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第8章 消える伊都の梵鐘。最凶のあやかし"一ツ蹈鞴"の胎動
祈弾と狙撃僧兵
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その夜、辺りはものものしい空気に包まれていた。
オサカベさんが率いているのは特務文化遺産課の職員だそうだけど、その後ろには県警の交通課が大規模動員されている。
すでにいくつかのルートは路面整備を名目に封鎖されており、赤いパトランプがそこかしこで明滅している。
「釣鐘のようなものが飛び跳ねていた」
警察にもたらされた不可解な通報は一般署では一笑に付されたが、これを待っていたトクブンはすぐさま紀北地方の結界守を総動員した。
目撃地点は、いまわたしたちの目の前に延びている
京奈和自動車道高野口IC付近。
梵鐘が消えた相賀大神社からやや西、和歌山市寄りの場所だ。
京奈和道は文字通り京都・奈良・和歌山をつなぐ高速道路だが、紀北地域を横断する実に約30kmが封鎖された。
より大きく強い梵鐘を求めて移動する一ツ蹈鞴の習性を利用し、オサカベさんは周辺寺社の梵鐘に張った結界で、この長い一本道へと誘い込んだのだった。
京奈和道の約30kmにも予め結界を仕込んであり、各所に捕捉ポイントを設けて東西から徐々に追い詰めていくのがトクブンの立案した作戦だった。
そして、一ツ蹈鞴の誘導をより確実にするため、新たに鋳造したダミーの鐘を途中に吊り下げるという念の入れようだ。
「――このように、橋本ICを東限とした結界は裏高野の行人兵団さん。和歌山JCTを西限とした結界は、裏の日前・竈山・伊太祁曽の裏三社神人さん。これを両側から狭めていってもらいます。そして合計5ヶ所の中間捕捉ポイントには、裏根来の狙撃僧兵さんを配置してます。ほんまは裏雑賀の銃士隊にもお願いしたかったんやけど、先頃の和歌山城襲撃事件での混乱から回復してへん。そやから、今回は我々特務文化遺産課のメンバーがメインで、東西から同時に一ツ蹈鞴を追い上げていくさかい」
大勢のメンバーを前にきびきびと作戦説明をするオサカベさんは、まるで別人のようだ。
そして彼は、わたしの両肩に乗っているコロちゃんとマロくんを掌で示して皆に続けた。
「そのうえ、ゼロ神宮の護法さんにも合力して頂けることになりました。胡簶童子さん、鞠麿童子さん。初代由良様の、神話時代からの紀伊の守護神です」
集まった大勢の人々が、一斉に合掌した。
猫とカワウソ姿のままの2人も、わたしの肩の上で合掌して応える。
かわいいけれど、やはりものすごい精霊なのだ。この子たちは。
瀬乃神宮との盟約で、現在2人の童子はわたしを護衛するという任を帯びてしまった。
それ故に、戦いの場にはわたしを置いて赴くことができないのだそうだ。
裏天野へは修行のためであり、しかも強力なあやかし狩りの血を引く人々が守る里ということもあって例外としてわたしが彼らのもとを離れられたらしい。
また、無陣流の清月師範らとは別に裏天野の剣士たちが常に結界を巡回していたそうで、コロちゃんとマロくんいわく「紀伊でもっとも安全な場所」だという。
もっとも八百比丘尼のちとせさんのように、内側から人為的に怪異を発生させる場合も皆無ではないけれど、あれは六代目とユラさんの修行を完成させるためだったのだろう。
かくしてわたしは2大精霊の合力を願う媒体として、オサカベさんの車に同乗して一ツ蹈鞴を追跡することになったのだった。
ユラさんがいたら、ここには彼女が座っていたはずだ。
疾走するオサカベさんの車の助手席で、等間隔に流れ行く道路灯を眺めながらそう思っていた。
事件が起きてすぐ、特務文化遺産課はユラさんに連絡を試みたがとうとう繋がらなかったそうだ。
わたしも本人の連絡先は知らず、裏天野の清月師範に問い合わせると修行の仕上げのため山に入ったままなのだという。
ユラさんのことだからきっと大丈夫だろうけれど、こういう緊迫した事態で彼女の不在がなんとも心細い。
いつの間にか、ものすごく頼りにしてしまっていたのだ。
と、車中でもずっとわたしの肩に乗っているコロちゃんとマロくんが、フゥーッと毛を逆立てた。
