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第2章 影打・南紀重國の刀と由良さんの秘密
結界と妖刀の引力
しおりを挟む当然のことというか、いわばオリエンテーションのようにわたしは由良さんにくっついていく形となっている。
この家にあるのは、紀州藩お抱えの名工として知られる"南紀重國"の刀。
影打のため銘は切られていないが、初代の作に比定される名刀だそうだ。
ただし、普通の刀ではない。
いわゆる妖刀であり、この家の主が代々厳重に保管してきたものを、同じく瀬乃神宮が封印を担ってきたのだという。
妖刀ではあるがその強すぎる力のため逆にあやかしを寄せ付けず、鎮壇具として機能してきた歴史をもっている。
由良さんは、その封印のための結界を更新しにやってきたついでに、ご当主が所蔵する他の刀の手入れも引き受けていたのだ。
渡り廊下の先の離れは、むしろ蔵のような造りだった。
漆喰で固めた土壁、それと同じ分厚さの重たげな外扉、その内側には琥珀色に年経た木扉があり、古くなったしめ縄が張られている。
「ほいたら、あんじょうお頼み申します。客間でお茶用意しとるさかいよ」
ご当主は由良さんとわたしに丁寧な礼をして、母屋へと戻っていった。
親しみやすいのに、なんともいえない品のある立ち居振る舞いにほれぼれとしてしまう。
由良さんの結界更新の作業は、わたしには正直よくわからなかった。
けれど説明してもらったところをまとめると、だいたいこうだ。
まず、瀬乃神宮の作法は神も仏も一緒に祀っていた古い時代のもので、祝詞もあげれば真言も唱えるという、むしろ修験道なんかに近いスタイルなのだという。
結界というものはひとつひとつはそんなに強くないため、何重にも張ることと、定期的に更新が必要なこと。
由良さんは土蔵の前で拝礼し、小さく唱えごとをしながら装束の袖の中でいくつかの印を組んでいるようだった。
これは祭式を執り行う前、術者自身にかける結界のようなもので、"如来の甲冑"と表現していた。
もちろん、わたしにも術がかかるようにしてくれている。
ここの結界は主にしめ縄が中心で、平たくいえばこれを新しいものに張り直すのが眼目だった。
ただし、旧のものを取り外すために仮の結界をあらかじめ張って、その中で作業をするという入念さだ。
たいして役に立たないわたしだけど、しめ縄の端っこを持ったりして手伝いらしきことをしてみる。
ひと通り結界の更新が済むと、由良さんはいよいよ土蔵の中へと立ち入っていく。
中は外見から想像するよりも狭く、真ん中に小さな祭壇のようなものが設けられ、周囲を五色の糸を撚り合わせた縄が巡っている。
その中心には細長い木箱が安置され、外からの明かりで、
「於南紀重國造之 影打」
と墨書された文字が浮かび上がっていた。
妖刀、と聞いていたので何やらおどろおどろしい気を放つものかと身構えていたけれど、特になんということも感じない。
由良さんは壇の水瓶に生けられていた槇を新しいものに取り替え、拝礼して短い祝詞のようなものを唱えると、それでお仕事は終わってしまった。
やや拍子抜けして木扉を閉じ、蔵を後にする。
「あかり先生がてっとうてくれて助かったわあ。しめ縄、一人やと難儀やねん」
由良さんが屈託なくそう言い、お浄めの海塩を軽くかけてくれる。
わたしも由良さんにお塩をかけ返しながら、「てっとうて」が「手伝って」の意味だと遅れて気付いた。
母屋へと戻りながら、ご当主に終了の報告をすべく客間に向かう。
しかし、そちらの方向からなにやら人の争うような声が聞こえてきて、由良さんと顔を見合わせた。
近づくにつれてよりはっきりと怒声がわかり、客間の奥からいくつもの足音がドスドスと響いてきた。
ガララッと乱暴に障子が開け放たれスーツ姿の男が3人、憤然と出てきて、由良さんとわたしを押しのけるようにして玄関口へと降りていった。
「ご当主!なんもないか!」
由良さんが客間に駆け込み、お爺ちゃんの安否を確認する。
「おお、気づかいないよ。えらい騒がせてしもたなあ」
ご当主ののんびりした声にほっとしたのも束の間、客間に入ったわたしはその光景に肝を冷やした。
畳には抜き身の刀が幾本も突き立てられており、その向こうには傍らに鞘に収められた日本刀を携えたご当主が端座している。
平気な顔で「いまお茶いれるさかい」という彼を制して、話を聞くところによるとこうだ。
以前から度々、古美術商を名乗る男たちの出入りはあったらしい。
しかし最近になって、ご当主が祀る南紀重國を譲ってほしいという業者が現れ、かなりしつこく訪問を受けていたそうだ。
さっきの男たちがそうで、一般には知られていないはずの結界文化財としての価値に精通していることをほのめかしていたという。
当然譲れるようなものではないことを承知で、男たちは高額の条件を提示するなどなりふり構わない手段に出、やがてあからさまな恫喝を行うようになってきた。
さっきの抜き身の刀は男たちの過ぎた脅しに対して、ご当主が次々に突き立てていったものだという。
この人もただの好々爺というわけではなく、尋常じゃない肝の座り方をしているようだ。
「あの刀がらみやと警察にもいわれへんさかい、トクブンの刑部さんに相談しますわえ」
