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第18膳
大和名物「柿の葉寿司」!鯖寿司を、柿の葉っぱでくるんでみたよ
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ぜんたい、当たり前のようにそこにあるものには、なかなか有り難みを感じられなくなるものらしい。
空気も水も、無いと命に関わるものなのに、普段はほとんど意識することもないのではないか。
ぜいたくな話とは思うけど、ぼくにとってそういうもののひとつに「柿」がある。
そう、学名を"kaki"という、日本の里山原風景に溶け込んだあの赤い果実のことだ。
ぼくのふるさとである和歌山は、なにを隠そう柿の生産量は日本一。
和歌山といえば柿、柿といえば和歌山、というくらいの柿のメッカなのである。
「そこな柿、いくたりありしや」
「那由多なりしか」
という柿仙人たちのやりとりは誰も知らないけれど、とにかく無限といっていい量だと思う。
∞。
MUGEN。
インフィニティ。
高校生の頃、「選果場」と呼ばれる施設で柿を箱詰めするアルバイトをしたことがある。
ベルトコンベアでそれこそ無限に流れてくる柿を、気力・体力の続く限り出荷用の化粧箱に詰めていくのだ。
「3L」という規格ともなると1個がゆうに300gを超え、もうなんなのか分からないくらい大きい。
どんなに手際よく箱に詰めていっても、それを上回るペースでどんどん柿が流れてくるので、やがてはコンベアからオーバーフローするという大変な事態に陥ってしまう。
いよいよ限界かと思われた頃を見計らい、ライン長が赤いボタンを押すと「ヴヴーッ」とブザーが鳴り響き、しばしの間ベルトコンベアが停止するのだ。
ほっとするのも束の間、
「なに止めとるんでよお!ゴルァァァ!」
と前工程から特大の雷が落ちてくる。
再び動き出したコンベアには、さらにたくさんの3L柿が流れてくるのは言うまでもない。
ぼくはバイト期間中、毎夜のように柿の夢にうなされ、したがって柿というフルーツそのものから距離をおくようになってしまったのだった。
さて、ぼくにとってはあまりにも身近過ぎる柿だけど、伊緒さんはこの果物が大好きだった。
彼女のふるさとである北海道では、気候上の理由から柿が自生しないとされていて、じつはとってもレアなフルーツなのだ。
「すごい!日本昔ばなしみたい!」
初めて柿の実が木に生っている様子を"生"で見た伊緒さんは、はわはわと打ち震え、その夜は興奮してなかなか寝付かれなかったらしい。
柿はもともと大陸からもたらされた植物と考えられており、弥生時代の遺跡から種子が検出されている。
渋柿でも干せば甘くなるし、和傘などの防水剤となる「柿渋」をとることもできる。
木そのものも硬くて緻密なので、細工物の飾りに使用される。
正倉院御物である奈良時代の琵琶に、「黒柿」の材が用いられていることも有名だ。
そして葉っぱもお茶にしたり、若葉なら天ぷらにしたりと、じつはまったくあますところのないえらい植物なのだ。
さんざん苦手感をアピールしておきながらなんなんだけど、ぼくにも柿にまつわる郷土の誇りみたいなものがひとつある。
それは「柿の葉寿司」。
柿の葉をネタにしたお寿司、ではなくって、酢〆にした鯖を使った押し寿司の一種だ。
鯖をのっけた酢飯をひとつずつ柿の葉で包んで、型枠にきっちり並べて重しをすると直方体の寿司ができあがる。
食べるときは柿の葉を剥くのが一般的だけど、甘くて青い独特の香りがついて、それは爽やかでおいしいものだ。
この柿の葉寿司は見事に伊緒さんの心をわしづかみにし、以来彼女の大好物となった。
柿の葉寿司の歴史には諸説あるが、関西では江戸時代半ば頃の吉野地方が発祥とされている。
桜で有名な吉野は山深い地で、海の魚はたいへんなごちそうだった。
材木の流通などを通じて交流のあった熊野地方などからもたらされる塩鯖は、とても貴重な食べ物だったのだ。
強く塩あてした鯖はそのままでは辛すぎるため、薄く削いで握り飯にのせ、手近な柿の葉で包んで保存したのが柿の葉寿司の原型だといわれている。
重しをして発酵を促す、いわゆる「なれ寿司」の一種で、かつてはお祭りの日には各家庭でつくられたという。
吉野に発する柿の葉寿司は川伝いに和歌山にも伝わり、ぼくの育った紀北地方でも名物となっている。
奈良から和歌山にかけての主要な鉄道駅には柿の葉寿司の店舗が入っていて、おみやげやお弁当として不動の人気を誇っているのだ。
