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第6章 丹生都姫と八百比丘尼、裏天野の無陣流剣術

五行相剋

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清苑さんの説明によると、無陣流の剣術は"五行"になぞらえて構成されているそうだ。

五行とは東洋思想が示す世界を形作るもので、もくごんすいの5つのエレメントを指している。

これらには循環して互いによい作用をもたらす相生そうしょうと、反発して害し合う相剋そうこくという組み合わせがあるという。
すなわち、

水が火を消す"水剋火すいこくか"。
火が金属を熔かす"火剋金かこくごん"。
金属が刃となって木を傷つける"金剋木ごんこくもく"。
木が土から養分を吸い取る"木剋土もっこくど"。
土が水の流れを堰き止める"土剋水どこくすい"。

この5つを"五行相剋"といい、無陣流の剣は「相剋の太刀」と総称されているのだ。

五行は剣の構えにもその属性が当てはめられ、これは現代剣道でも五行の構えと呼ばれて形の中に息づいているという。

中段は"水の構え"。偏りなく自在な攻防を行なう。
上段は"火の構え"。攻撃に全霊をかけ激しい気迫を込める。
下段は"土の構え"。盤石な大地のように、間合いに寄せない固い防御を誇る。
肩に担ぐような八相は"木の構え"。大樹がそびえるように悠々と、状況に応じて変化する。
右後ろに切っ先を向ける脇構えは"金の構え"。体に刀身が隠れているが、そのまま斬り上げることもできる攻撃性を秘める。

これらが五行の構えの特色だ。
無陣流では水剋火・火剋金・金剋木・木剋土・土剋水の太刀があり、それぞれに3本ずつの技が備わっている。

ユラさんと清苑さんが打っていた形は、基本に位置づけられる"水剋火の太刀"だった。
そしてその一本目である"水分みくまり"は、すべての技の原点となる重要な剣なのだという。

「せやから、雑賀さんにはこれをやってもらいます」

清苑さんがにこりともせずそう言って、一振りの木刀を取り出した。
ものすごく刃が薄くできていて、それにとても短い。
ユラさんたちが振るっていたものの半分くらいで、あのとき六代目が使った小太刀にあたるものだろうか。

「俺が子供の頃、入門したときに使ってたやつや」

ぽそりと呟いて右手に構えると、そのまま片手で振り上げ、そして振り下ろした。

ボッ、と空気を割く太刀鳴り。
こんな短いものでも清苑さんが振るうと、紛うことなき武器としての存在感を放つのだった。

柄を握る手の内は、小指を締めてあとは徐々に緩める。
拳はグーの形で握り込んではいけない。

ただそれだけを注意して、後は「真っ直ぐ上げて真っ直ぐ振り下ろす」ことだけ続けるように言われた。

簡単そうな動作だけど、やってみるとまったく真っ直ぐにはならずふらふらとした軌道が自分でもよくわかる。

「真っ直ぐ振るんは、諸手の大太刀より片手の小太刀のほうが難しい。俺はもう四半世紀もこんなことばっかりやってるけど、それでもこの程度やって歯痒く思てる。あんたがそれなりの覚悟でここまで来たんはわかるけど、少々のことではすぐに技なんて身につけへん。まして7日でできることら、しれちゃある。そやから、もし気持ちがあれば里に下りてからも毎日鍛錬してください。それと、このことで姉さ……由良さんの力になろうとは思わんほうがええ。剣を振り下ろすという選択肢を得たこと、今までゼロやったんが0.01になること、そう心得たってください」

清苑さんがこれだけたくさん喋ってくれたのは、これが最初で最後のことだった。

「こっちの道場は、24時間いつでも好きなように使ったってください」

そう言ってわたしにあてがってくれたのは、丹生都比売神社境内の林にある小さな神楽殿のような場所だった。

ユラさんたちが稽古しているのはここから東側、里の端にあたる上天野という地の山中だ。
清月師範も清苑さんも、ふだんは普通に仕事をしている。
師範は柿農家で、清苑さんは役所務めなのだそうだ。

ユラさんが日中にどんな訓練をしているのかわからないけれど、夜になると一日の仕上げとして相剋の太刀を演武するのだった。

その時だけはわたしも同席させてもらって技を拝見するのだけど、部外者が見てもいいものか逡巡していたところ、

「無陣流に秘密らないよ。見たかてそないにでけるもんでもなし。楽にして見ちゃり」

と清月師範は笑った。

わたしがあてがってもらった丹生都比売神社境内の小道場は、かつては武者修行の武芸者や無陣流の内弟子が逗留した場所なのだという。
清月師範の、ころころとかわいらしい奥さんが寝床と食事の気遣いをしてくれたけど丁重に固辞して、持参した寝袋と山食で半分キャンプみたいな生活を送ることにした。

さすがにそこまで甘えるわけにはいかないという、わたしの気持ちを十分に尊重してくれたご夫妻は、

「それでもふらふらしとったら、何ぞ食べさすさかいよ」

と、あくまでもやさしい。
実は日中は柿畑の作業を手伝う気でいたのだけれど、ここにきてほどなく雨が降り出してしまった。
予報では1週間ずっと傘マークが並び、

「こりゃ儂にも稽古に集中せえって、龍神さんのお告げかな」

と清月師範は屈託ない。
わたしは社叢のなか、黙々と木刀を振り続けた。

清苑さんは時々音もなく現れて、二言三言短いアドバイスをくれた。

力を抜け。
でも、対象に当たる瞬間は手の内を締めろ。
左手は腰に添えて安定させろ。

ただ振り上げて振り下ろすというだけの単純な動作で、運動らしい運動ともいえないはずだった。
けれど、軽く感じた木刀はいつしか重みを増し、それを握る手や上下させる腕ばかりでなく、身体のあちこちが連動するように痛みだした。

でも、なんにも考えずにひたすら木刀を振ることに集中するのは、わたしには思いがけず心地よい時間だった。

これまで、ぐるぐると心の中を色んな思いが渦巻いていたのだ。

突如としてあやかしたちと関わらざるを得なくなったこと、ユラさんやみんなに守られてばかりいること、そして、先日の和歌山城襲撃のこと。

わたしは非日常のあのごく僅かな時間のなかで、間違いなく"鈴木しゅう"と名乗った青年に惹かれていた。

が、彼こそが結界を弱めてあやかしの侵入を手引した張本人であり、"一ツ蹈鞴講ひとつだたらこう"と言ったことから、そうした信念のもとに活動する組織が黒幕であることを示唆していた。

このどうしようもない心のわだかまりを、ただ木刀を振るだけの動作と身体の痛みが少しずつ癒やしてくれるような気がしていた。

腕がもう上がらなくなると、わたしは雨の天野の里を歩き回った。

整然と早苗の並ぶ水田に、雨滴が限りなく波紋を落す光景。
清浄な白霧がとめどなく樹々から立ち上る光景。

それらすべてが沁み入るように美しく、「高天原」というたとえは誇張ではないと思ってしまう。

そしてそんなある時、わたしは丹生都比売神社の太鼓橋の上で、不思議な女性と出会ったのだった。
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