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第4章 空海の大蛇封じと、裏高野の七口結界
黒河道の結界
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「コロちゃんとマロくんはもしかして……クーカイさんに会ったことがあるの?」
おそるおそるわたしが聞くと、二人はこともなげにこう答えた。
「彼が若い頃に何回かねえ」
「ええ。めちゃくちゃ足の早い人だったわ」
いまさらだけど、わたしは改めて驚いた。
歴史上の有名人の思い出話を聞くのもそうだけど、空海の生まれはたしか奈良時代の終わり頃だ。
そんな時代からの記憶があるコロちゃんとマロくんは、やはり千年を超える時を過ごしてきたのだ。
「ね、ねえねえ!空海さんって、どんな人だったの……?」
興味津々で食いつくわたしに二人は顔を見合わせ、うーん、と唸ったあと同時にこう言った。
「アグレッシブ」
ああ、なるほど……。
まだまだ色々聞きたいけれど、道の分岐にあたっていよいよ登山道っぽいところに来たので先導するユラさんに駆け寄った。
「ユラさんは何度も高野山に来てるんですか?」
当たりさわりのない質問だけど彼女はほんの少し微笑み、わたしに合わせて歩調を緩めた。
いつの間にやら結構歩いたせいか、色白でハンサムな顔に少し赤みがさしている。
「うん、仕事柄けっこう登ってるんよ。観光しいに来たことはないんやけど」
「そっかあ。でも神社のユラさんが、お寺のある高野山に来るのってなんだか不思議ですね」
わたしの素朴な疑問に、「せやんなあ」とユラさんが笑う。
「ちょっとわかんぬくいかもしれへんけど、日本では神さんと仏さんは同時に祀られてきたんよ。"神仏習合"って聞いたことないかな?神と仏を同一視する"本地垂迹"っていう理論が完成されて、たとえば天照大神と大日如来はイコール。八幡神は阿弥陀如来とイコール、って具合やな。せやからかつてはお寺と神社はワンセットやってん。それに仏さん祀るお寺を建てるには、土地の古い神さんの許しを得なならんやろ。高野山かって、紀伊国一之宮の丹生都比売神社の神が空海さんに神領を譲った、いう伝説があるねん。こんな感じで、神社とお寺は深いつながりがあるんよ」
珍しく、ユラさんがたくさんのことを語ってくれている。
わたしには難しい言葉も多いけど、なんだか彼女が関わっていることや紀伊の霊地のことが少しだけ身近になった気がする。
「そうやって、"ユラさんたち"は代々紀伊の結界を守ってきたんですね」
「うん…?うん、歴代はみんな立派やったさかい……」
歯切れのよくないユラさんの言い方に、ちょっと驚いてしまった。
「歴代って、ユラさんだって命懸けでこんなにがんばってるじゃないですか!」
思わず大きな声を出してしまったわたしに、ユラさんはなんだかちょっと悲しそうな、複雑な顔をした。
「…おおきにな。せやけど、ほとんどは"過去のユラ"の力や。"私自身"が、まっと強ならなあかんのよ」
ユラさんはそう言って照れくさそうに、無理につくった笑顔を向けた。
道は森の中を下っていき、いつしか完全な山道となった。
霧はいよいよ濃く深く立ち込め、乳白色の海を泳いでいるかのようだ。
わたしの前にはユラさん、後ろにはコロちゃんとマロくんがいるはずだけど、ちょっと油断するとその姿が白い霧に溶け込んで見失ってしまいそうだ。
途中から羽織ったポンチョにはびっしりと水滴がまとわりついて、重さを感じる。
もちろん足元の道を行くだけで、その他目印になりそうなものなんて何もわからない。
正直、山中の濃霧がこんなにおそろしいものとは思いもよらなかった。
「おかしいな…どういうことや」
先頭を行くユラさんがふいに立ち止まり、呟いた。
「もう着いてもいい頃なのにねえ」
「考えにくいけど、結界を踏み違えたかもしれないわね」
えっ。それって…迷った、ってコト……?
