剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ

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第二章 ピストルと郵便脚夫

暗闇の道

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「紀州、ねえ」

草介は自分からすると随分と年嵩に見えるその男をじろりと見やった。
上背はさほど高くはないが頑健そうな体つきが制服の上からも視てとれる。
燻し銀の短髪も同じ色の口髭もきれいに整えられ、精悍な顔つきはむしろ若々しいとさえいえる。
珍しいのはその男の足元だ。この時代は郵便脚夫も草鞋履きが普通だったが、立派な革製の洋靴を履いている。

「おいちゃん、いいもん履いてんな」
「……紀伊の物にて」
「ふん」

草介の紀州嫌いに大した理由などはない。旧幕のために戦った者たちは別として、元々侍が嫌いなのは今に始まったことではない。
が、その中でも薩やら長やらが”官軍”となった途端、戦いもせずに尻尾を丸めて降参した藩などは最も軽蔑すべき連中だと草介は思い込んでいた。
紀州というのは御三家でありながら、南海の鎮守を果たすことなく早々と降った腰抜けの筆頭格だ――。
と、頭から決めつけている。

なので紀州者だという目の前の男がひたすらいけすかない。
そのうえ言葉遣いが何やら垢抜けているのを質してみると、江戸定府で育ったためだと素っ気ない答えでいよいよもって気に食わない。

「つんけんしなさんな、草介。片倉さんはねえ、わけえ時分にゃ紀州の”七里飛脚しちりひきゃく”だったってえんだよ」

七里飛脚――。
その名の通り七里ごとに書状などを逓送する大名飛脚の一種で、御三家の紀伊と尾張、さらには松江・津山・姫路・松山・高松・福井・川越の各藩に設けられていた。
身分としては足軽や中間といった最下層の者らがこれにあたったが、重要文書の輸送はもとより周辺の情報収集なども担っていたという。
幕末には廃れていった役目ともされるが、紀伊では最後まで残っていたのだった。

しちりしきゃく・・・・・・だかなんだか知らねえけどよう。郵便担いですっ転ぶんじゃねえぞ、おいちゃん」

さんざん悪態を吐いた草介だったが、いよいよ夜間逓送への出発時間を迎えて大人しく旦那の切り火を受け、貸与された銃を身に着けたところだ。
本来、通るべき経路は定められている。しかしつい先頃の強盗事件で脚夫が命を落としているのだ。
味をしめた賊が再び狙ってくるのは容易に予測できる。
そこで旦那を中心に、特に襲撃されやすいと思われる森の中については違う道をとるよう打ち合わせていた。
このことはそれぞれの脚夫と旦那しか知らない。
草介と組んだ者も隼人の相方も、いずれもよく慣れた脚夫だ。彼らもかつて侍だったと聞いているが、草介にとっては気の置けない仕事仲間だ。
万全とはいえないまでもこれなら無事に郵便御用が務まるだろうと、草介は気楽な心持ちだ。

「では。早う御帰り」

二人一組の男たちがそれぞれ別の方角へと走り出し、遠ざかる彼らの背に向けて旦那がもう一度火打石を鳴らした。

草介は隣の男と息を合わせながら、拍子よく真夜中の地道を駆けていった。周囲はほとんど水張田みはりだで、望にはまだ少し早い月が水面に映っては揺れるかのようだ。
灯りのない夜での月明りというものは、実に煌々と地上を照らす。
森の入り口に至るまでは提灯など点けず、そのまま駆け続けた。
己の速さで起こす風がしっとりとした夜気を掻き分け、草介は心地よさげに目を細める。
やがて目の前に黒々と横たわる森が見えてきた。月明りに慣れた目からは、まことに黒としかいいようのない塊に見える。
普段の道から離れ、旦那と打ち合わせた経路を慎重に見定めて森の口に足を踏み入れた。

「草介さん、念のためだ。もう少しばかり入り込んでから提灯を灯そう。賊に見つかったらしつこく追ってくるだろうから」

相方の男が声を潜めて提案し、火の点いていない提灯を草介に持たせて歩きだした。
先を行く男が地面の枝葉を踏みしめる音を頼りに後をついていく草介だったが、まさしく真の暗闇で一寸先も見えやしない。

気が付くと結構な距離を無灯で進んでいた。もうそろそろ火を、と声掛けしようとした時、草介は前を行っていた男の足音が消えていることに気付いた。

「なあ……おい……?」

声を殺して呼びかけた草介の額へ、ふいに硬く冷たいものが押し当てられた。

「動くな」

直後にがちゃりと鳴ったのは、草介のよく知るピストルの撃鉄を起こす無機質な音だった。
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