紀伊 零神宮のあやかし文化財レポート

三條すずしろ

文字の大きさ
上 下
58 / 72
第11章 岩橋千塚と常世の仙果。龍追う人と幻の南葵楽譜

常世の仙果

しおりを挟む
「うん」

ユラさんがほとんど無表情で応対している。

最近は仲良くなって徐々に笑顔も含めていろんな表情を見せてくれるようになったけど、はじめの頃のユラさんはたしかにこんな感じだった。

けれど皮肉なことに、そんな無表情を装ったときこそ彼女の冷たい美貌がもっとも引き立つように思ってしまうのだ。

「今日はあんたも初めて聞くはずのやつやるさかいな」
「うん」
「あやかし封じの音階は、耳のええ人にもちょっとしんどいかもしれへん。せやけどあんたには最後まで聞いてってほしなあ」
「うん」

うわあ。ユラさん最低限の返事しかしてない。
仁王立ちの琉璃さんとの間に見えない壁がせめぎ合ってるみたいで、なんかもういたたまれない。
けど、琉璃さんはふと視線をわたしの方へと移した。

「貴女はたしか新しいパトロールの……。雑賀さん、でしたか?」

ユラさんへの態度とは裏腹に、やさしげに声をかけてくれる。ひゃいっ、とヘンな返事をしたわたしに、

「若い人にはもしかしたら退屈かもしれへんけど、難しいこと抜きにして楽しんでくださいね」

そう言ってにこっと笑った顔は、思いのほか愛嬌を感じさせるかわいらしさだ。
なかなかキャラを掴みにくい不思議な人だけど、ステージへと向かう後ろ姿を見送りながらユラさんがふうっ、と息を吐いた。

「……ああ、こわかった…」

ぽそりと呟いた彼女にわたしはびっくりしてしまう。

「こわかった?…んですか?そりゃあちょっと迫力ある感じでしたけど、そんなに?」
「うーん…。実は子どもの頃から知ってるんやけど。ほら、私は剣術のお稽古ばっかりしてたけど琉璃さんはそれ以上の厳しさで音楽やってきたさかい。畏怖の念というかなんというか……」

ユラさんが畏怖の念を感じるくらいの鍛錬って、いったいどれほどの厳しさだったんだろう。
思わずごくりと唾を飲み込む自身の音が聞こえた。

けど、堂々として自信に満ち溢れたように見える琉璃さんの立ち居振る舞いは、そうした積み重ねによるものなのかもしれない。

観客席を見渡すと、やっぱりというか当然というか、結界守や特殊な文化遺産の関係者と思しき人ばかりだ。
さすがに一般の方を招いての音楽会というわけにはいかないのだろう。

ステージ上では次々と楽団員が席に着き銘々のパートを繰り返している。
わたしはコンサートが始まる直前の、この時間が好きだった。
いくつもの楽器がそれぞれの理論でバラバラに音を奏でる様子は混沌としていて、まるで多くの野生動物たちが暮らす熱帯雨林を思わせる。
けれど、指揮者がタクトを一振りすることでそれは秩序をもったひとつの生き物へと変貌するのだ。
そんなにたくさんクラシックを生で聴いたわけではないけど、わたしにはそれが神秘そのものだった。

と、ステージに裏三社の結界守、琉璃さんが現れた。どうやらこの人がコンサートミストレスを務めるみたいだ。
オーボエ奏者がラの音を発し、それに合わせた琉璃さんに従ってすべての楽器がチューニングを施してゆく。

手元のプログラムを見ると、第一曲は「序曲『徳川頼貞』」とある。
これは頼貞公のケンブリッジ大学留学時代の恩師、エドワード・ネイラー博士の手によるものだ。
東京麻生の旧徳川邸に、日本初の本格的コンサートホール「南葵楽堂」が開設された記念の曲だったという。

一際大きな拍手がわき起こり、目を上げると指揮者が入場してきたところだった。
わくわくと、胸の高まりが最高潮に達してゆく。

コンミスの琉璃さんと指揮者が握手を交わし、拍手がさらに大きさを増す。

それぞれの位置についた楽団員の間にピリッとした空気が張り詰め、着席した琉璃さんが指揮者に小さく頷いてみせた。

楽団に正対した指揮者がタクトを振り上げ、スンッという一瞬の呼吸音のあと両手を振り下ろした。

序曲・徳川頼貞――。

悠揚たる旋律が風土記の丘に響き渡り、ここではない遥か異国の旅路が心に浮かんでくる。
風格を感じさせつつも決して重くはない、気品と洒脱さを併せ持つゆったりとした曲だ。

奏でられるメロディに心地よく身をゆだねていたけれど、主題での不意の転調に意表をつかれてしまった。

なんて、楽しそうなの!

軽やかにスキップするかのような、小さな男の子が何か面白いものを見つけてキラキラと目を輝かせるかのような、なんともわくわくする旋律。

ああ、そうか。
これは大好きな音楽に日々胸を躍らせた、頼貞公の姿なんだ。

恩師のネイラー博士は、音楽に夢中な東洋の城主の末裔を、きっと温かな眼差しで微笑ましく見つめていたのだろう。

曲の背景も何もわからないけれど、わたしの心にはそんなイメージが後から後から湧き上がってきた。

演奏が終わったとき、ほぼ無意識に聴衆のほとんどが同時に立ち上がり、惜しみない拍手を送った。
指揮者の合図で楽団員たちが立ち上がり、一斉にお辞儀をする。拍手がさらに大きくなる。

去っていく楽団を名残惜しく見送ったわたしはプログラムに目を落とし、二部ではコンミスの琉璃さんが第1バイオリンでカルテットをやることを確かめる。

「さて、次からがあやかし封じの曲やね」

隣で発せられたユラさんの声に、一気に現実へと戻ってしまった。
すっかりコンサートを楽しんでいたけれどそうだった。これは音楽による地鎮の祭式でもあるのだった。

ふと見やると会場の周囲はいつの間にか、うつし世とかくり世のはざまを示す黒い膜で覆われている。
野外なのにずいぶんと音がよく反響すると思ったら、すでに結界の中にいたのだ。

「ユラさん、あの…今さらなんですけど。ここってそもそも何の鎮壇で、どんなあやかしから守ってるんでしたっけ?」

ほんとうに今さらな質問だったけど、ユラさんは怒るでもなく丁寧に説明してくれた。

いわく、この岩橋千塚古墳群にはかつて垂仁天皇の命により田道間守命たじまもりのみことが常世の国からもたらした不老不死の仙果、"非時香果ときじくのかぐのこのみ"が封印されているのだという。

これは今ではみかんの原種の"橘の実"とされており、和歌山県海南市には田道間守命を祀る橘本神社きつもとじんじゃがあり、菓子や柑橘の神として崇敬されている。

が、この古墳群は本物の非時香果ときじくのかぐのこのみを守っており、古来様々なあやかしがこれを狙って襲来してきたという。
さればこその厳重さで、三社と裏三社による強力な結界が張られてきたのだ。

「紀伊って全国的に見ても、すごく龍蛇の伝説が多いんよ」

続けてユラさんが、この仙果を求めて集まるあやかしのことを話してくれる。
それはまさしく、音楽をもって荒ぶる魂を鎮めることが最適と思わせるような物語だった。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?

シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。 クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。 貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ? 魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。 ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。 私の生活を邪魔をするなら潰すわよ? 1月5日 誤字脱字修正 54話 ★━戦闘シーンや猟奇的発言あり 流血シーンあり。 魔法・魔物あり。 ざぁま薄め。 恋愛要素あり。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

処理中です...