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第5章 和歌山城の凶妖たちと、特務文化遺産審議会

急襲、一ツ蹈鞴講

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「まさか…!」
「んなアホなことあるかい!」

口々に叫びながら駆け寄っていく結界守たち。
まさか、まさか、と騒然として黒霧の下に目を凝らしだしたその時。

ズボッ、ズボッと霧を突き破るようにして、おそろしく長いなにかが何本も立ち上がってきた。
信じられないことに、その先端は会場へと案内していたグレースーツの女性たちの姿をしている。
しかし口元は耳まで裂けて鋭い牙をさらしており、あろうことか、下半身は長く長く伸び上がって揺らめいている。

高女たかおんな……!?」

ユラさんが呻いた。
その名前、和歌山市域の民話で読んだことがある。
たしか、かつてこの地域の遊郭に出没したというあやかしだ。
嫉妬に狂う女の姿をしており、下半身を長く伸ばして上階の思い人に恐怖を与えるのだという――。

「もう絶滅したとでも?会場で目にしても、わかりませんでしたものねえ」

笑いながら姿を現したのは、落下していったはずのシュウさんだった。
数体の高女が差し出した腕の上に立ち、天守の高欄より高い位置からこちらを睥睨している。

ふと気付くと、天守の周囲はさらに何体もの高女が取り囲んでおり、しかも階下の方からはチチチチチチッとおびただしい数の生き物が這い上がってくる音が聞こえる。
野衾の群れが、天守へと殺到しているのだ。

「…ふん、せやからなんやいうんじゃ。我ら一同相手にしてこの程度で勝てる思うとは、えろう舐められたもんやな」

龍厳和尚が吐き捨てるように言い、眼前で数珠を構えた。ユラさんや他の結界守たちも各々の法具を手に、すでに臨戦態勢を整えている。

「その点はもちろん、侮ってなどいませんとも。……ですので、全力でいきますよ――」

高女たちの腕に抱かれたシュウさんはそう言うと、胸の前で印を組んだ。

「当代"重秀しげひで"の名において請い願う。火炮のみ技、我に貸し与えたもう。――"雑賀孫市さいかまごいち"公っ!!」

次の瞬間、シュウさんはジャケットの脇から取り出した拳銃を両手に構え、猛禽を思わせる鋭い眼光でわたしたちへと銃口を向けた。

〈各々方、相済まぬ!伏せてたもれ!〉

ガンガンガンガン!と凄まじい発砲音が鳴り響き、天守周囲のガラスが次々に砕け散っていく。
皆咄嗟に伏せて、ユラさんとコロちゃんマロくんがわたしに覆いかぶさって守ってくれた。

銃撃が止むと、シュウさんの口から先ほどの声の主が苦しげに呻いた。

〈……約により、この若造に合力せねばならぬようじゃ…。各々方、はよう止められよ……次は…外さぬ……〉

そこまで警告するとシュウさんの目はふっとやわらぎ、さっきまでの彼に戻ったかのような表情となった。

「やれやれ、どちらの味方なのだか。しかし、はは。さすがは戦国一のガンナー、雑賀孫市公。初めて使う銃器でこれだものな」

ガシャン、と空になった弾倉を落としながら、シュウさんが楽しそうに言い放つ。
そして、彼を中心に高女たちがうねうねと集まり、さらに上空へと押し上げていった。

「まだ遊びたいのはやまやまですが、僕も試運転ですのでね。そろそろおいとましますよ。ちょっと面白い趣向を用意しておきましたが、まあ皆さんなら何とかされるでしょう」

そう言い放つと、黒い膜のような空に結界の裂け目が浮び上がり、シュウさんを抱いた高女たちがそこへと吸い込まれていく。

「紀伊の結界守たちよ。今一度、何を守るべき結界なのか汝らに問う。我らは"一ツ蹈鞴講ひとつだたらこう"。世のあるべき姿について、そのうち話し合える日を楽しみにしておりますよ」

その声だけを残して裂け目の向こうへと姿が隠れ、同時に天守の四方からシューッ、と火花の散るような音が聞こえてきた。

「導火線や!」

誰かが叫び、ものが焦げるようなきな臭いにおいが充満してくる。
そして、階段のすぐ下からは、野衾たちの迫りくる音が。

「……爆薬か」
「おそらくな」

龍厳和尚と誰かが話す声が聞こえる。
爆薬……?爆破される?……この天守が……?

「みんな!でけるだけ団子に固まって!しっかり頭押さえとりや!」

頼江課長が叫び、反射的に皆それに従ってぎゅっと身を寄せ合った。

「あと3…2…1……来たっ!」

その瞬間、天守の外に巨大な影が浮き上がり、とんでもなく大きな黒い翼をバサリと羽ばたかせた。

その姿はまるで山伏であるかのようだが、顔には烏のそれを思わせるようなクチバシが備わっている。

虎伏山虎伏坊とらふすやまこふくぼうよ!我らを助けて結界の外へ!」

頼江課長の声に間髪入れず応じた偉大な烏天狗は、その掌にわたしたち全員をひと掴みにした。
そのままどんっと翼を一振りした刹那、高々と上空へ急上昇していった。

その直後、はるか眼下では和歌山城の天守が爆炎に包まれ、遅れて熱風があとを追ってくる。

ぐんぐんと上昇を続けて加速する翼はやがてあわいの膜を突き破り、青い青い清浄な天球へとわたしたちを運んだのだった――。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「あかり先生。よかったら今夜、ちょっとだけ飲もらよ」

珍しくユラさんからのお誘いを受けて、わたしは夜の瀬乃神宮へと赴き、bar暦のドアを押した。

「いらっしゃいませ」

白いシャツにネクタイ、ウエストコートという伝統的なバーテンダーの衣装。
長い黒髪はきっちりとアップにまとめて、左の前髪がサイドへと流されている。

「今日は貸し切り。お店はお仕舞いや」

ユラさんはそう言うと外のプレートをCLOSEへと裏返し、店名のネオンサインも消灯した。

和歌山城襲撃から全員が無事に生還した後、対策に追われたトクブンと結界守たちの間では、まだ正式な対応は打ち出されていない。

けれど、あれからユラさんは何か思い詰めたような様子で、静かになんらかの決心へと自らを高めていっているようだった。

「さあ、今夜は飲み放題。好きなもん注文して」

手作りだというベーコンや、サンドイッチなどの軽食も用意して、目の前で次々にいろんなお酒を調えてくれる。
ゼロ神宮にお供えされるお神酒を使って、先代が日本酒ベースのカクテルを出したのがこのお店の始まりなのだという。

ユラさんが何を思って今夜誘ってくれたのか、わたしは十分に理解していた。
だから彼女が機をみてわたしに、あやかし文化財パトロールを辞めてほしいと言っても全然驚かなかった。

引き続き二人の護法童子には護衛を頼むから、やはりもうこれ以上は危険な目に遭わせられないというのが理由だった。
これまでなら十分にあやかしの脅威から遠ざけられたはずだけど、現在の異常事態ではその安全を保証できないという。

そしてユラさんは、最後にこう言った。

「"私自身"が強ならな、この先は戦っていかれへん。せやから……店は畳んで、修行の仕上げを受けてこよ思うんよ。……故郷の、"裏天野うらあまの"で――」
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