上 下
19 / 72
第4章 空海の大蛇封じと、裏高野の七口結界

黒河道の結界

しおりを挟む
「コロちゃんとマロくんはもしかして……クーカイさんに会ったことがあるの?」

おそるおそるわたしが聞くと、二人はこともなげにこう答えた。

「彼が若い頃に何回かねえ」
「ええ。めちゃくちゃ足の早い人だったわ」

いまさらだけど、わたしは改めて驚いた。
歴史上の有名人の思い出話を聞くのもそうだけど、空海の生まれはたしか奈良時代の終わり頃だ。
そんな時代からの記憶があるコロちゃんとマロくんは、やはり千年を超える時を過ごしてきたのだ。

「ね、ねえねえ!空海さんって、どんな人だったの……?」

興味津々で食いつくわたしに二人は顔を見合わせ、うーん、と唸ったあと同時にこう言った。

「アグレッシブ」

ああ、なるほど……。
まだまだ色々聞きたいけれど、道の分岐にあたっていよいよ登山道っぽいところに来たので先導するユラさんに駆け寄った。

「ユラさんは何度も高野山に来てるんですか?」

当たりさわりのない質問だけど彼女はほんの少し微笑み、わたしに合わせて歩調を緩めた。
いつの間にやら結構歩いたせいか、色白でハンサムな顔に少し赤みがさしている。

「うん、仕事柄けっこう登ってるんよ。観光しいに来たことはないんやけど」
「そっかあ。でも神社のユラさんが、お寺のある高野山に来るのってなんだか不思議ですね」

わたしの素朴な疑問に、「せやんなあ」とユラさんが笑う。

「ちょっとわかんぬくいかもしれへんけど、日本では神さんと仏さんは同時に祀られてきたんよ。"神仏習合"って聞いたことないかな?神と仏を同一視する"本地垂迹"っていう理論が完成されて、たとえば天照大神と大日如来はイコール。八幡神は阿弥陀如来とイコール、って具合やな。せやからかつてはお寺と神社はワンセットやってん。それに仏さん祀るお寺を建てるには、土地の古い神さんの許しを得なならんやろ。高野山かって、紀伊国一之宮の丹生都比売神社にうつひめじんじゃの神が空海さんに神領を譲った、いう伝説があるねん。こんな感じで、神社とお寺は深いつながりがあるんよ」

珍しく、ユラさんがたくさんのことを語ってくれている。
わたしには難しい言葉も多いけど、なんだか彼女が関わっていることや紀伊の霊地のことが少しだけ身近になった気がする。

「そうやって、"ユラさんたち"は代々紀伊の結界を守ってきたんですね」
「うん…?うん、歴代はみんな立派やったさかい……」

歯切れのよくないユラさんの言い方に、ちょっと驚いてしまった。

「歴代って、ユラさんだって命懸けでこんなにがんばってるじゃないですか!」

思わず大きな声を出してしまったわたしに、ユラさんはなんだかちょっと悲しそうな、複雑な顔をした。

「…おおきにな。せやけど、ほとんどは"過去のユラ"の力や。"私自身"が、まっと強ならなあかんのよ」

ユラさんはそう言って照れくさそうに、無理につくった笑顔を向けた。

道は森の中を下っていき、いつしか完全な山道となった。
霧はいよいよ濃く深く立ち込め、乳白色の海を泳いでいるかのようだ。

わたしの前にはユラさん、後ろにはコロちゃんとマロくんがいるはずだけど、ちょっと油断するとその姿が白い霧に溶け込んで見失ってしまいそうだ。

途中から羽織ったポンチョにはびっしりと水滴がまとわりついて、重さを感じる。
もちろん足元の道を行くだけで、その他目印になりそうなものなんて何もわからない。
正直、山中の濃霧がこんなにおそろしいものとは思いもよらなかった。

「おかしいな…どういうことや」

先頭を行くユラさんがふいに立ち止まり、呟いた。

「もう着いてもいい頃なのにねえ」
「考えにくいけど、結界を踏み違えたかもしれないわね」

えっ。それって…迷った、ってコト……?