「……鐘が無うなってるわ」
前方を見やると一台のクレーン車が路肩に止まっており、そのアームとフックは引きちぎられたように損傷している。
ここに、一ツ蹈鞴をおびき寄せるために仕掛けられたダミーの釣鐘がかけられていたのだという。
「先生、近いで。見つけたら教えてな!」
オサカベさんがそう声をかけた瞬間、はるか前方で黒い影が斜めに走った。
それは力強く伸縮しながら跳躍を繰り返し、ジグザグに道路を西へと向かっている。
「おった…!一ツ蹈鞴や!」
オサカベさんが叫び、コロちゃんとマロくんがシャァーッと唸った。
「目標視認。第1捕捉ポイント、捕獲網および狙撃準備」
無線機のようなものでオサカベさんが指示を出し、応答の声がスピーカーから流れてくる。
と、ずっと先の方でカッとフラッシュを焚いたかのような光が走り、直後に道の両側からいくつもの火炎が立って銃撃音が鳴り響いた。
思わず首をすくめたわたしの耳にスピーカーから、
「第1防衛線、突破された!」
「祈弾の効果不明」
「捕獲網、3重でも破られたで!」
等々続けざまに報告が聞こえてきた。
いや、報告というよりもむしろ現場の恐慌がそのまま伝わってくるようだ。
スピードを落とさずその地点を走り抜けた時、道路の両側に伏せる幾人もの僧たちが見えた。
いずれも長い銃を抱えており、彼らが裏根来の狙撃僧兵なのだろう。
「祈弾、っていうてね」
前を向いたまま、オサカベさんが教えてくれる。
「昔、猟師が山に入る際には、必ず"南無阿弥陀佛"って刻んだ弾をお守りに携えたらしんです。特別な祈りを込めた最後の一弾で、もちろん対あやかし用のもんや。せやけど、鐘を被った一ツ蹈鞴にはそれが効けへん。鐘自体の厚みもあるけど、神仏への祈りが込められた法具やさかい、そもそも祈弾の効果なんかあれへんのです。奴が梵鐘を好むのはそのためもある。一ツ蹈鞴を封じるためには、本体を攻撃さあなあきません」
オサカベさんは苦虫を噛みつぶしたような顔で、眉間に深い皺を寄せている。
そうだ。この人が受け継いだ"狩場刑部左衛門"は、かつて一ツ蹈鞴と死闘を繰り広げたのだ。
その戦いの記憶が、オサカベさんを苛んでいるのだろうか。
オサカベさんが率いているのは特務文化遺産課の職員だそうだけど、その後ろには県警の交通課が大規模動員されている。
すでにいくつかのルートは路面整備を名目に封鎖されており、赤いパトランプがそこかしこで明滅している。
「釣鐘のようなものが飛び跳ねていた」
警察にもたらされた不可解な通報は一般署では一笑に付されたが、これを待っていたトクブンはすぐさま紀北地方の結界守を総動員した。
目撃地点は、いまわたしたちの目の前に延びている
京奈和自動車道高野口IC付近。
梵鐘が消えた相賀大神社からやや西、和歌山市寄りの場所だ。
京奈和道は文字通り京都・奈良・和歌山をつなぐ高速道路だが、紀北地域を横断する実に約30kmが封鎖された。
より大きく強い梵鐘を求めて移動する一ツ蹈鞴の習性を利用し、オサカベさんは周辺寺社の梵鐘に張った結界で、この長い一本道へと誘い込んだのだった。
京奈和道の約30kmにも予め結界を仕込んであり、各所に捕捉ポイントを設けて東西から徐々に追い詰めていくのがトクブンの立案した作戦だった。
そして、一ツ蹈鞴の誘導をより確実にするため、新たに鋳造したダミーの鐘を途中に吊り下げるという念の入れようだ。
「――このように、橋本ICを東限とした結界は裏高野の行人兵団さん。和歌山JCTを西限とした結界は、裏の日前・竈山・伊太祁曽の裏三社神人さん。これを両側から狭めていってもらいます。そして合計5ヶ所の中間捕捉ポイントには、裏根来の狙撃僧兵さんを配置してます。ほんまは裏雑賀の銃士隊にもお願いしたかったんやけど、先頃の和歌山城襲撃事件での混乱から回復してへん。そやから、今回は我々特務文化遺産課のメンバーがメインで、東西から同時に一ツ蹈鞴を追い上げていくさかい」
大勢のメンバーを前にきびきびと作戦説明をするオサカベさんは、まるで別人のようだ。
そして彼は、わたしの両肩に乗っているコロちゃんとマロくんを掌で示して皆に続けた。
