上 下
20 / 72
第4章 空海の大蛇封じと、裏高野の七口結界

白い狗と黒い狗

しおりを挟む
と、濃霧を割って飛び込んできたのは、白と黒の2匹の犬だった。
一瞬悲鳴をあげてしまったけれど、2匹ともぶんぶんと尻尾を振ってわたしの周りを嬉しそうに回り、くんくんとかわいらしく鳴いている。

「わあ……」

思わず差しのべたわたしの手に2匹ともがすり寄り、とても愛くるしい。
首輪はしていないけれど、こんなに人懐っこいので誰かの飼い犬に違いない。

すると2匹が、わたしのポンチョの裾をくわえて引っ張った。
まるで"こっちだよ"と導くような様子で、思わず立ち上がって引かれるままに一歩を踏み出した。

その時、一瞬薄くなった霧の向こう側に人影が見えた。
笠をかぶり、渋みがかった法衣をまとって長い錫杖を手にしている。
山上ですれ違った修行僧だろうか。

わんこたちはわたしをそちらへと誘導しているようで、僧はそれを確かめると踵を返し、錫杖をしゃりんしゃりんと鳴らしながら先導していく。

わたしは、無我夢中で僧とわんこたちの後を追った。
僧は信じられないほど足が早く、頻繁に見失いそうになったけれどその度に歩を止めて待ってくれていた。

すぐ目の前では2匹のわんこが振り返り振り返り、わたしが付いてきているのを確かめているかのようだ。

急な坂を一息に登りきったところで、ふいに平坦なところに出てきた。
息も絶え絶えになってふと顔を上げると、目の前にお寺の山門が浮かび上がり、霧の切れ間に「龍仙寺」の文字が読みとれた。

いつのまにか僧とわんこたちの姿は見えなくなっており、遠くのほうでしゃりんと錫杖の音が立ち、次いで「わん」と2匹が重ねて鳴く声が聞こえた。

すると門の内から、

「先生!」
「あかりん!」

と、口々に叫びながら人が走り出てきた。
ああ、ユラさん。コロちゃんにマロくん。
よかった。お坊さんとわんちゃんたちがここまで連れてきてくれたのだわ。

そう思った途端にすっかり安心してしまい、わたしは気が遠くなっていった。


「――それで、白と黒の2匹のわんちゃんと、修行僧みたいな人がここまで導いてくれたんです」

龍仙寺で手当てを受けてすっかり身体が温まったわたしは、事の次第をみんなに話していた。
ユラさんたちからはぐれてしまったあの時、みんなにもわたしが突然消えてしまったように見えたのだという。
結界の弱体化は龍仙寺までのルートを撹乱し、わたしは運悪くそのはざまに囚われてしまったとのことだ。

「護法童子たる僕らの目の前であかりんを攫うとは」
「ええ、舐めた真似してくれるわね」

マロくんとコロちゃんが、静かにものすごく怒っている。

「そやけどとにかく、無事でよかったわ…」

ユラさんが憔悴した様子で何度もそう繰り返す。

「しかし2匹の犬と修行僧て、まるでお大師さんですな」

濃い眉にぎょろりとした目の、屈強そうなお坊さんがちょっと嬉しそうな声を出す。
こちらは龍仙寺の新住職・龍海さんで、凍えて辿り着いたわたしを懸命に手当てしてくれた人だ。

bar暦で岩代先生は"頼んない"と言っていたけれど、堂々たる佇まいと風格のあるお坊さんだ。

龍海さんのいう"お大師さん"とは、このあたりで空海を指す愛称のようなものらしい。
空海は高野山を開く際、地場の"狩場明神"とその使いである白黒2匹の犬が山へと導いた伝説があるのだという。

たしかに、さっきの出来事はまるでその時の空海と神使のわんこたちが助けてくれたみたいに感じる。

「でもまさか、裏高野の結界がこないに弱ってるとは予想外でした」

ユラさんが深刻な顔でつぶやく。

「まったく僕の力不足です……。先代の頃から徐々に結界が侵食されてたんやけど、ここにきて急激に綻んでしもたんです。"何か"が意図的に結界を破りに来てるとしか思われへん…。せやけど、護法さんと瀬乃神宮さんが来てくれはったら千人力や。すんませんけど、どうかあんじょうお頼みします」

いかつい風貌の龍海さんが深々と頭を下げ、ユラさん・コロちゃん・マロくんの3人は揃って「受けたもう!」と応えた。

龍海さんのお話によると、高野山ほどの霊場でも大昔からあやかしに狙われてきた歴史があるのだそうだ。
そのうち、もっともよく知られているのは「大蛇おろち」のあやかしだ。
空海の入山を妨げた大蛇、そして御廟までの参道に潜み、参詣者を捕食したという毒大蛇……。

実は信仰上、空海は寂滅していないとされている。
奥の院の最深部にある御廟で生身のまま禅定を続けており、そのため今も僧たちは空海のための食事を運び続けているのだという。