そういえば、さっきから同じようなアップダウンを繰り返しているような気もする。
道はほぼ一本で、登山道に入ってほどなく目的の龍仙寺があると聞いていたので、そうだとすると怖くなってくる。
それにさっきコロちゃんが「結界を踏み違えたかも」と言ったことも気になる。

と、前を行くユラさんの背中がふっと霧に紛れて見えなくなった。
不安にかられて足を早めたけれど、いっかな追いつけない。
後ろを振り返ると、いつの間にかコロちゃんとマロくんの気配もしない。

「ユラさぁん……?コロちゃん、マロくーん…?」

おそるおそる呼んだ声は、濃霧にすべて飲み込まれて響きもしない。
もう一度大きな声で繰り返したけど同じことで、本格的におそろしくなったわたしは無意識に駆け出してしまった。
その瞬間、濡れた地道に足を取られて転倒し、ずるりと道の傾斜側へと落ち込んだ。

わずかな段差だったはずなのに、這い上がっても一向に元の道が見えず、延々と雑木の斜面があるだけだ。
さらに大きな声でみんなを呼んでみたけどまったくの無駄で、わたしはほとんど泣きそうになりながらそこにうずくまった。

落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃ、こんな時はどうすればいいんだっけ。
とりあえず闇雲に動いてはいけないはずだ。
霧はいつか晴れるだろうし、みんなも必ず探しに来てくれる。

手近の大きな樹の下に移動したわたしは、そこでじっとしていることにしたけど折しも重たい霧に雨が混じってきた。

寒い――。

心細さに涙が出てきたとき、遠くのほうで"しゃりん"と金属を打ち合わせるような音が聞こえた。
それはしゃりん、しゃりん、と連続して重なりながら徐々に近づいてくる。

なんだろうとそばだてた耳に、それより早く"はっはっはっはっ"と生き物の息遣いが届いた。

まさか危険な野生動物ではと血の気が引き、そばに落ちていた太い木の枝を引き寄せた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

「不細工なお前とは婚約破棄したい」と言ってみたら、秒で破棄されました。

桜乃
ファンタジー
ロイ王子の婚約者は、不細工と言われているテレーゼ・ハイウォール公爵令嬢。彼女からの愛を確かめたくて、思ってもいない事を言ってしまう。 「不細工なお前とは婚約破棄したい」 この一言が重要な言葉だなんて思いもよらずに。 ※約4000文字のショートショートです。11/21に完結いたします。 ※1回の投稿文字数は少な目です。 ※前半と後半はストーリーの雰囲気が変わります。 表紙は「かんたん表紙メーカー2」にて作成いたしました。 ❇❇❇❇❇❇❇❇❇ 2024年10月追記 お読みいただき、ありがとうございます。 こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。 1ページの文字数は少な目です。 約4500文字程度の番外編です。 バストリー・アルマンって誰やねん……という読者様のお声が聞こえてきそう……(;´∀`) ロイ王子の側近です。(←言っちゃう作者 笑) ※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

【完結】後妻に入ったら、夫のむすめが……でした

仲村 嘉高
恋愛
「むすめの世話をして欲しい」  夫からの求婚の言葉は、愛の言葉では無かったけれど、幼い娘を大切にする誠実な人だと思い、受け入れる事にした。  結婚前の顔合わせを「疲れて出かけたくないと言われた」や「今日はベッドから起きられないようだ」と、何度も反故にされた。  それでも、本当に申し訳なさそうに謝るので、「体が弱いならしょうがないわよ」と許してしまった。  結婚式は、お互いの親戚のみ。  なぜならお互い再婚だから。  そして、結婚式が終わり、新居へ……?  一緒に馬車に乗ったその方は誰ですか?

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...