そういえば、さっきから同じようなアップダウンを繰り返しているような気もする。
道はほぼ一本で、登山道に入ってほどなく目的の龍仙寺があると聞いていたので、そうだとすると怖くなってくる。
それにさっきコロちゃんが「結界を踏み違えたかも」と言ったことも気になる。
と、前を行くユラさんの背中がふっと霧に紛れて見えなくなった。
不安にかられて足を早めたけれど、いっかな追いつけない。
後ろを振り返ると、いつの間にかコロちゃんとマロくんの気配もしない。
「ユラさぁん……?コロちゃん、マロくーん…?」
おそるおそる呼んだ声は、濃霧にすべて飲み込まれて響きもしない。
もう一度大きな声で繰り返したけど同じことで、本格的におそろしくなったわたしは無意識に駆け出してしまった。
その瞬間、濡れた地道に足を取られて転倒し、ずるりと道の傾斜側へと落ち込んだ。
わずかな段差だったはずなのに、這い上がっても一向に元の道が見えず、延々と雑木の斜面があるだけだ。
さらに大きな声でみんなを呼んでみたけどまったくの無駄で、わたしはほとんど泣きそうになりながらそこにうずくまった。
落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃ、こんな時はどうすればいいんだっけ。
とりあえず闇雲に動いてはいけないはずだ。
霧はいつか晴れるだろうし、みんなも必ず探しに来てくれる。
手近の大きな樹の下に移動したわたしは、そこでじっとしていることにしたけど折しも重たい霧に雨が混じってきた。
寒い――。
心細さに涙が出てきたとき、遠くのほうで"しゃりん"と金属を打ち合わせるような音が聞こえた。
それはしゃりん、しゃりん、と連続して重なりながら徐々に近づいてくる。
なんだろうとそばだてた耳に、それより早く"はっはっはっはっ"と生き物の息遣いが届いた。
まさか危険な野生動物ではと血の気が引き、そばに落ちていた太い木の枝を引き寄せた。
おそるおそるわたしが聞くと、二人はこともなげにこう答えた。
「彼が若い頃に何回かねえ」
「ええ。めちゃくちゃ足の早い人だったわ」
いまさらだけど、わたしは改めて驚いた。
歴史上の有名人の思い出話を聞くのもそうだけど、空海の生まれはたしか奈良時代の終わり頃だ。
そんな時代からの記憶があるコロちゃんとマロくんは、やはり千年を超える時を過ごしてきたのだ。
「ね、ねえねえ!空海さんって、どんな人だったの……?」
興味津々で食いつくわたしに二人は顔を見合わせ、うーん、と唸ったあと同時にこう言った。
「アグレッシブ」
ああ、なるほど……。
まだまだ色々聞きたいけれど、道の分岐にあたっていよいよ登山道っぽいところに来たので先導するユラさんに駆け寄った。
「ユラさんは何度も高野山に来てるんですか?」
当たりさわりのない質問だけど彼女はほんの少し微笑み、わたしに合わせて歩調を緩めた。
いつの間にやら結構歩いたせいか、色白でハンサムな顔に少し赤みがさしている。
「うん、仕事柄けっこう登ってるんよ。観光しいに来たことはないんやけど」
「そっかあ。でも神社のユラさんが、お寺のある高野山に来るのってなんだか不思議ですね」
わたしの素朴な疑問に、「せやんなあ」とユラさんが笑う。
「ちょっとわかんぬくいかもしれへんけど、日本では神さんと仏さんは同時に祀られてきたんよ。"神仏習合"って聞いたことないかな?神と仏を同一視する"本地垂迹"っていう理論が完成されて、たとえば天照大神と大日如来はイコール。八幡神は阿弥陀如来とイコール、って具合やな。せやからかつてはお寺と神社はワンセットやってん。それに仏さん祀るお寺を建てるには、土地の古い神さんの許しを得なならんやろ。高野山かって、紀伊国一之宮の丹生都比売神社の神が空海さんに神領を譲った、いう伝説があるねん。こんな感じで、神社とお寺は深いつながりがあるんよ」