トクブンが"特務文化遺産課"であることはすぐわかった。
普通なら警察の案件だろうに、ずいぶん特殊な事情なのだと改めて思い知らされる。
この家にあるのは、紀州藩お抱えの名工として知られる"南紀重國"の刀。
影打のため銘は切られていないが、初代の作に比定される名刀だそうだ。
ただし、普通の刀ではない。
いわゆる妖刀であり、この家の主が代々厳重に保管してきたものを、同じく瀬乃神宮が封印を担ってきたのだという。
妖刀ではあるがその強すぎる力のため逆にあやかしを寄せ付けず、鎮壇具として機能してきた歴史をもっている。
由良さんは、その封印のための結界を更新しにやってきたついでに、ご当主が所蔵する他の刀の手入れも引き受けていたのだ。
渡り廊下の先の離れは、むしろ蔵のような造りだった。
漆喰で固めた土壁、それと同じ分厚さの重たげな外扉、その内側には琥珀色に年経た木扉があり、古くなったしめ縄が張られている。
「ほいたら、あんじょうお頼み申します。客間でお茶用意しとるさかいよ」
ご当主は由良さんとわたしに丁寧な礼をして、母屋へと戻っていった。
親しみやすいのに、なんともいえない品のある立ち居振る舞いにほれぼれとしてしまう。
由良さんの結界更新の作業は、わたしには正直よくわからなかった。
けれど説明してもらったところをまとめると、だいたいこうだ。
まず、瀬乃神宮の作法は神も仏も一緒に祀っていた古い時代のもので、祝詞もあげれば真言も唱えるという、むしろ修験道なんかに近いスタイルなのだという。
結界というものはひとつひとつはそんなに強くないため、何重にも張ることと、定期的に更新が必要なこと。
由良さんは土蔵の前で拝礼し、小さく唱えごとをしながら装束の袖の中でいくつかの印を組んでいるようだった。
これは祭式を執り行う前、術者自身にかける結界のようなもので、"如来の甲冑"と表現していた。
もちろん、わたしにも術がかかるようにしてくれている。
ここの結界は主にしめ縄が中心で、平たくいえばこれを新しいものに張り直すのが眼目だった。
ただし、旧のものを取り外すために仮の結界をあらかじめ張って、その中で作業をするという入念さだ。
たいして役に立たないわたしだけど、しめ縄の端っこを持ったりして手伝いらしきことをしてみる。
ひと通り結界の更新が済むと、由良さんはいよいよ土蔵の中へと立ち入っていく。
中は外見から想像するよりも狭く、真ん中に小さな祭壇のようなものが設けられ、周囲を五色の糸を撚り合わせた縄が巡っている。
その中心には細長い木箱が安置され、外からの明かりで、
「於南紀重國造之 影打」
と墨書された文字が浮かび上がっていた。
妖刀、と聞いていたので何やらおどろおどろしい気を放つものかと身構えていたけれど、特になんということも感じない。
由良さんは壇の水瓶に生けられていた槇を新しいものに取り替え、拝礼して短い祝詞のようなものを唱えると、それでお仕事は終わってしまった。
やや拍子抜けして木扉を閉じ、蔵を後にする。
「あかり先生がてっとうてくれて助かったわあ。しめ縄、一人やと難儀やねん」
由良さんが屈託なくそう言い、お浄めの海塩を軽くかけてくれる。
わたしも由良さんにお塩をかけ返しながら、「てっとうて」が「手伝って」の意味だと遅れて気付いた。
母屋へと戻りながら、ご当主に終了の報告をすべく客間に向かう。
しかし、そちらの方向からなにやら人の争うような声が聞こえてきて、由良さんと顔を見合わせた。
近づくにつれてよりはっきりと怒声がわかり、客間の奥からいくつもの足音がドスドスと響いてきた。
ガララッと乱暴に障子が開け放たれスーツ姿の男が3人、憤然と出てきて、由良さんとわたしを押しのけるようにして玄関口へと降りていった。
「ご当主!なんもないか!」
由良さんが客間に駆け込み、お爺ちゃんの安否を確認する。
「おお、気づかいないよ。えらい騒がせてしもたなあ」
ご当主ののんびりした声にほっとしたのも束の間、客間に入ったわたしはその光景に肝を冷やした。
畳には抜き身の刀が幾本も突き立てられており、その向こうには傍らに鞘に収められた日本刀を携えたご当主が端座している。
平気な顔で「いまお茶いれるさかい」という彼を制して、話を聞くところによるとこうだ。
以前から度々、古美術商を名乗る男たちの出入りはあったらしい。
しかし最近になって、ご当主が祀る南紀重國を譲ってほしいという業者が現れ、かなりしつこく訪問を受けていたそうだ。
さっきの男たちがそうで、一般には知られていないはずの結界文化財としての価値に精通していることをほのめかしていたという。
当然譲れるようなものではないことを承知で、男たちは高額の条件を提示するなどなりふり構わない手段に出、やがてあからさまな恫喝を行うようになってきた。
さっきの抜き身の刀は男たちの過ぎた脅しに対して、ご当主が次々に突き立てていったものだという。
この人もただの好々爺というわけではなく、尋常じゃない肝の座り方をしているようだ。
「あの刀がらみやと警察にもいわれへんさかい、トクブンの刑部さんに相談しますわえ」
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