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終 章 那智決戦、果無山のあやかし達と不死の霊泉

祈弾(いのりだま)

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「そう…。やっぱり、ヒトは、よくわからない……。信用できない…。けど、もう、蹈鞴が、起き上がる。わたしたちの、自由な、世が……くる」

ふっ、ともう一歩、長が下がった。
と、次の瞬間。
長はやにわに秀の首筋に咬み付き、他の肉吸いたちも次々にその牙で襲いかかった。
何が起こったのか瞬時に理解できず、わたしたちは驚愕のあまり凍りついてしまう。

「――これが、あなたたちの答えですか」

全身に牙を突き立てられた秀が、それでも顔色一つ変えず淡々と問いかける。

「秀さんには、感謝しています…。けれど、ヒトはやっぱり、信じられない……」

肉吸いの長が咬んでいた牙を離し、秀の耳元でそう囁いた。

「そう――。残念ですね」

そう答えた瞬間、秀は左袖から滑らせた拳銃を握り、纏わりつく妖異たちの頭を次々に撃ち抜いていった。
肉吸いの長だけはいち早く秀から離れて間合いをとったが、ほかはみな弾丸をまともに受けて黒く蒸発を始めている。
何一つ、わたしたちが介入する間もない出来事だった。

秀の身体がぐらりと傾き、そのまま岩場から落ちてわたしのすぐ目の前まで転がってきた。
右手の火縄銃だけはしっかりと握ったままだが、あやかしたちに咬まれた全身は無残に損傷している。
肉吸いの長が、秀から離反したということだけがやっと理解できた。

「これで、自由になります……。あなたたち、"由良"を、始末して」

飛び退った長がそう言うと、その後ろの空間がぐにゃりと歪んでさらに3体の蹈鞴が出現した。
それらはかつて高速道で戦ったもの達よりさらに大きく、いずれも重厚な梵鐘を身に纏っている。

〈どうあってもここで我らを絶やす気だな〉
〈ふん。だが、知れたこと〉

――押し通る!

六代目と七代目が声をそろえ、剣を手にあやかしたちへと向かっていった。
2大精霊がその両脇を固め、裏熊野神人たちも決死の形相で結界の裂け目を封じ続けている。

再び戦いが始まる中、オサカベさんの傷口を押さえることしかできないわたしの耳に、小さな声が届いた。

「…あなた自身は、何と戦いますか」

声の主は、全身を咬み裂かれた状態で倒れている秀。
身体はもう動かすことができずに、顔だけをこちらに振り向けている。

わたしはただ悲しくて、恐ろしくて、そして腹が立っていた。
殺戮し合うだけでは、何一つ変わらない。
けれど目の前の命を救うためには脅威となる他の命に刃を向けることを、躊躇する時間すら許されない現実がある。

「わたしは、目の前の誰にも死んでほしくない!無理だろうがきれいごとだろうが、抗えるだけ抗うに決まってるよっ!!」

秀の問いかけに対する答えだったのかどうか自分でもよくわからない。
けど、わたしは思いのままにそう叫んだ。

「よろしい。おもしろいですね。もとよりかばねのこの身体、朽ちる前に…。あなたにこれを託しましょう」

秀がそう言うと、その身体からすうっと霧のようなものが抜け出て、それはひと所に凝集して虹色に光る球となった。
これは…あのとき秀が蹈鞴のコピーから抜き出した、"魂"と呼んでいたもの……?

「見せてもらいますよ…。あなたたちヒトが選ぶ、"あるべき世界"の……ありさまを」

消え入るような声を最後に秀は眼の光を失い、動かなくなった。
そしてその直後、虹色の光球はわたしの額目掛けて飛来し、そのままこの身体に溶け込んでゆく。
わたしのものではない、別の魂が。

〈そなたは――"雑賀さいか"のすえか〉

心に直接響くような声で、戦国一の銃手が、"雑賀孫市さいかまごいち"の魂がわたしに語りかけてきた。

孫市の魂がわたしの身体に宿ったのと同時に、知らない景色や混沌とした思念のようなものが、とめどなく流れ込んでくるのを感じた。

これは孫市だけのものではなく……"鈴木秀"の記憶――。

彼が何を思い、何を企んで紀伊の結界を弱め蹈鞴を復活させようとしたのか、短い言葉の端々から分かったように思っていた。
けれど、それらは決して語り尽くすことのできない
哀しみに裏打ちされた、"祈り"のようなものだったのだ。

長い歴史の中で突き付けられてきた人間の愚かしさへの絶望。
命が住まう星そのものが悲鳴をあげるなか顧みられない、自然への敬意。
たとえ共通の脅威が迫っていたとしても、決して真には手を取り合うことのできないヒトのごう……。

あやかしという古来からある畏怖の対象は、秀にとって縋るべき原始の神々だった。
彼がもはや人間ではないモノに変じていたことは確かだけど、それでもヒトを含めたあらゆる命への愛惜の念は何より人間らしい思いだったと今理解した。

けれど。
けれど、わたしはただ、目の前の人の力になりたい!

「孫市さま!力を貸して!」

そう叫び、ほとんど無意識に秀の亡骸が右手に携えていた火縄銃を掴んだ。

縄の火は、まだ生きている。

火縄に息を吹きかけて火勢を強め、秀が腰に提げていた道具入れを手に取る。

〈よかろう。そなたの心根、しかと承知した。が、魂がまだ馴染んではおらぬ。わしができることには限りがあるぞ。――娘子、名を問おう〉
「あかり!雑賀、あかりです!」

あかり、その手前の包みを取れ!

心に直接響く孫市の声に従い、細長い小さな紙包みを摘み上げた。
初めて見るはずだけど、今のわたしにはこれらが何なのかはっきりとわかる。

包みの端を噛みちぎり、立てた銃口からその中身を注ぎ入れた。
"早合はやごう"――。
火薬と弾をひとつにまとめた、弾薬包だ。
そしてこれは、南無阿弥陀佛の六字が刻み込まれた"祈弾いのりだま"であることをわたしは知っている。

即座に銃身下から細長い槊杖さくじょうを抜き出し、銃口に挿し込んで弾と火薬を最奥部まで突き固めた。
火蓋を開けて少量の火薬を火皿に充填、再び閉じて火縄を火鋏ひばさみに取り付ける。

そしてわたしはもう一度火蓋を切り、その場で片膝立ちとなって銃を構えた。
銃把を握る右腕の肘は、弓を引くように後ろへ張り出す。

〈あかり、銃床をもっと頬に付けるのだ〉

孫市に従うと、さらにたいが締まって構えが安定した。
照準器である前目当さきめあてと元目当の位置を揃え、咆哮し続ける蹈鞴へと向ける。
狙うは、その一つ眼。

が、放物線を描く弾道、標的までの間合い、そしてこの銃の癖。これらを加味して照準を補正しなければならない。

〈あと、紙一枚ほど右上……そこだ〉

孫市の導きに従って狙いを定める。
息を吸って止めると、ぴたりと銃が静止した。

〈放て〉

引金を引く。
火縄が火皿に落ちる。
シュボッ、と火薬が燃え上がる。

これらが刹那のうちに連続し、轟音と硝煙をあげて祈弾が解き放たれた。
発射の凄まじい衝撃で後ろへ吹き飛ばされてしまったけれど、わたしの目は蹈鞴の急所を貫く一筋の軌道を、はっきりと捉えていた。
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