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第二章 ピストルと郵便脚夫
流浪士族の郵便配達
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その男のことをみんな”旦那”と呼んでいた。
明らかに近江の言葉ではなく江戸の訛りで、どちらかというと商家のような物言いの柔和な男だった。
維新の後いつの間にかこの地に流れ着いたそうだが、今や土地の名士のような存在だ。
噂では元々旗本だったともいうが、草介は細かいことを聞いたこともなければ詮索するつもりも毛頭ない。
富裕層が金を出して旗本や御家人の株を買うことは珍しくなかったし、そもそも今さら身分をどうこう言ったところで腹の足しになどなりはしない。
何よりいつも困ったような顔をしながらも懸命に立ち働き、人々から慕われる”旦那”の様子にさしもの草介も悪く思う気など起きなかったからだ。
明治4年(1872年)3月1日に東京―大阪間で開始された郵便事業は急速な拡大をみせ、その配送網は同年末には長崎まで到達。翌年の夏頃までには北海道の一部を除いてほぼ全国に広がっていた。
事業開始から約一年で郵便局は約6.5倍に増え、郵便配送の路線距離は約9倍にも延びたという。
もっとも当初は郵便局とはいわず”郵便役所”と呼んだが、細かい地方局の整備には手が回らないのが実情だった。
そこで採用されたのが、地域の名士や庄屋・名主などの有力者を”郵便取扱役”に任命し、その邸宅を郵便取扱所として郵便局機能を兼務させるという方法だ。
草介を拾った近江の旦那は、まさしくその郵便取扱役を担っていた男だった。
いわば職を失う形で放り出されたかつての侍たちは、士族という形ばかりの身分だけでは食べていけるわけがない。
商売を始めたり帰農したり、なんとか生活の糧を得ようと皆必死だったが中には悲惨な目に遭う者も少なくなかったのだ。
近江の旦那はそんな行き場のない士族らの面倒をみてやってもいた。
彼らのうちには食うに困って旦那の元で郵便脚夫を務める者もあり、草介ももちろん共に働いている。
元来草介は侍を頭から莫迦にしていた。
威張るばかりで米一粒すら生み出すわけではなく、外国の脅威から国を守ることすらできない。
しかも最後は薩摩やら長州やらにひっくり返されて、それまで何をしてきたのだかとんとわかりやしない。
だが、それでも旧幕府のために戦った侍たちにはある種の畏敬の念を抱いていたのだ。
敗けるとわかっていたかどうかは預かり知れぬが、筋を通して命を懸けた者たちは本物の侍だと思っている。
もっともそうした人々は生き残ったとしても、さらなる苦汁を舐めていることを草介は目にしてきた。
そしてそんなかつての侍たちが、近江の旦那の元に身を寄せてきているのだ。
彼らは一様に辞が低く、草介に対しても決して同格以下の扱いをする者はいなかった。
いつの間にか草介が一番の古株になっていたことや、旦那がそうしたことを許さなかったためもある。
だがつい5・6年前まではまともに目を合わせることすら憚られた侍たちが、あるいは草介を立て、あるいは教えを乞うなどして一緒に働いている。草介は実に激しく自尊心を揺さぶられた。
彼らは長く勤めることはなく、いつの間にか脚夫の顔ぶれは入れ替わっていくのが常だった。
どこか相応しい職にありついたのだろうと深く考えはしない草介だったが、しばしばこれが最後の仕事になる者がいた。
郵便物の逓送中に賊に襲われ、金品を奪われて命を落とす者たちだ。
それ故の短銃装備だったのだが、つい先だっても脚夫の一人が戻ってこなかった。
だが郵便は継ぎ立てして運ばねばならない。
悲しみも怒りも癒えぬ間に、旦那はどこからか新顔を一人、二人と連れてくる。
それで今しも草介たちが夜の逓送に出向こうという直前、最後の一人を伴ってばたばたと引き合わせたのだ。
「……あぁ…!間に合った……!これで夜継ぎに穴ぁ開けなくて済むよ……!」
ぜえぜえと肩を上下させながら、心底安堵した顔を見せる旦那。
傍らには、草介からすると随分年寄に見える男が佇んでいる。燻した銀のような短髪に、同じ色の口髭。
「片倉隼人と申す」
