紀伊 零神宮のあやかし文化財レポート

三條すずしろ

文字の大きさ
上 下
26 / 72
第5章 和歌山城の凶妖たちと、特務文化遺産審議会

結界破りの正体

しおりを挟む
真っ暗闇と思ったのは一瞬で、壁沿いに小さな非常灯のようなものが点々とともっている。
その周囲だけは頼りない光にぽうっと照らされており、わたしたちが寄り添うすぐ近くにも点灯している。

いくつにも区切られたであろう広間のほうぼうからは、悲鳴に混じって何かたくさんの生き物が走り回るような音が聞こえてくる。

ユラさん、コロちゃんマロくんは無事だろうか。
あの3人なら滅多ことなんてないだろうけど……ともかくも、明かりを――。

わたしがライトを点けようとスマホを取り出したとき、その震える手を鈴木さんが掴んで押し留めた。

「雑賀さん、待って。光はだめだ」

彼はそう言うと、非常灯の脇に設置された懐中電灯にそっと手を伸ばした。
視界の端で、何か小型犬くらいの大きさの生き物が、何匹も素早く動き回っているのがわかった。

鈴木さんが懐中電灯のスイッチを入れると同時に、それを部屋の隅に向けて放り投げた。
間髪入れず、ざざざざあっ、と無数の生物がその光に向けて群がってゆく。

浮かび上がったのは、ムササビを一回り大きくしたかのような奇怪な動物たち。
牙を立てて、懐中電灯が放つ光に食いつこうとしている。

「さあ!今のうちに!」

鈴木さんに手を引かれるまま、わたしたちは駆け出した。手近の扉を開けて外へ飛び出し、しっかりと閉め直す。
そこはどういうわけか、最初に天守曲輪へ入ったときに見た渡り廊下状の櫓のひとつのようだった。

「はあっ、はあっ……鈴木さん、いまのは……」

呼吸を整えながらわたしは尋ねた。
即座に対策を立てて部屋から脱出したため、あの奇怪な生き物のことを彼は知っているようだったから。

「あれは、"野衾のぶすま"といいます。夜に人を襲って提灯の火を食い、生き血を吸うあやかし。かつては和歌山城の森にたくさんいたと聞いています」

火を食う、あやかし――。
そして生き血を吸うだなんて、他のみんなは無事なのだろうか。

「とはいえ、個体としての力はさほどではありません。紀伊の結界守があれだけいるんですから、おそらく皆さん大事ないでしょう」

わたしの心配を見越したように鈴木さんがそう言い、にこっと微笑んだ。
この人が笑うと安心するような、その反面でなぜかどうしようもなくもの悲しくなるような、不思議な思いに包まれてしまう。

「鈴木さん、あの……」
しゅう、でいいですよ。とりあえず、天守の上から結界の様子を確認しましょう。お話は移動しながら」

彼の申し出通りに"シュウさん"と呼ぶことにして、天守へと向かいながら状況を整理する。

さっきまでわたしたちがいた広間が"あわい"であったように、今見ている景色も現実の和歌山城とは異なるものだ。
それは、うつし世とかくり世の境界にある世界。

その証拠に、外の周囲はぐるりと黒い膜のようなもので覆われており、あの時の陵山古墳や南紀重國を祀る屋敷とまったく同じだ。

ここの結界全体を上から見渡せるよう、大天守から確認することが必要だという。
他の結界守たちもおそらくそうするだろうとのことなので、集合ポイントとしても妥当な場所だ。

わたしはシュウさんについてひたひたと櫓の渡り廊下を進み、小天守のフロアから大天守へ、そしてその上へと至る階段にそろりと足をかけた。

和歌山城はその構造物のほとんどが第二次大戦時の空襲で焼失しており、現在の建物は1958年に外観復元されたものという。

3層3階の内部は資料館になっており、紀州藩ゆかりの武具類や古文書などが展示されている。

"あわい"となって不気味な気配の漂う各階を息を殺して抜け、慎重に階段を上っていく。
と、最上階のあたりからかすかな人声がしているようだ。

「みんな!よかった……」

最後の階段を上り切る前に、そこに結界守たちが集まっているのが見え、わたしはユラさんとコロちゃんマロくんのもとへと駆け寄った。
広間から脱出したのはついさっきのように感じられるので、てっきりわたしたちが一番乗りかと思っていたがどうやら最後のようだ。