「そのうえ、ゼロ神宮の護法さんにも合力して頂けることになりました。胡簶童子さん、鞠麿童子さん。初代由良様の、神話時代からの紀伊の守護神です」
集まった大勢の人々が、一斉に合掌した。
猫とカワウソ姿のままの2人も、わたしの肩の上で合掌して応える。
かわいいけれど、やはりものすごい精霊なのだ。この子たちは。
瀬乃神宮との盟約で、現在2人の童子はわたしを護衛するという任を帯びてしまった。
それ故に、戦いの場にはわたしを置いて赴くことができないのだそうだ。
裏天野へは修行のためであり、しかも強力なあやかし狩りの血を引く人々が守る里ということもあって例外としてわたしが彼らのもとを離れられたらしい。
また、無陣流の清月師範らとは別に裏天野の剣士たちが常に結界を巡回していたそうで、コロちゃんとマロくんいわく「紀伊でもっとも安全な場所」だという。
もっとも八百比丘尼のちとせさんのように、内側から人為的に怪異を発生させる場合も皆無ではないけれど、あれは六代目とユラさんの修行を完成させるためだったのだろう。
かくしてわたしは2大精霊の合力を願う媒体として、オサカベさんの車に同乗して一ツ蹈鞴を追跡することになったのだった。
ユラさんがいたら、ここには彼女が座っていたはずだ。
疾走するオサカベさんの車の助手席で、等間隔に流れ行く道路灯を眺めながらそう思っていた。
事件が起きてすぐ、特務文化遺産課はユラさんに連絡を試みたがとうとう繋がらなかったそうだ。
わたしも本人の連絡先は知らず、裏天野の清月師範に問い合わせると修行の仕上げのため山に入ったままなのだという。
ユラさんのことだからきっと大丈夫だろうけれど、こういう緊迫した事態で彼女の不在がなんとも心細い。
いつの間にか、ものすごく頼りにしてしまっていたのだ。
と、車中でもずっとわたしの肩に乗っているコロちゃんとマロくんが、フゥーッと毛を逆立てた。
「……鐘が無うなってるわ」
前方を見やると一台のクレーン車が路肩に止まっており、そのアームとフックは引きちぎられたように損傷している。
ここに、一ツ蹈鞴をおびき寄せるために仕掛けられたダミーの釣鐘がかけられていたのだという。
「先生、近いで。見つけたら教えてな!」
オサカベさんがそう声をかけた瞬間、はるか前方で黒い影が斜めに走った。
それは力強く伸縮しながら跳躍を繰り返し、ジグザグに道路を西へと向かっている。
「おった…!一ツ蹈鞴や!」
オサカベさんが叫び、コロちゃんとマロくんがシャァーッと唸った。
「目標視認。第1捕捉ポイント、捕獲網および狙撃準備」
無線機のようなものでオサカベさんが指示を出し、応答の声がスピーカーから流れてくる。
と、ずっと先の方でカッとフラッシュを焚いたかのような光が走り、直後に道の両側からいくつもの火炎が立って銃撃音が鳴り響いた。
思わず首をすくめたわたしの耳にスピーカーから、
「第1防衛線、突破された!」
「祈弾の効果不明」
「捕獲網、3重でも破られたで!」
等々続けざまに報告が聞こえてきた。
いや、報告というよりもむしろ現場の恐慌がそのまま伝わってくるようだ。
スピードを落とさずその地点を走り抜けた時、道路の両側に伏せる幾人もの僧たちが見えた。
いずれも長い銃を抱えており、彼らが裏根来の狙撃僧兵なのだろう。
「祈弾、っていうてね」
前を向いたまま、オサカベさんが教えてくれる。
「昔、猟師が山に入る際には、必ず"南無阿弥陀佛"って刻んだ弾をお守りに携えたらしんです。特別な祈りを込めた最後の一弾で、もちろん対あやかし用のもんや。せやけど、鐘を被った一ツ蹈鞴にはそれが効けへん。鐘自体の厚みもあるけど、神仏への祈りが込められた法具やさかい、そもそも祈弾の効果なんかあれへんのです。奴が梵鐘を好むのはそのためもある。一ツ蹈鞴を封じるためには、本体を攻撃さあなあきません」
オサカベさんは苦虫を噛みつぶしたような顔で、眉間に深い皺を寄せている。
そうだ。この人が受け継いだ"狩場刑部左衛門"は、かつて一ツ蹈鞴と死闘を繰り広げたのだ。
その戦いの記憶が、オサカベさんを苛んでいるのだろうか。
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