伝説によると現在も奥の院に祀られる「数取地蔵」は、参詣する人の行き帰りの数をずっと確認していた。
しかしどう数えても、行きより帰ってくる人の方が少ない。
それは参道の途中、二の谷という場所に潜む毒大蛇の仕業で、数取地蔵は急ぎその旨を御廟で禅定中の空海に知らせた。

自らそれを救済すべく復活した空海は、竹箒を用いて大蛇を滝に封印。
しかし箒には怨念が宿り、空海は「いつかまた竹箒を使う時代がくれば封を解こう」と大蛇に約すことで呪縛を施した。

「そやから、今でも高野山とその周りでは、竹の箒は使わんようにしてるんですわ」

龍海さんがそう締めくくり、わたしは初めて生で聞く空海の伝説にすっかり圧倒されてしまった。
しかし、アンタッチャブルだとばかり思っていた高野山が、そんなにあやかしの脅威に晒されているなんて思いもよらなかった。

わたしがさらに質問しようとして「あの…」と口を開きかけたその時。

ズンッ、と地鳴りのような音が聞こえ、お寺全体が小刻みに揺れた。
次いでゴゴゴゴッ、と土砂でも崩れたかのような音が響き、再びズンッと地が震えた。

「いかん!もう来やったかっ!!」

龍海さんが叫ぶと同時に、ユラさんがバックパックを開いて緋袴の装束を翻した。
コロちゃんとマロくんは瞬時にその姿を変じ、兜巾に結袈裟、錫杖を手にした山伏の装束となった。

法衣の上から同じく結袈裟などをかけて修験者の姿となった龍海さんは、わたしに輪袈裟をかけて数珠を持たせた。

「雑賀先生、一人でここには置いとけれへん!少々危険でも、護法さんらに守ってもらったしか安心や。修法が始まったら、一心に"鎮まれ"って念じとってください!」

「あかりん、今度はぜったいに!」
「見失わないから!」

「先生は護法さんの後ろを離れんといてな!私と龍海さんがメインで止める!」

瞬時に戦闘態勢を整えた全員が、手に手に法具を携えて寺を飛び出し、音のした方へと急行した。

わたしはよくわからないまま、一生懸命コロちゃんとマロくんの後を追うのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

七日目のはるか

藤谷 郁
SF
女子大に通う春花は、純情硬派なイケメン女子。 ある日、友人の夕子(リケジョ)が【一週間だけ男になる薬】という怪しい錠剤を持ってきた。 臨床試験を即座に断る春花だが、夕子の師である真崎教授の「ただのビタミン剤ですよ」という言葉を信じ、うっかり飲んでしまう。 翌朝、パニックに陥る春花に、真崎は思いも寄らぬ提案をしてきて…… (2023/11/15 最終話を改稿しました)

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

とある騎士の遠い記憶

春華(syunka)
ファンタジー
物語の舞台は中世ヨーロッパ、誰もが己の選んだ道を歩む事ができなかったとある騎士の時代。 とある国に伝説の騎士『青き血が流れるコマンドール』の再来と恐れられた騎士がいた。 語りの「私」は子どもの頃からよく見る夢に悩まされていた。ある時、参加した異業種交流会で前世で再会を約束したという「彼女」と出会う。「彼女」は私の見る「夢」は「前世で感情を強く残した記憶」でその感情を「浄化」する必要があると告げる。 その日から「夢」と「現実」が交差をはじめ、「私」は「伝説の騎士」と謳われた前世の記憶の世界に飛ばされていき・・・・『第1章~前世の記憶の入り口~西の砦の攻防とサファイヤの剣の継承』 語りの「私」は右腕の痛みが引かない日々を送っていた。「彼女」に相談すると前世の記憶を浄化できる霊視コンサルを紹介される。 コンサルから聴かされたのは「前世と今世は残された感情の強弱でリンクする現象が起きる」こと、浄化をするには悔恨となっている感情自体を思い出す必要があることだった。「私」は伝説の騎士セルジオの生涯を辿る「記憶の探求」することした。 霊視コンサルの導きで前世の世界に飛んだ「私」が目にしたのは、生まれて間もなく移された騎士養成訓練施設での想像を絶する|インシデント《出来事》で・・・・暗殺、古の魔女の陰謀、実父の殺意・・・・伝説の騎士の過酷な生い立ちだった。・・・・『第2章~生い立ち編~訓練施設インシデント』『第3章~生い立ち編2~見聞の旅路』

ズボラ通販生活

ice
ファンタジー
西野桃(にしのもも)35歳の独身、オタクが神様のミスで異世界へ!貪欲に通販スキル、時間停止アイテムボックス容量無限、結界魔法…さらには、お金まで貰う。商人無双や!とか言いつつ、楽に、ゆるーく、商売をしていく。淋しい独身者、旦那という名の奴隷まで?!ズボラなオバサンが異世界に転移して好き勝手生活する!

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

いや、あんたらアホでしょ

青太郎
恋愛
約束は3年。 3年経ったら離縁する手筈だったのに… 彼らはそれを忘れてしまったのだろうか。 全7話程の短編です。

処理中です...