伊緒さんが初めて柿の葉寿司を口にしたのも、そんな奈良行きの列車でのことだった。
古めかしい向かい合わせのボックス席で包みを解くと、葉っぱの個包装をおもしろがってキャッキャと喜んでくれている。
具は鯖がもっとも伝統的だけど、鮭もおいしいし椎茸を甘く炊いたものもよく合う。
〆た雀鯛や桜えびなども使われるけど、やっぱり鯖と鮭がぼくにとってはなじんだ味だ。
伊緒さんに「さあ、食べて食べて!」とすすめたはいいものの、お茶を買い忘れていて、発車までの間に急いで買いに出た。
戻ってみると彼女は幸せそうに目を細め、もっふもっふと咀嚼していたので「ああ、お口に合ったんだな」と安心したのだけど……手に何か持っている。
よく見るとそれは柿の葉の軸部分で、葉脈だけきれいに残して葉っぱごと食べてしまったのだった。
ぼくたち地元の人間は、柿の葉はあくまでパッケージと考えて食べることはない。
けれど他地域の方が柿の葉寿司を初めて目にした場合、葉っぱも一緒に食べてしまう事が少なくない。
もちろんだめな訳ではないけれど、ちょっとかたいのであんまりおすすめはしていないようだ。
「葉っぱたべちゃった。でもおいしい!」
伊緒さんは照れ笑いしつつ、2個目はばっちり葉を剥いて召し上がった。
でも改めて見てみると、本当にうまくできた料理だと思う。
柿の葉は防腐効果や殺菌作用もあるというし、すごく機能的な天然のラッピングだ。
「でも柿の葉っぱって、パリパリしてそうだけど、どうやってやわらかくしてたんだろう」
おお、伊緒さんが構造を分析しはじめたぞ。
「昔は塩漬けにしてたらしいですよ。初夏に大きくてやわらかい葉っぱをとって、柿の葉寿司用に保存したとか」
子どもの頃に近所のおばあちゃんから聞いたことだ。
「へえぇぇ!いまだったら冷凍保存もできそうね。うちでもつくれないかなあ」
「柿の葉ならお庭にありますよ」
「えっ!うそ!?」
「実はまだ生らないと思いますけどね」
多分、前の住人が植えたか蒔いたかしたのだろう。柿の若木が育っていることに、その朝気付いたところだった。
生命力が強いので、存外に大きな葉を出すかもしれない。
「すごいすごい!じゃああとは、押し寿司用の木枠だけね!」
どうやら、本気で自家製の柿の葉寿司に取り組むみたいだ。
伊緒さんがお家で、この土地の郷土料理をつくってくれる――。
なんだか夢みたいなお話だ。
でもぼくにとってこの時からちょっとだけ、柿がありふれた植物ではなくなったのだろうとそう思う。
空気も水も、無いと命に関わるものなのに、普段はほとんど意識することもないのではないか。
ぜいたくな話とは思うけど、ぼくにとってそういうもののひとつに「柿」がある。
そう、学名を"kaki"という、日本の里山原風景に溶け込んだあの赤い果実のことだ。
ぼくのふるさとである和歌山は、なにを隠そう柿の生産量は日本一。
和歌山といえば柿、柿といえば和歌山、というくらいの柿のメッカなのである。
「そこな柿、いくたりありしや」
「那由多なりしか」
という柿仙人たちのやりとりは誰も知らないけれど、とにかく無限といっていい量だと思う。
∞。
MUGEN。
インフィニティ。
高校生の頃、「選果場」と呼ばれる施設で柿を箱詰めするアルバイトをしたことがある。
ベルトコンベアでそれこそ無限に流れてくる柿を、気力・体力の続く限り出荷用の化粧箱に詰めていくのだ。
「3L」という規格ともなると1個がゆうに300gを超え、もうなんなのか分からないくらい大きい。
どんなに手際よく箱に詰めていっても、それを上回るペースでどんどん柿が流れてくるので、やがてはコンベアからオーバーフローするという大変な事態に陥ってしまう。
いよいよ限界かと思われた頃を見計らい、ライン長が赤いボタンを押すと「ヴヴーッ」とブザーが鳴り響き、しばしの間ベルトコンベアが停止するのだ。
ほっとするのも束の間、
「なに止めとるんでよお!ゴルァァァ!」
と前工程から特大の雷が落ちてくる。
再び動き出したコンベアには、さらにたくさんの3L柿が流れてくるのは言うまでもない。
ぼくはバイト期間中、毎夜のように柿の夢にうなされ、したがって柿というフルーツそのものから距離をおくようになってしまったのだった。
さて、ぼくにとってはあまりにも身近過ぎる柿だけど、伊緒さんはこの果物が大好きだった。
彼女のふるさとである北海道では、気候上の理由から柿が自生しないとされていて、じつはとってもレアなフルーツなのだ。
「すごい!日本昔ばなしみたい!」
初めて柿の実が木に生っている様子を"生"で見た伊緒さんは、はわはわと打ち震え、その夜は興奮してなかなか寝付かれなかったらしい。