「あかり先生、怪我しとれへん?」
「こわい思いしたよねえ」
「もう大丈夫だからね」

かわるがわる心配してもらって泣きそうになるが、そうだ、ここまで連れてきてくれたシュウさんにお礼を言わなきゃ。
けど、その直前にあの龍厳和尚わじょうが口を開いた。

「みんな、無事でおるな。しかしこれではっきりしたわい。やはり結界を破り、あやかしの侵入を手引しとる者がおる。――この中に」

和尚の宣言と同時に、結界守たちが手にした檜扇や独鈷杵、あるいは数珠などの法具をジャキッと構えた。

半円形に包囲されたその中心には、一人佇むシュウさんの姿があった。

「え……?何、なんの……」

混乱するわたしの思いとはよそに、囲まれたシュウさんは素早く天守の廻り縁へと躍り出た。
しかし、外にはオサカベさんと頼江課長が待機しており、拳銃のようなものを向けて両側から挟み撃ちにしている。

「動きぃな。じっとしとりよ。ぼくかって撃ちたないさかい」

冷徹な声で、オサカベさんがシュウさんを牽制する。
だがシュウさんはそれを振り切るように高欄に足を掛け、黒い霧のようなものが立つ大屋根へと飛び下りる姿勢をみせた。
が、その機先を制して頼江課長がシュウさんの手元の高欄目掛けて発砲し、チュインッと跳弾する音が響いた。

「ッダラァ!っんま、このガキャ!!じっとせえ言うとらして!!」

人が変わったかのような頼江課長の剣幕に、シュウさんはふっと表情を緩めると両手を顔の横にあげ、降参のポーズを示した。

「えっ……、ちょ…待っ……」

事態を飲み込めず、ふらりとそちらに足を踏み出そうとするわたしを、ユラさんとコロちゃんマロくんが押し留めた。
ユラさんを見ると無念そうに、静かに顔を左右に振った。

「ふふ。精鋭と言われた紀伊の結界守も、簡単に本拠を落とされましたね。しかも"野衾のぶすま"なんて下級あやかしが出たくらいで。ふふ、ははは」

目の前で笑うシュウさんを、わたしは信じられない思いで呆然と見るばかりだ。

結界を破った――?
あやかしの侵入を手引き――?

何を…何を言っているの?

「鈴木秀。裏雑賀の代理に成りすまして、当城を襲撃した容疑で身柄を拘束させてもらうで。おまはんの処分は、特殊文化遺産保護法および関連条例に準じて決められる」

頼江課長が銃の狙いをつけたまま、淡々と申し伝える。
が、シュウさんはさらにもう一段高欄を上った。

「正気かワレェ!!あわいに落ちて自決するつもりなんか!!」

龍厳和尚が、慌てたように一喝して詰め寄った。

「……だからあなた方では、役不足だっていうんだよ」

シュウさんは嘲るようにそう言うと、仰向けになって高欄からその身を滑り落とした。
皆があっという間もなく、立ち込めた黒い霧の彼方へと落下していく。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?

シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。 クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。 貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ? 魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。 ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。 私の生活を邪魔をするなら潰すわよ? 1月5日 誤字脱字修正 54話 ★━戦闘シーンや猟奇的発言あり 流血シーンあり。 魔法・魔物あり。 ざぁま薄め。 恋愛要素あり。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

どうも、死んだはずの悪役令嬢です。

西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。 皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。 アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。 「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」 こっそり呟いた瞬間、 《願いを聞き届けてあげるよ!》 何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。 「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」 義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。 今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで… ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。 はたしてアシュレイは元に戻れるのか? 剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。 ざまあが書きたかった。それだけです。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

処理中です...