珍しく、ユラさんがたくさんのことを語ってくれている。
わたしには難しい言葉も多いけど、なんだか彼女が関わっていることや紀伊の霊地のことが少しだけ身近になった気がする。
「そうやって、"ユラさんたち"は代々紀伊の結界を守ってきたんですね」
「うん…?うん、歴代はみんな立派やったさかい……」
歯切れのよくないユラさんの言い方に、ちょっと驚いてしまった。
「歴代って、ユラさんだって命懸けでこんなにがんばってるじゃないですか!」
思わず大きな声を出してしまったわたしに、ユラさんはなんだかちょっと悲しそうな、複雑な顔をした。
「…おおきにな。せやけど、ほとんどは"過去のユラ"の力や。"私自身"が、まっと強ならなあかんのよ」
ユラさんはそう言って照れくさそうに、無理につくった笑顔を向けた。
道は森の中を下っていき、いつしか完全な山道となった。
霧はいよいよ濃く深く立ち込め、乳白色の海を泳いでいるかのようだ。
わたしの前にはユラさん、後ろにはコロちゃんとマロくんがいるはずだけど、ちょっと油断するとその姿が白い霧に溶け込んで見失ってしまいそうだ。
途中から羽織ったポンチョにはびっしりと水滴がまとわりついて、重さを感じる。
もちろん足元の道を行くだけで、その他目印になりそうなものなんて何もわからない。
正直、山中の濃霧がこんなにおそろしいものとは思いもよらなかった。
「おかしいな…どういうことや」
先頭を行くユラさんがふいに立ち止まり、呟いた。
「もう着いてもいい頃なのにねえ」
「考えにくいけど、結界を踏み違えたかもしれないわね」
えっ。それって…迷った、ってコト……?
そういえば、さっきから同じようなアップダウンを繰り返しているような気もする。
道はほぼ一本で、登山道に入ってほどなく目的の龍仙寺があると聞いていたので、そうだとすると怖くなってくる。
それにさっきコロちゃんが「結界を踏み違えたかも」と言ったことも気になる。
と、前を行くユラさんの背中がふっと霧に紛れて見えなくなった。
不安にかられて足を早めたけれど、いっかな追いつけない。
後ろを振り返ると、いつの間にかコロちゃんとマロくんの気配もしない。
「ユラさぁん……?コロちゃん、マロくーん…?」
おそるおそる呼んだ声は、濃霧にすべて飲み込まれて響きもしない。
もう一度大きな声で繰り返したけど同じことで、本格的におそろしくなったわたしは無意識に駆け出してしまった。
その瞬間、濡れた地道に足を取られて転倒し、ずるりと道の傾斜側へと落ち込んだ。
わずかな段差だったはずなのに、這い上がっても一向に元の道が見えず、延々と雑木の斜面があるだけだ。
さらに大きな声でみんなを呼んでみたけどまったくの無駄で、わたしはほとんど泣きそうになりながらそこにうずくまった。
落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃ、こんな時はどうすればいいんだっけ。
とりあえず闇雲に動いてはいけないはずだ。
霧はいつか晴れるだろうし、みんなも必ず探しに来てくれる。
手近の大きな樹の下に移動したわたしは、そこでじっとしていることにしたけど折しも重たい霧に雨が混じってきた。
寒い――。
心細さに涙が出てきたとき、遠くのほうで"しゃりん"と金属を打ち合わせるような音が聞こえた。
それはしゃりん、しゃりん、と連続して重なりながら徐々に近づいてくる。
なんだろうとそばだてた耳に、それより早く"はっはっはっはっ"と生き物の息遣いが届いた。
まさか危険な野生動物ではと血の気が引き、そばに落ちていた太い木の枝を引き寄せた。
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