柿はもともと大陸からもたらされた植物と考えられており、弥生時代の遺跡から種子が検出されている。
渋柿でも干せば甘くなるし、和傘などの防水剤となる「柿渋」をとることもできる。
木そのものも硬くて緻密なので、細工物の飾りに使用される。
正倉院御物である奈良時代の琵琶に、「黒柿」の材が用いられていることも有名だ。
そして葉っぱもお茶にしたり、若葉なら天ぷらにしたりと、じつはまったくあますところのないえらい植物なのだ。
さんざん苦手感をアピールしておきながらなんなんだけど、ぼくにも柿にまつわる郷土の誇りみたいなものがひとつある。
それは「柿の葉寿司」。
柿の葉をネタにしたお寿司、ではなくって、酢〆にした鯖を使った押し寿司の一種だ。
鯖をのっけた酢飯をひとつずつ柿の葉で包んで、型枠にきっちり並べて重しをすると直方体の寿司ができあがる。
食べるときは柿の葉を剥くのが一般的だけど、甘くて青い独特の香りがついて、それは爽やかでおいしいものだ。
この柿の葉寿司は見事に伊緒さんの心をわしづかみにし、以来彼女の大好物となった。
柿の葉寿司の歴史には諸説あるが、関西では江戸時代半ば頃の吉野地方が発祥とされている。
桜で有名な吉野は山深い地で、海の魚はたいへんなごちそうだった。
材木の流通などを通じて交流のあった熊野地方などからもたらされる塩鯖は、とても貴重な食べ物だったのだ。
強く塩あてした鯖はそのままでは辛すぎるため、薄く削いで握り飯にのせ、手近な柿の葉で包んで保存したのが柿の葉寿司の原型だといわれている。
重しをして発酵を促す、いわゆる「なれ寿司」の一種で、かつてはお祭りの日には各家庭でつくられたという。
吉野に発する柿の葉寿司は川伝いに和歌山にも伝わり、ぼくの育った紀北地方でも名物となっている。
奈良から和歌山にかけての主要な鉄道駅には柿の葉寿司の店舗が入っていて、おみやげやお弁当として不動の人気を誇っているのだ。
伊緒さんが初めて柿の葉寿司を口にしたのも、そんな奈良行きの列車でのことだった。
古めかしい向かい合わせのボックス席で包みを解くと、葉っぱの個包装をおもしろがってキャッキャと喜んでくれている。
具は鯖がもっとも伝統的だけど、鮭もおいしいし椎茸を甘く炊いたものもよく合う。
〆た雀鯛や桜えびなども使われるけど、やっぱり鯖と鮭がぼくにとってはなじんだ味だ。
伊緒さんに「さあ、食べて食べて!」とすすめたはいいものの、お茶を買い忘れていて、発車までの間に急いで買いに出た。
戻ってみると彼女は幸せそうに目を細め、もっふもっふと咀嚼していたので「ああ、お口に合ったんだな」と安心したのだけど……手に何か持っている。
よく見るとそれは柿の葉の軸部分で、葉脈だけきれいに残して葉っぱごと食べてしまったのだった。
ぼくたち地元の人間は、柿の葉はあくまでパッケージと考えて食べることはない。
けれど他地域の方が柿の葉寿司を初めて目にした場合、葉っぱも一緒に食べてしまう事が少なくない。
もちろんだめな訳ではないけれど、ちょっとかたいのであんまりおすすめはしていないようだ。
「葉っぱたべちゃった。でもおいしい!」
伊緒さんは照れ笑いしつつ、2個目はばっちり葉を剥いて召し上がった。
でも改めて見てみると、本当にうまくできた料理だと思う。
柿の葉は防腐効果や殺菌作用もあるというし、すごく機能的な天然のラッピングだ。
「でも柿の葉っぱって、パリパリしてそうだけど、どうやってやわらかくしてたんだろう」
おお、伊緒さんが構造を分析しはじめたぞ。
「昔は塩漬けにしてたらしいですよ。初夏に大きくてやわらかい葉っぱをとって、柿の葉寿司用に保存したとか」
子どもの頃に近所のおばあちゃんから聞いたことだ。
「へえぇぇ!いまだったら冷凍保存もできそうね。うちでもつくれないかなあ」
「柿の葉ならお庭にありますよ」
「えっ!うそ!?」
「実はまだ生らないと思いますけどね」
多分、前の住人が植えたか蒔いたかしたのだろう。柿の若木が育っていることに、その朝気付いたところだった。
生命力が強いので、存外に大きな葉を出すかもしれない。
「すごいすごい!じゃああとは、押し寿司用の木枠だけね!」
どうやら、本気で自家製の柿の葉寿司に取り組むみたいだ。
伊緒さんがお家で、この土地の郷土料理をつくってくれる――。
なんだか夢みたいなお話だ。
でもぼくにとってこの時からちょっとだけ、柿がありふれた植物ではなくなったのだろうとそう思う。
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