男はきれいな姿勢で辞儀をしたが草介はけっ、と鼻白んだ。
大嫌いな、紀州の侍だったというからだ。
明らかに近江の言葉ではなく江戸の訛りで、どちらかというと商家のような物言いの柔和な男だった。
維新の後いつの間にかこの地に流れ着いたそうだが、今や土地の名士のような存在だ。
噂では元々旗本だったともいうが、草介は細かいことを聞いたこともなければ詮索するつもりも毛頭ない。
富裕層が金を出して旗本や御家人の株を買うことは珍しくなかったし、そもそも今さら身分をどうこう言ったところで腹の足しになどなりはしない。
何よりいつも困ったような顔をしながらも懸命に立ち働き、人々から慕われる”旦那”の様子にさしもの草介も悪く思う気など起きなかったからだ。
明治4年(1872年)3月1日に東京―大阪間で開始された郵便事業は急速な拡大をみせ、その配送網は同年末には長崎まで到達。翌年の夏頃までには北海道の一部を除いてほぼ全国に広がっていた。
事業開始から約一年で郵便局は約6.5倍に増え、郵便配送の路線距離は約9倍にも延びたという。
もっとも当初は郵便局とはいわず”郵便役所”と呼んだが、細かい地方局の整備には手が回らないのが実情だった。
そこで採用されたのが、地域の名士や庄屋・名主などの有力者を”郵便取扱役”に任命し、その邸宅を郵便取扱所として郵便局機能を兼務させるという方法だ。
草介を拾った近江の旦那は、まさしくその郵便取扱役を担っていた男だった。
いわば職を失う形で放り出されたかつての侍たちは、士族という形ばかりの身分だけでは食べていけるわけがない。
商売を始めたり帰農したり、なんとか生活の糧を得ようと皆必死だったが中には悲惨な目に遭う者も少なくなかったのだ。
近江の旦那はそんな行き場のない士族らの面倒をみてやってもいた。
彼らのうちには食うに困って旦那の元で郵便脚夫を務める者もあり、草介ももちろん共に働いている。
元来草介は侍を頭から莫迦にしていた。
威張るばかりで米一粒すら生み出すわけではなく、外国の脅威から国を守ることすらできない。
しかも最後は薩摩やら長州やらにひっくり返されて、それまで何をしてきたのだかとんとわかりやしない。
だが、それでも旧幕府のために戦った侍たちにはある種の畏敬の念を抱いていたのだ。
敗けるとわかっていたかどうかは預かり知れぬが、筋を通して命を懸けた者たちは本物の侍だと思っている。
もっともそうした人々は生き残ったとしても、さらなる苦汁を舐めていることを草介は目にしてきた。
そしてそんなかつての侍たちが、近江の旦那の元に身を寄せてきているのだ。
彼らは一様に辞が低く、草介に対しても決して同格以下の扱いをする者はいなかった。
いつの間にか草介が一番の古株になっていたことや、旦那がそうしたことを許さなかったためもある。
だがつい5・6年前まではまともに目を合わせることすら憚られた侍たちが、あるいは草介を立て、あるいは教えを乞うなどして一緒に働いている。草介は実に激しく自尊心を揺さぶられた。
彼らは長く勤めることはなく、いつの間にか脚夫の顔ぶれは入れ替わっていくのが常だった。
どこか相応しい職にありついたのだろうと深く考えはしない草介だったが、しばしばこれが最後の仕事になる者がいた。
郵便物の逓送中に賊に襲われ、金品を奪われて命を落とす者たちだ。
それ故の短銃装備だったのだが、つい先だっても脚夫の一人が戻ってこなかった。
だが郵便は継ぎ立てして運ばねばならない。
悲しみも怒りも癒えぬ間に、旦那はどこからか新顔を一人、二人と連れてくる。
それで今しも草介たちが夜の逓送に出向こうという直前、最後の一人を伴ってばたばたと引き合わせたのだ。
「……あぁ…!間に合った……!これで夜継ぎに穴ぁ開けなくて済むよ……!」
ぜえぜえと肩を上下させながら、心底安堵した顔を見せる旦那。
傍らには、草介からすると随分年寄に見える男が佇んでいる。燻した銀のような短髪に、同じ色の口髭。
「片倉隼人と申す」
男はきれいな姿勢で辞儀をしたが草介はけっ、と鼻白んだ。
大嫌いな、紀州の侍だったというからだ。
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