品はノベルアップ+様に掲載中の、「いや、婿を選定しろって言われても。だが断る!」を改題、改稿を経たものです。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

やり直し王女テューラ・ア・ダンマークの生存戦略

シャチ
歴史・時代
ダンマーク王国の王女テューラ・ア・ダンマークは3歳の時に前世を思いだす。 王族だったために平民出身の最愛の人と結婚もできす、2回の世界大戦では大国の都合によって悲惨な運命をたどった。 せっかく人生をやり直せるなら最愛の人と結婚もしたいし、王族として国民を不幸にしないために活動したい。 小国ダンマークの独立を保つために何をし何ができるのか? 前世の未来知識を駆使した王女テューラのやり直しの人生が始まる。 ※デンマークとしていないのはわざとです。 誤字ではありません。 王族の方のカタカナ表記は現在でも「ダンマーク」となっておりますのでそちらにあえて合わせてあります

狐侍こんこんちき

月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。 父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。 そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、 門弟なんぞはひとりもいやしない。 寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。 かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。 のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。 おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。 もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。 けれどもある日のこと。 自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。 脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。 こんこんちきちき、こんちきちん。 家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。 巻き起こる騒動の数々。 これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。

処理中です...